玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

プール付合いと料理作り

2012年07月08日 | アトランタ便り
 私の朝は6時頃に始まり、23時過ぎに終る。丁度日本での一時間前倒しだ。7時迄が私の時間で、孫が起き出すと朝食(多くはシリアルに牛乳をかける+フルーツの2~3種)を用意、登校の身支度や世話、冷蔵庫内に残り物があれば、娘のランチ用に揃えて8時に送り出す。その後片付けをしつつ、冷蔵庫内の残り物や使い残し、備蓄品の有効年月日を考慮に入れてなるべく無駄の出ないように今後のメニューに繰り入れる算段をする。
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 私一人で2人の子守は厳しかろうと、妹は保育園通いを続け、聞き分けの利く姉と過ごす時間が長い。(9週間滞在中都合5週は一緒)ランチの時間迄、学校での記録物や作品を見せてもらうのだが、学習に入るとすぐ飽きる風で長くは続かず、趣向をかえて、日本から持参した折紙や綾取り、おはじきに切り替える。ランチ後はお楽しみのスイミングタイム。こちらはストップをかける迄切り上げず、私はプールサイドで日除けしながらも熱気の為にクラクラになる。

 プールに入ると2時間近く昼寝をするので私の時間だ。目覚めを待って2人で夕食作り。この時間も楽しみの様で、私が一つ作業をする毎に私もと手を出す。折角だから洗ったり混ぜたり役を与え、料理を作る楽しさも伝えているツモリ。娘には食育に対する熱意や、料理つくりの楽しさを伝え切れなかったカラ。一方自我に目覚めた妹は可愛いものの、私の言うことは中々聞かず私が怒ると悪態をついて返す。私の疲労も重なると怒鳴り返して更に泣かせる。そして21時を過ぎて子等が寝入ると、ヤット静かで安らかな時間が私にも訪れる。


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一般道路も高速並速度

2012年07月07日 | アトランタ便り
 さすがに車大国アメリカだけあって、車にまつわる事情は日本とは大いに異なる。娘が言うには、先ず免許取得が18才以上であれば難なく、運転の技術は個人的に取得し、簡単な路上運転と法規のペーパーテストを受ければ済む?らしい。機上から降下する毎に一目瞭然と明らかになるが、大動脈の幹線道路を中心に数列をなす高速道路が交差している。車で移動しない日とてないが、そのスピードは未だに慣れ切れない。
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 それがスピード丈の問題ではない。距離感も違い、2~30分は近いという。私流に言えば高速道路並みのスピードを出すからかなりの距離の移動になるのだが。ルール(マナー)も相当違う。先ず少々の飲酒は許されている?のか、出先で飲酒をし帰りの運転も平気の平座だ。これは事故でも起こして捕まらない限り問われない? 走行車線(5~6列)の変更はしょっちゅうだし、左右の並列車を抜いたり抜かれたりの走行は私の心臓に悪い。車内でギア席に置いたGPSをいじったり、覗き込んだり、携帯電話を受けたり、掛けたりは四六時中で、その度の片手運転に助手席の私は落ち着かない。車に乗せてもらわなければ日々が成り立たない故、私は口には出せず、時にアッ!ウッ!と不意に呻いたりして、娘の不興をかっているかも知れない。

 これ程車を酷使するからには整備はキチンとせねば。渡米時新車同様の中古車を購入したと聞かされて4年。そろそろ買い替え時か。しかし其々4才6才半のヤンチャ子達は車内の汚し盛り。次回来訪時そのままであれば、頭金位出してやろうかと思う。今回手伝いの手始めにやったのは2つのチャイルドシートを外しての洗車だった。もう大分汚れてきている。最後の手伝いも「シッカリ家族を守って下さいね」と念じながら同じ作業になるだろう。


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娘の離婚事情ーその2

2012年07月06日 | アトランタ便り
 親の都合によって子供達が往来する日常は(本来的に言えば非日常であるが)、私にも日常化しつつあるものの心は常に痛む。いつ迄こんな往来の生活が続くのだろう。養育費支払いは18才まで続き、双方が新たな婚姻関係を結んでもそれは変わらないらしい。姉の方は「行きたくないとか、今日は家に居る」とか時に涙さえ浮かべるが、妹は「又来るね soon  byby!」と屈託がない。そんな場面に私は立ち会いたくなくて、いつも玄関でバイバイしている。

