駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

外部記憶装置

2011年07月30日 | 小考

 

 本は三千冊?ほど持っていたが、置き場所に困り、引っ越しの時半分近く処分してしまった。これはもう二度と読まないだろう、これは何回も読んだからと、大して時間を掛けず選別したのだが、本を手放して愕然としたことは、記憶も一部失われるということだ。本は外部記憶装置だったのだ。並べてあるのを眺めるだけ、あるいはあそこに在るいう心地だけで、記憶がリフレッシュできていたらしい。

 不思議なことだが、同じ本をもう一度買い求めても、新しい本では同じ文章のはずなのにどうもすっきり記憶が戻ってこない。意識に上がらない記憶というものがあるらしく、手触りとか紙の染みや皺などから、これは以前に読んだ本ではないと判断するらしい。本から得た記憶をリフレッシュするには、この文章は前に読んだことがあるという感触が欠かせないのだが、懐かしい道を辿る感覚が、新しい本では蘇らないことが多い。不思議なことだ

 実は、本だけでなく人間は皆さまざまな外部記憶装置を持っている。わかりやすい例が住処だ。お年寄りが、改築などで住み慣れた家を一時離れ、仮住まいに暫く引っ越すだけでおかしくなってしまうのも、住み慣れた環境という外部記憶装置の喪失が原因だろうと思われる。外部環境の保全は弱った記憶装置の維持には欠かせない所以だ。そして逆に、外部環境を変えて新天地に向かうことはしがらみを断って新しい人生を切り開くのに有効なわけだ。

 そう考えれば人間の意識というものは濃淡はあっても在る部分環境や他者と重なって共有され、我々は大袈裟に言えば人類や地球の一部を担って生きていることになる。これは縁という感覚に繋がるのかもしれない。

コメント (6)
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