駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

年を取ると

2011年08月10日 | 小験

 

 重金属や薬草を配合して煮詰め足り蒸留しても、足を棒にして南海の孤島を歩き回ろうとも、残念ながら不老長寿の秘薬は見つからなかった。どうあがいても、真綿で絡め取るように、老化は忍び寄ってくるもののようだ。

 マウスのダブルクリックが出来ない人にはなどと書いてあるのを見て、とろい人が居るものだと思っていたが、この頃一発で上手くダブルクリックが出来ない自分に愕然としている。女共もきっと、朝早く夏の日差しの明るさを喜びながら、ふといつもは気付かなかったくすみに愕然とすることがあるだろう。

 徐々に忍び寄ってきたのではあるが、ある日突然気が付かされるのが老いの兆しだ。私の場合、言い古された三つの機能はともかく、脳の疲れを感じるようになった。少し早く帰宅できた時は、音楽を聴いたり録画テレビを見ながらいつの間にか小一時間寝てしまうのが常になった。易しい難しいではなく、面白いと感じられない本をどうしても読めなくなった。これでは読み残した古今東西の名作を老後の楽しみにというのは怪しい物だと思わざるを得ない。

 非常に残念というか懸念しているのは、この忍び寄る年並みがどうも仕事よりも遊びの方により濃く表れている気配があることだ。診療能力は自分で言うのだからあまり当てにならないが5%程度の低下で済んでいる。ところが遊び心は30%、あるいはもっと落ちている気がして、なんだかつまんないなあと遊活を企てている。

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寿限無と長助の間

2011年08月10日 | 町医者診言

 

 寿限無という落語がある 生まれた子にめでたい名前を付けたいと考えた父親が和尚さんの所に行って縁起の良い言葉をたくさん教わり、欲張って其れを全部付けてしまい、長すぎて呼ぶ時に困ってしまったというお話である。

寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助

 いちいちこんな長い名前を全部呼んでいたら、時間が掛かりまともな話ができない。当然、略称通称で寿限無とか長助と呼ばれていたに違いない。まあ、落語だから、略さず全部呼んで話を馬鹿馬鹿しく滑稽にしている。

 この話から、重要なことを指摘したい。それは長すぎる名前なので寿限無ちゃんとか長助と呼ぶのは良いとして、寿限無と長助の間にある長い本名を忘れるようなことがあってはならんということだ。

 政治記者や政治評論家が、擦り切れたレッテルをいつまでも使用している。レッテルは便利だが、便利をよいことに中身の点検想起を忘れている。小沢派とか菅おろしとか、内容を示さないで乱雑に謂わば通称を連発し実態にそぐわないイメージを垂れ流すのを止めないと、国民が誤った方向へ誘導される。政治記者や政治評論家は別枠や注釈で自分が張ったレッテルの中身を明らかにする責任がある。

 政治的な主張や政策は決して一言では言えない。キャッチフレーズを使うのは、内容をそのまま述べれば寿下無になり、時間が掛かってわかりにくくなるからで、その内容は理解されているという前提で使われている。であれば内容を理解していない人にわかりやすく何度でも内容を提示するのは記者や評論家の重要な仕事であり責務のはずだ

 若い政治記者や若い政治評論家は先輩と慣習を疑うことだ。例えば小沢派という言葉を使わない報道に挑戦してほしい。

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