前人未踏に達した勝負師と云えば宮本武蔵か大山康晴か。日本ではまあ大きな異論はあるまい。どこまで本当かは分からないが、共に読心術に長けていたようで、おそらく自分の心は悟られないようにする術も心得ていたのだろう。大山さんとは実際に試合をした棋士も多く残っており、心理を読まれたという証言はあるが、大山さんの心の動きがわかったという話はどうも記憶にない。
覚られないようにすることが、真剣勝負の場で可能か、多少の疑問もある。傍目にはわからなくても当事者にはわかりそうな気がする。それに真剣で気配を消す余裕があるだろうか。
昔は癌を隠したので、何百回も素知らぬ顔で嘘をついてきた。医者に成り立ての頃はともかく、数年してからはまず覚られなかったように思う。騙すというと響きが悪いが、こつがありそれを会得すればさほど難しいことではなかった。なんと言っても医者側には、やがて死ぬ当事者でないので、準備をして演技をする余裕がある。
相撲のような短い勝負で一瞬の判断の中に、相手の心理を読む隙間があるのだろうか?囲碁や将棋のような長い時間相対して考える勝負では、相手の考えを感ずることがあるのは理解できる。私のようなざるへぼの段階では、まずい手の直後、相手の動揺を手に取るように感ずることができる。「しまった」と声に出す人まで居る。ただ、ざるへぼでは動揺が伝染して「もっと、しまった」手を打ったり指したりすることが多いのだが。
さて、それで、勝負でポーカーフェイスであることは有利というか、大切なことなのだろうか。趙治勲を見ているとそうでもなさそうに思える。それともあれは特殊なポーカーフェイスなのだろうか?
覚られないようにすることが、真剣勝負の場で可能か、多少の疑問もある。傍目にはわからなくても当事者にはわかりそうな気がする。それに真剣で気配を消す余裕があるだろうか。
昔は癌を隠したので、何百回も素知らぬ顔で嘘をついてきた。医者に成り立ての頃はともかく、数年してからはまず覚られなかったように思う。騙すというと響きが悪いが、こつがありそれを会得すればさほど難しいことではなかった。なんと言っても医者側には、やがて死ぬ当事者でないので、準備をして演技をする余裕がある。
相撲のような短い勝負で一瞬の判断の中に、相手の心理を読む隙間があるのだろうか?囲碁や将棋のような長い時間相対して考える勝負では、相手の考えを感ずることがあるのは理解できる。私のようなざるへぼの段階では、まずい手の直後、相手の動揺を手に取るように感ずることができる。「しまった」と声に出す人まで居る。ただ、ざるへぼでは動揺が伝染して「もっと、しまった」手を打ったり指したりすることが多いのだが。
さて、それで、勝負でポーカーフェイスであることは有利というか、大切なことなのだろうか。趙治勲を見ているとそうでもなさそうに思える。それともあれは特殊なポーカーフェイスなのだろうか?