駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

絵を描くと

2010年04月18日 | 身辺記
 絵を再開してからもうすぐ一年になる。中断する前に二年近く習っていたから、まあそこそこの修行をしたことになる。最初にデッサンを一年くらいやっただろうか、十分描けるようになりましたそれでは次にではなく、私が油絵を描きくてうずうずしているのを知って、まあいいでしょうと許可がおりて、静物、風景、人物と描いてきた。
 どうやら人物画が向いている?と判断されたらしく、本人にはその自覚は全くないのだが、人物画を描いている。指定されるキャンバスは10-12号で、本人はもっと大きなキャンバスをと思うのだが、大きいのをとは仰らない。先生にしてみればたかが五、六枚描いただけなのにと思われているのだろう。
 今の所、人物画は描いていてあんまり面白くない。描きたいものを描いたの方が良いのではと生意気に思ったりするが、そのうち何かが取り憑いて人物画が面白くなるのを願っている。
 絵を描くとよく分かるのだが、普段人は物を見ているようでよく見ていない。これは何、あれは何と分かるとそれ以上観察しないのだ。湯飲みがテーブルの上に置いてあるのに気付けば、あれは家内のだでお仕舞い。新しいのだったり、縁が欠けていたりすれば近寄って、手にして見つめるかもしれないが、何かわかればもう視線を送ることはない。
 ところが、いざそれを絵に描こうとするとさまざまな彩り陰影曲線が見えてくる。しかも指導を受け訓練を重ねると更に子細に微妙な変化が見えるようになる。
 単に見ると言うことでも、これほどの奥行きがあるのだから、勿論向き不向き才能の多寡はあるだろうが、さまざまな分野に普段気付かない見知らぬ世界が広がっているのだろう。
 思うにその始まりは、普段何気なく流す事柄を、立ち止まって見直してみるところにあるようだ。もう五感も衰え脳も硬化してきたので遅すぎるかもしれないが、今になってあれこれ身の回り世の中を立ち止まって見直して始めている。
 
コメント (2)
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