駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

日曜の朝も

2011年08月28日 | 世の中

 

 院勤めの頃は日曜の朝は九時過ぎまで寝ていたものだと書くと、今はさほど忙しくないので疲れが少なく早く起きるように若い方は思われるだろう。其れが違うのだ、年を取ると早く目が覚めてしまい長く眠ることができなくなるのだ。年を取ると言っても、大抵の人は既に四十代から徐々に長く眠れなくなるものなのだ。日曜の朝十一時頃まで眠る幸せは若い人の特権なのを憶えておかれると良い。

 そうしたわけで、今朝も六時半には目が覚めてしまい新聞を読んでいる。昨日の夜ははブリッジの例会で、夜十時の街を歩いて帰ったのだが、道路には若者が溢れ、店先でテーブルを挟んだ若い人達がなにやら楽しげに話をしていた。夜遅くまで何という目的もなくあれこれ活動する、若い人はそうしたものだ。若い人が元気そうなのは嬉しい。

 朝刊を読むと私が口酸っぱく注意したのに、全国紙にまた反小沢親小沢脱小沢がチラチラしている。脱菅脱官ならまだわかるのだが。候補者の方が記者よりよほどしっかりしている。面相で三馬身話されている野田佳彦を見直した。誰かを悪く言うと溜飲が下がるのは人間の性なので、時の権力はそうした対象を用意して渦巻く不満を逸らしてきた。都合の悪い人物をその対象に仕立て上げれば一挙両得だろう。その片棒をジャーナリストが担いでどうするのだ。小沢と書かないで小沢の主張を小沢を支持する人の主張を呼称にしなければ、いじめのように思う。ロートルの政治記者にはいじめ心があるのか、あるいはいじめこそ政治のありようだと範を示しておらるのか。

 スポーツ欄柔道の「男子重量級総崩れ、王国メンツ形無し」という見出しにも、時代錯誤事実誤認を感じた。メダルにも重量制と男女差別があるのか。重いクラスのメダルの価値は重く、男子のメダルの価値の方が高いのか。出藍の誉れという広い心がなければ、人種による身体の特徴を理解しなければ、停滞場合によっては後退して、明日を切り開くことは難しいと申し上げたい。

コメント (2)
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