玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*テキスト第一章

2020年06月04日 | 捨て猫の独り言

 池田氏は「言葉が価値そのものだなんて言っても誰も理解しない」と嘆く。あるいは「人生とは言葉そのものだ」とも言う。大峯氏は「この世は功績でいっぱいだ。けれど、人はこの世で詩人として住んでいる」と歌うヘルダーリンを引用する。この大峯氏の実用性や有効性の次元とは違う「詩的言語」についての指摘が、私には先の池田氏の発言の意図を理解する助けになった。(花は近隣の庭先のニゲラ)

 

 フィヒテによれば哲学は二つしかない。「一つは唯物論でもう一つか観念論。突き詰めたら人間には自分は時空をはみ出しているという存在だという感受性を持っているか、自分とは時空の中の物体だと思っているか、この二種類しかない」それに反応して池田氏は「私はその二種類を、詩人であるか詩人でないかという仕方で分けました」と言う。

 「現実世界といったって、現実世界というものだけがあるんじゃなくて、それを超えたものもある」「そうです。だって、そちらがなければこちらもないわけですから(笑)」「変わらないものがあってはじめて、変わるというものがあり得るという正しい考えを持っている人は昔も多くなかったと思う」これらの言葉は私を一歩前進させてくれる。つぎもそうだ。「ただ有限だけということはあり得ない。無限がないと有限なんてわからない」

 「私の中に無限があると言ってもいいし、無限の中に私があると言ってもいい」「内が外であり、外が内ですからね。これはぐるぐる裏返るものですからね(メビウスの帯)」「よく考えると無限というのはこの瞬間なんですね」「人間はどこで永遠に出会うかと言ったら、この信心の瞬間だ。この真理を世界の宗教思想家の中で最も端的に言った人は親鸞聖人という人だと思います」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする