駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

心に浸みるお礼

2011年08月18日 | 診療

 

 町中で内科医をしているとお礼を言っていただける機会も多い。いつも自分にできることをしているだけなので、嬉しく有り難いと感じるが特別気に掛けることはない。お礼というのは相手の気持ちなので、平静にそのまま受け取るのが一番と考えている。若い時はかなり、正直に言えば今も時に苦心と反応の釣り合いに思い至ることもあるが、それは思わぬが花なのだ。

 時々、看護師や受付が大変な思いをさせられながらなんとか良い結果が得られたのに、ふんぞり返っている患者さんに憤慨していることもあるが、それはそうした人なのだと思うしかない。いつもの通りできることをしただけなのに、大変感謝され恐縮することもある。ひどい医者と思われるかもしれないが、お礼を言われても思い当たらないことも多い。

 お礼を言われる方は健康の有り難さと命の大切さを知っておられるのだ。私の手柄というわけではないが、出会いが良いものであったと思っていただければ本望だ。

 神ならぬ身、力及ばず、白い目を背後に感じることもある。遺された家族がお礼に来てくださったり、引き続き風邪などで掛かってくださるのは本当に心安まる。有り難い。

 Kさんは六年前肺がんが見つかり、あと一年と言われたのだが放射線治療が奏功し半年前に再発するまで後期高齢を悠々と生きてこられた。やがて八十五歳というのに、頭は確かで取り乱すこともなく、往診に行くと酸素を鼻に布団に座って私を待っておられる。伺う度にだんだん小さくなられてどきっとさせられる。先日、型通り診察をして、お大事にとお暇しようとすると急に正面を向かれ、こけた頬をもごもごと動かして何か言われる。耳を寄せると「長い間お世話になり、ありがとうございました、先生これを」。と封筒を差し出される。思わぬ力強さで手渡され、戸惑ったが有り難く戴いた。たいしたことは何もしていないのに、余命幾ばくもない患者さんに直接お礼を言われ驚きながら、思わず胸が熱くなった。

コメント (2)
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