「禅宗と真宗はどこが違うのでしょう」「西田幾多郎はキリスト教と仏教との違いを分析しています。キリスト教はイエスが神でありながら人間になるという仕方で現実の世界との仲介をやっている。これは超越的なものが内在しているという立場だ。ところが仏教は自己を自覚する宗教である。自己の中に自己を超えたものを見つけるという内在的超越である。キリスト教の超越的内在は、とくに自然科学の考え方と調和しない」
「なるほどね。仏教の内在的超越は、真宗において信仰になりますね」「その通りです。西田はさらに禅宗と真宗の共通点を見ているんです。禅宗の場合は見性という体験。それに対して浄土真宗の場合には、阿弥陀の本願によって罪悪深重の自分がそのままで救われるという信仰の立場です。これはちょっと表面だけ見ると、片方は自力で片方は他力で正反対に見えるけれど、自己が転換するという点では同じだというわけです」
「普遍性というけど、それは仏教をどう考えるかによりますね。いったい仏教の何が普遍的かという」「一言でいえば色即是空。これは普遍の真理でしょう」「ぼくはやはり、自分というものの存在は、いろんなものの力であり得ているという当たり前の事実に注目しています。縁起という思想だけど、これはまず自分があって他人があるのではなくて、お互いに相依相対だという考えですよね。自己中心性という考えを破っているところが仏教の大きな特徴だと思います」「今の日本では、そうしたヨーロッパ思想の根底にある自己中心性を無自覚に取り込んでしまっていますね」
「あらゆるものを考えてゆくときに神との関係が主軸になってくるわけです。自分の意志を主張するんじゃなくて神の意志に従うという、それが信仰だと考えます。しかしその場合には神の意志に従う自分の意志というものが最後まで残らざるを得ない。信仰は自己中心性を破る立場なんだけれども、そのこと自身が意志的に考えられている。このことが今ヨーロッパ人が一番苦しんでいることなんですね」