玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*一日ごとを生きる

2012年01月10日 | 捨て猫の独り言

003

 取るに足りないことから思いがけなく落ち込むことがある。若い頃にはよく自己嫌悪に落ち込んだものだ。ところで最近久しぶりにそんな状態に私は落ち込んだ。言葉を失いがちになり、なにかに耐える状態から回復するのに時間を要した。年を重ねてからこの種の状態に落ち込むと回復は遅れるようだ。そして少し普通にもどると昔の流行語が浮んできた。「こまっちゃうな~デイトにさそわれて~」「私ってダメね」「気にしない、気にしない」これらは1970年までの高度経済成長期の流行語だ。あの時代の空気はこんな言葉を口に出すことで、早く立ち直れたような気がする。言葉が出るうちはまだ大丈夫なのである。

004

 7日(土)の午後に寒風の中を出かけると近くの道路が黄色のテープで封鎖されていた。この道路への一般車両の進入を規制しているのだ。警戒中の警察官に聞くと「ごらんの通り火事です」という。翌日の地方版の記事で重大な火事だったことを知る。「住宅全焼男女の遺体ー〇〇さん方の2階から〇〇さん(71)と妻(67)とみられる男女2人の遺体が発見された。小平署が出火原因を調べている」事故死した方はまさしく私と同年代である。記事を読んだ後に早朝散歩に出かけた。パトカーと消防車が1台ずつ停車していたので現場はすぐにわかった。現場維持のため寒空の中を徹夜で警戒していたのだ。

006

 成人式のインタビューで「一日一日を大切にして生きたい」と答えている若者がいた。最近落ち込んだ経験をした私にはことさら新鮮に聞こえる。過去も未来もない。新しい気持ちでこの一日を生きると考えるのがいい。とくに落ち込んだときに立ち直るには有効な考えだ。先のインタビューで「さらに一秒一秒を大切にして」とつけ加えていたのは余計なことだ。単位は一日でよい。それ以上切り刻む必要はない。そんなに切り刻んだらまとまったことは何一つできない。一日が終わり安らかに眠れ。睡眠は私が最も安らかである時だ。ひょっとして仏教でいう無の状態とはこのことではないか。そして目覚めるのだ。

002

 柿本人麻呂の「ひむがしの野に かぎろひの立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ」という宇宙的な広がりを感じさせるこの歌はいい。人麻呂は死んだが歌がいまだに伝わっているのも不思議といえば不思議である。「一日とは何か」と問われたら、この歌のように地球と月と太陽が織りなす周期的な一現象であると私は答えたい。うれしいことにこの三者は私たちが死をむかえるまで確実に私たちの眼前に存在し続け、認識され続ける。 (写真は小平市の小川寺にて)

コメント (2)
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