駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

サミットの仕事

2008年07月03日 | 世の中
 たかだか50年前は水はほぼ無尽蔵とされ、石油も計算上はともかく、枯渇が真剣に憂慮されることはなかった。欧州や日本は第二次世界大戦の傷が癒えて立ち上がり、アメリカは我が世の春を謳歌していた。
15,6年前から環境問題要注意の黄信号が出ていたが、アクセルを離したり、ブレーキに足を乗せた人はいても、はブレーキを踏んだ人は一握りだった。それが21世紀に入ると地球温暖化が肌で感じられるようになり、この一年はガソリン価格高騰が痛みに感じられるようになった。常識ある大人は誰しも、容易ならざる事態が迫っていることに気付いている。どうしたらいいかも相当数の人が理解している。ではどうするかというと、まず隣村のエネルギー使用状況の点検を主張する人が多い。
 高血圧で診ていた頑固爺さん思い出す。煙草を40本も吸うので止めるように指導しても、うんうんと言うだけで止めず、家族が止めるように言うと声を荒げる暴君だった。肺気腫があるので、総合病院の呼吸器に紹介したが、4,5年で肺癌になった。進行した肺気腫があり場所も悪く、手術しないで養生することになった。肺癌と聞いて、何でわしの煙草を止めさせなかったと怒ったそうだ。言ったって聞かなかったじゃないと奥さんが答えると。馬鹿野郎、殴ってでも止めさせるのが家族だとよけいに怒ったという。先日、奥さんにお会いしたら、もう今年は十三回忌だわと微苦笑された。
 地球温暖化は科学の問題、難しい現象だから、諸説があり誤差もあるが、科学の問題だから科学的に解決するしかない。政治や外交の役割は与えられた答をいかに実行するかで、問題の文言や数値を変えようとしてはならない。それに50年前の記憶がある人が就く仕事ではないと思う。50年先の空気は吸わないのだから。
 
 
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パティオ

2008年07月03日 | 身辺記
 雨が降るので緑が濃い。医院には6坪ばかりの中庭がある。さして広くもない敷地なので、設計を聞いたときは手狭になるのではと心配したが、杞憂だった。空間を囲み、庭を垣間見ることによって、広がりと季節を感ずることができる。プロの構想に口を挟まなくて良かった。
 待合室は木を基調にし、絵や小物を展示できるようにしてある。油絵やアクリル画は地元の個展で気に入って購入した作品、版画は手が出る価格なので山本容子や熊谷守一など名の通った人の作品もある。それに患者さんや自分の作品も織り交ぜて、2ヶ月ごとくらいに掛け替えている。テレビ、週刊誌はない。
 なんだか少しレストランに似ているが、実際そうかもしれない。違うのは時々夜中に注文が入ること、出張仕事があること、それとあちこち専門屋に紹介することくらいか。
 いつも決まった時間に決まった場所に居なければならないことと、いつ呼ばれるかもしれないというのは、なかなかのストレスで20年もやっていると、時々もう辞めたいなあと思う。こちらの都合におかまいなくかかってくる些末な用件の電話には耐え難い。ありがたいことに最近時間外の電話は減った。
 小児科や精神科では予約制にしているところもあるが、総合内科は半数が高齢者なので予約制は難しい。曜日では月土、時間帯では朝方が込むという傾向はあるが、それでも患者さんの出足は予測しにくい。雨で20%大雨で40%くらい受診者数が減少する。もちろん、あまのじゃくも居て、今日は雨だから空いてると思って来たという患者さんもいる。ところが、あまのじゃくが揃って来院し、込んだりするからわからない。
 レストランはどうか知らないが、医院は感謝されることも多いが時にとても嫌な思いもする。中庭の眺めに心洗われ、パティオの知恵に感謝している。
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