玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*「草枕」を読む

2020年06月25日 | 捨て猫の独り言

 本棚に河出書房新社の文芸読本漱石Ⅰ・Ⅱがある。それには多くの作家の漱石に関する評論と、作品は「草枕」「夢十夜」そして「こころ」が載っていた。草枕の「山道を登りながら、かう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される」の最初のあたりを読んで、途中で放り出した遠い記憶がある。これまで積極的に漱石を読むことはなかった。ふとしたことで、その草枕を読んでみる気になった。(再び北山公園にて)

 

 原文なので漢和辞典を横において読む。画工である余が「非人情」なる旅をして山の温泉宿に逗留する。そこには那美という出戻りだが美しい女がいた。「余の此度の旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものは悉く画として見なければならん。あの女は、今迄見た女のうちで尤もうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をしてみせると云う気がない丈に役者の所作よりも猶うつくしい」

 明治の年号と漱石の年齢は一致しているから便利だ。明治36年に旧制一高の学生藤村操は「厳頭之感」の遺書を残して華厳の滝に身を投げた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年神経衰弱となった一因ともいわれる。草枕の中に「昔し厳頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。余の視る所にては、彼の青年は美の一字の為に、捨つべからざる命を捨てたるものと思ふ」とある。

 漱石の漢詩や俳句は名高い。また漱石は落語も好んでいたと知る。草枕の中にも、落語の一席のような髪結床の親方とのやりとりが出てくる。そして小説の最終段では、余は出征する那美さんの甥を見送りに一緒に駅に向かう。甥には「死んでこい」というなど気丈な那美さんだが、同じ汽車の中に別れた夫のやつれた姿を見つけて那美さんは茫然として汽車を見送る。その茫然のうちに不思議にも余は今までかつて見たことのない「憐れ」を見出し「それだ!それだ!それが出れば画になります」と終わる。

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