やまと歌は人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける(古今和歌集) NHKラジオ 「土曜の夜はケータイ短歌」 という番組を聞くことがある。短歌が立て続けに紹介されるので記憶し復唱することは不可能だ。そこで買ったばかりのラジカセである日の土曜夜に録音することにした。そしてテープを何度も巻き戻しながら、その日の放送分の短歌を残らず文字に記録した。音を文字にする作業だからこれでいいのかなという不明な箇所も出てくる。
面倒な作業を終えた時点で何か悪い予感がした。「ケータイ短歌」 をインターネットで検索してみたらどうか。やはりあった。番組に届いた歌で、その日放送されなかった歌までもがネット画面に表示されていた。ネット社会とはかくのごときものかと改めて感じ入ったものだ。しかし今回のテープ起こしが無駄な作業であったとは思わない。音を聞くことは文字では伝わらないその人の息づかいを感じ取ることができる。
番組の雰囲気をお伝えするために16歳で野球部という高校生の短歌を紹介してみよう。 ●現実に彼が投げてたこの場所で我は一瞬ウエハラになる(修学旅行) ●坂道を登った先が幸福の絶頂だなんて、そんなのウソだ(坂道) ●別れても共に過ごした思い出は無にはできない、いや、したくない(無) いずれも同一作者がカッコ内に示されたテーマに対して詠んだものである。
退職の餞別に職場からDCカードというトラベルギフトカードを貰った。この金券を一部利用するつもりで 「杭州、蘇州、上海、北京5日間」 というパック旅行を申し込んだ。5月末の出発である。費用の振込用紙が届いて自分の思い違いに気付いた。かなり大手のはずだが申し込んだ旅行業者が、金券の取り扱い加盟店ではない。面倒なことに金券は使えないことが分かった。退職後6ヶ月以内に金券を使わねばならないという制約がある。旅行後には代金の領収書を添えた一枚の簡単な報告書を出すことになっている。今回の中国旅行とは別に金券を消化するための旅行をいずれ計画せねばならなくなった。