 001離婚話に発展した際、夫にとって「子供達を日本に連帰られはしまいか」と懸念されたらしい。当の娘にはその気は全くなく事前に申し出てあったそうだが。日本においても近年国際婚の破綻に対し、ハーグ条約要綱など見聞する事も多くなった。又、未だマイナス要因とされているシングルマザーの雇用や住まい探しは深刻で、米国ではその心配がないのは当事者にとっては大きい。
 
 養育権に対しては半々で、私の滞在中とか夏休み中ということもあって、現在は娘宅の方が長く私の出番が多い。と言うより任かさっれ放しである。今朝も父親と娘がSkypしながら「今朝気がついたのだけど、自分がこんなに強気で居られるのは、母さんがいるからなんだ」と言う。そして前夜の夕食後子供を預けに行き帰宅した際、イヤな気分にされたとあれ程怒っていたのに、もし私も元夫同様独りでいたら同じ言動をしていたかもとしおらしい。父親は父親で「今後は生活を切り替えて自力で遣って行ける様に」と意見していた。

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*廃棄物の最終処分場

2012年07月05日 | 捨て猫の独り言

 玉川上水の右岸におびただしく自生していた「ノカンゾウ」を庭のところどころに移植したのは昨年だった。春になって地際から切り取り、さっと湯がいて酢味噌で食べた。初めての経験だった。ノカンゾウは夏になって葉が伸びて嬉しいことに庭の片隅で一株だけオレンジ色の花をつけた。畑のキュウリは少しの油断でとてつもなく大きくなってしまう。つぎからつぎに収穫しなければならずその消費に近隣に助けを求めている。ミニトマトの方は赤く熟したものからゆっくり収穫している。

 小平市が主催し4日に行われた環境学習講座第2回は西多摩郡日の出町にあるゴミの最終処分場の見学であった。市報には「処分場のオオムラサキを見に行こう」として国蝶のオオムラサキが色鮮やかな翅をひろげている写真が添えられていた。今回は蝶に魅かれたのか40人の募集定員を5人こえる盛況だった。ゴミ問題が暮らしにとって重大問題であるとしても「ゴミ処分場を見に行こう」では参加者は多くはなかっただろう。市報のオオムラサキの写真は際立っていた。

 「東京たま広域資源循環組合」は多摩地域25市1町で構成され、約400万人のために日の出町にある二つの最終処分場の管理運営を行っている。日の出町の住民の理解なしにはできない事業である。それに報いるには環境保全への取り組みが十分なされなければならないだろう。日の出町は北は多摩川が流れる青梅市と南は秋川が流れるあきる野市に挟まれた人口1万6千人の丘陵の町である。1998年から稼働している「二ツ塚処分場」では2006年にエコセメント事業が本格稼働し、持ち込まれる可燃ゴミの焼却灰の全量がエコセメントにリサイクルされるようになった。埋め立て期間が当初予定16年のところ30年以上に延長できることになったと聞き痛く感動した。

 14年間にわたる埋め立てが1998年に終了したのが「谷戸沢処分場」である。埋め立て終了後も万全の維持管理を行い順調に自然が回復している。埋め立て跡地の一部はグランドとして地域の人たちが利用している。22ヘクタールという広大な草原には清流復活貯水池など新たな水辺環境が作り出されたり、谷戸沢ビオトープ(生き物が生息する空間)としてのさまざまな施設が整備された。使われなくなった旧管理センターは見学者用施設として改修され「谷戸沢記念館」としてオープンした。平原の一角には幼虫を鳥などから守るために白いネットで覆われたオオムラサキケージがあった。中に入るとエノキの十数本の鉢植えがあり木の葉と見紛う緑のサナギを見ることができた。3グループに分かれて水辺に移動し「オオムラサキの放蝶」が順々に行われた。ケースには雌雄2匹の成虫がいて蓋を開けてもしばらく止まっていたが、うながされて空中高く舞い上がると雑木林に消えていった。

