玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*テキスト第二章

2020年06月11日 | 捨て猫の独り言

 仏教についての池田氏と大峯氏の問答の要約をいくつか記すことにする。「仏さまはなにをもって善悪と言っているのか」「仏さまには善悪はないですね」「そうすると悪人往生なんてことも言う必要はないんじゃないですか」「いや、それは人間の善悪が仏さまの救済の妨げにならないということです」「ああ、そういうことの表現なんですね」「仏さまは衆生の善悪を問わない。善いものも悪いものも救う善とか悪とかは人間の意識だけにある」

 「すべての人に気づきの可能性があるという原理があくまでも成り立つわけですか」「信心というのは そうだったか、もう救われていたのか と気づくことです。救われないということに気づくことが、救われることに気づいたということと同時だというのが浄土真宗なんです(笑)」

 「人間なのに悪魔、魑魅魍魎みたいなこういう存在は何なんでしょう」「仏教では地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道の概念が衆生存在の可能性として言われているんです。つまり人間という存在は動揺性をもっていて絶えず輪郭が振動しているのです。人間というものの不気味さですね。そして仏教は人間をその根源から救済しようという教えなんです。人間を考える視野がどこよりもダイナミックなんです」

 「空という概念を、完全にからだでとらえているかというと、もうひとつわからない。どうも私は頭でっかちで」「空とは、人間の深い自覚の場のことだとはっきり言ったのは西谷啓治先生です。それまでは、空をどこか自分と別なものとして対象的に考えていたんです。花はどこに咲いているかと聞かれて、庭に咲いているとか、山に咲いているとかそんなんじゃダメなんです。花がほんとうに咲いているのはどこなのかといえば、それはすべてを許す広大無辺な解放空間の中に咲いている。自覚で初めてわかる。観察しているんじゃわからない」

コメント
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