駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

老後の蓄え

2010年04月19日 | 世の中
 日本人の貯蓄率と貯蓄額はダントツと聞く。特に高齢者においてそれは顕著で、老後が心配だからと云うのがその理由だという。まあ確かに誰にも初めてのことで、やがて来る老いがどういうものか不安なのだろう。
 ほとんどの人は身近な肉親が老いて亡くなるのを見たり世話したりしているはずだから、ある程度自分の老後も想像できるはずなのだが、自分がしたようなことを子や孫からは期待できない、あるいはそうした負担をかけなたくないと思うのだろうか。
 実はこの老人の貯蓄率が高いことが、社会に影を落として、回り回って老後の不安を助長している。つまり、お金が高齢者に貯め込まれ、世の中に流通しないために景気が回復しにくいのだ。人間の病気に喩えると血液を溜め込む脾臓が大きく成りすぎて発生する貧血に似ている。脾臓が大きく成りすぎると、そこに血液が溜め込まれて身体を回る血液が不足して貧血が起きてしまう。こうした病態では輸血はほとんど効果がなく、脾臓を小さくしたり、摘出したりする治療が必要になる。
 人間社会で、老人の貯蓄率を下げるにはどうしたらよいだろうか。人間は何らかのが考えがあって行動するので、その思考と行動を変容させるような方策を考えればよいはずだ。つまり老後の不安を解消軽減するような社会の仕組みを導入し心の持ちようを変えさせればよい。
 社会の仕組みを変えるのは政治家の仕事なので、政治家に任せ、といって任せられるような政治家が激減したのが大問題のようだが、それはさておき、町医者は心の持ち持ちようについてちょっと書いてみよう。
 本当に老いればたいしたお金は要らない、もっとはっきり言えば大金など使いようがなくなることをお知らせしたい。自治体によって多少面倒見に差があるとは思うが、当地ではまったく身寄りがない生活保護の方でもケアマネ訪問看護師ヘルパーの世話で生活が出来ており、最後も我々のような開業医や老人病院によって看取られている。それがしあわせかどうかは分からないけれども、少なくとも見捨てられる不安はない。家族に看取って貰えるかどうかには経済的なことは殆ど関係ない。それは来し方と巡り合わせによるものだ。
 本当に老いれば生活は縮小し、最小限の費用で暮らせる。身体が不自由になれば、身内と同じくらいケアマネ、かかりつけ医、訪問看護師、ヘルパーが世話をしてくれる。
 公共交通機関が利用できる人は老人ではなく高年者が正確な表現だ。高年者は自分の楽しみにお金を使わなくては、あの世へお金は持って行けない。残してもごっそり政府に持って行かれてしまう。なんだか下世話で当たり前の事を書いてしまった。
コメント
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