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組み立て3組遂に完成

2012年07月04日 | アトランタ便り
 その日は午後子供の誕生会のお呼ばれがあって翌朝、寸法が気になりデスク面を取り出す。採寸通りの横幅でピッタリだ。スッカリ気をよくした私達は”イザ組み立てん’と全部を開封した。椅子は解説図に沿い特別の道具も必要とはせず、部品と共に入っていた工具で組み立てた。他の2品は3つの工具が必要でボルトも多く女性には手間取りそうだった。娘の今回の事情によく通じ、何かとアドバイスを頂いた知人が時に電話を入れて下さっていたので、お願いして見た。私の当初からの念願だった旨を伝えると、今日中にやりましょうと2時間がかりで完成させて頂いたのだった。

 私と娘は勢い込んでその窪んだスペース入れようとした。所が入らない。あらら。。デスク面ばかり気にしていて、柱の付け根の装飾されたデッパリの事は丸で気づかなかったのだ。つまりレンガか何かでそこ相当分部分を乗り上げれば何とかなりそうだった。又同系統の本立て仕様になる物をPC売場で見つけて求めていた。それはデスク面から30センチの高さにに設定され、デスク面はそのスペースをそのまま使える筈だったのだ。所が肝腎のデスクの方が板厚で、之が又はまらない。これも透明な幅広のビニールテープで固定すれば使えない事もないのだが。。娘の大雑把さに腹立ったり、これ又劣らぬ自分お粗末さを嘆いたり。。兎も角そんなハプニング続きで結局ダイニングテーブルに近い場所に、デスクと椅子を組ませて一応の形が整ったのだった。057
 
 この組み立ての作業は、たまたま子供らが元夫の所に滞在中に行われた。サプライスがあると聞かされて帰宅した姉は大いに喜び、むくれてすねる妹は私と「学校に行くようになったらピンクの机をプレゼントする」指切りをして、やっと機嫌を直したのだった。私の滞在も残された日々の方が少なくなって来た。留守番の2人でせっかく持参した水着を出して私も数年ぶりにプールに入った。今年の暑さは記録破りだそうだ。

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念願の学習机を見に行く

2012年07月03日 | アトランタ便り
 姉の方は、今まではプレスクールといって日本流に言えば5才時から小学校に通っていたが、転居後はサマースクールと称し、現在お世話になっている(今週は一週間休み)チェスナッツスクールに、8月半ばの新学期から受入れて貰う事にになっている。新一年生といえば、祖父母にとっては親以上に力が入り、ランドセルや学習机を用意してやりたいと思う。そう何度も口をすっぱくして言っていたのだが、2LDKの手狭なアパート故迷いがあったのか、一ケ月後の一昨日やっと見に連れ出してくれた。
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 そこは食料品以外の生活用品全般を取り揃えた巨大なスーパーだった。前回訪米時教会でも同様だったのだが、希望すれば入口で子供を預かってくれる。登録を終えると、手首にその子の名前を書いたシールを巻、背中にも貼り付ける。母親の手首にも同様に巻く。そして時間になると母親の携帯に連絡が入るのだ。子供が一瞬不安を覚えても、魅力的な遊具の方に目が向く仕様になっていた。(保育園内のミニキッチン)
 
 アパートは20畳大のLDKの中央には暖炉が設置され、その横のパソコン置き場?の幅約一メートルサイズに収める切るが絶対条件だった。巨大なスーパーで小じんまりしたデスクを探す。ヒモで採寸しおいたサイズぴったりの物(色違い数種)をやっと見つけ出し、一番目障りでない黒色を選んだ。番号を控えているので、それで発注するのかと思いきや、スーパーに其の侭繋がっている天井まで積み上っている倉庫へ行き、メモに沿って自分で棚から選び出して、持ち帰った後自分たちで組み立てるのだという。結局デスク、いす、本立て等組み立て用品3箱と、その他不足している生活用品を求め、新一年生専用のスペースが確保される事に私は安堵したのだった。



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