たかだか六十年前まで、死亡原因の断然の首位は感染症、なかんずく肺結核、であった。今でも肺炎は高齢者の死因として大きな位置を占めているが、癌や血管障害が死亡原因の首座を争うようになって、感染症の脅威は薄れた印象がある。
現実は必ずしもそうではない。
感染症の脅威は抗生物質の発見で、克服されたように見えるけれども、実は感染症が病原微生物の宿主への感染で成立するという病態概念が科学的に証明されたことが一番効いている。感染症の病態から考え出された対策(衛生思想の徹底、予防接種、消毒、隔離・・・)は未然に感染症を防ぐ手立てを生み、多くの流行性感染症を駆逐してきた。
成立した感染症(主として細菌感染)には抗菌剤が特効薬として効果をもたらし、感染症を死因の首座から引きずり落としたのであるが、簡単には人類の勝利とはならなかった。すなわち病原菌も、自らが生き残るために防御策を講じてきたのである。つまり抗菌剤に耐性を獲得する菌が出現してきたのだ。中には新聞紙上を騒がす多剤耐性と呼ばれる、殆どの抗生物質が効かない菌まで出てきた。要するに、一筋縄では捕らえきれないことが明らかになってきた。
病原菌が耐性を獲得するには、抗菌剤と何度も試合をする必要がある。何回も負ける内に孫菌や曾孫菌が対抗策(耐性)を身につけてしまう。伝家の宝刀は本当に必要な時に取って置く必要がある。
だから、風邪を引いて、風邪はウイルスが原因で抗菌剤は無効(拗らせて細菌が重複して感染することは時にある)なのに、抗生物質を頂戴と言ったり、ああそうかいとすぐ抗生物質を投与するのは賢くないのだ。戦争に見立てれば利敵行為になってしまう。
つまりは病原菌は生き残るのにそれこそ命がけで対策作戦を講じているのに、先のことまで深く考えない人間は素人の聞きかじった知識を振り回したり、とにかく売り上げが上がればよいと目先で動いて、オウンゴールを献上してしまう。勿論、それだけが原因というわけではないのだが、これからも果てしない戦いが続いていくのだ。