医者になって四十一年、町医者になって二十一年。大抵のことは見聞きしてきたつもりでいたが、まだまだ知らないことがたくさんある。
十年、介護認定審査委員をやったので、そろそろお役御免かと思っていたら、数年で問答無用とお辞めになる先生方が居られ、すいませんがもう少しと頼まれ、続けることになった。ところが、私が断り下手なのを知ってか、障害者程度区分認定会議委員まで回ってきてしまった。どうしても誰も引き受けなければやってもいいと返事をしたのだが、翌日にはそれではお願いしますときた。本当に聞いて回ったの?。
この障害者程度区分認定会議に出て驚いたことがいくつかある。自分は臨床の極北まで見たような気で居たが、実は井の中の蛙で、私が診てきたのは高齢で正常だった精神が病んだり呆けたりされた患者さん達で、生まれついてのあるいは若年発症の精神障害者には殆ど接してこなかった。
精神遅滞、適応障害、自閉症、統合失調症などの疾患概念はあっても実際の生活を殆ど忘れ、知らないできた。忘れというのは学生時代にそうした子供達の施設や療育園を訪れ、こうした世界があるんだと強烈な印象を受け、心のどこかでそれを憶えてはいたからだ。
障害程度区分認定会議に出るようになり、現実ではそうした施設の外の家庭で文字通り肉親の命を削る介護によって生きている人達が数多く居るのを知った。自力で食事が摂れるのに、なんで飲水を見守る必要があるのかと介護保険の感覚で調査報告を読んでいくと、水を飲み出すと際限なく飲んでしまうので、途中で止めさせなければならないとか、泥水まで飲んでしまうので目が離せないとか書いてあり驚いてしまう。子供や老人の介護なら体力負けしないので注意できるだろうが、二十代三十代の大人しかも男の障害者の場合は体力があるから、あれこれ制止させるのは大変だろうなと、つい重く判定してあげたくなってしまう。
勿論、人間には適応能力があり、大変な介護も日常化し受け入れていける部分はあるとは思うのだが、負担に変わりはない。
障害者の調査報告を読むだけでも驚くことがいくつかあるのだから、その生活に関わればもっといろんなことがわかり、軽々しいことは言えなくなるだろう。
一番世の中の隅々までを知らなければならない職種は何だろう。視察形式では現実の十分の一も分からないと指摘しておきたい。