あられの日記

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入生田・長興山紹太寺

2019年04月14日 05時54分36秒 | 神社・仏閣
2019年3月31日、小田原周辺の桜巡りをしました。箱根登山鉄道入生田駅は紹太寺さんのしだれ桜があります。
しだれ桜と樹叢の巨木は既に記事投稿済み。どちらも長い記事になったので、お寺の紹介は別記事立てします。
入生田駅から紹太寺さんへ向かうと、最初の説明板を見つけた。
長興山紹太寺総門(大門)跡
紹太寺の総門は、東海道に面したこの場所にありました。
元禄4年(1691)ドイツ人博物学者ケンペルは、江戸に向かう途中、この総門をみて彼の著書『江戸参府紀行』に次のように記しています。
「入生田村は。小さな村で、その左手の四角の石を敷き詰めたところに紹太寺という立派な寺がある。この寺の一方側には、見事な噴水があり、もう一方の側には、金の文字で書かれた額があり、しかも前方には、金張りの文字のついた石造りの門が立っている」
この長興山の扁額は、黄檗宗の開祖隠元禅師の書き下ろしたもので現在子院清雲院(現・長興山紹太寺)の本堂正面に掲げられています
なお、現在道路の左側に積み上げてある加工された石は、この総門に使われていたと考えられます。 小田原市教育委員会」
とあったので、しだれ桜見物後立ち寄る。
大きな扁額が掲げられています。
隠元さんか〜。え〜と?WIKIによりますと、「隠元さんは1592年中国福建省生まれ。29歳で生地福建省福清の黄檗宗の古刹で得度。
江戸時代初期、長崎の唐人寺で住持に空席が生じ、3年の約束で日本に招請される。
4代徳川家綱と会見し、京都に寺地を賜り日本に残り日本の禅宗の一派黄檗宗の開祖となる。」
説明板発見:黄檗宗 長興山紹太寺(禅宗)
由緒:本寺は、江戸時代初期小田原藩主だった稲葉氏一族の菩提寺です。当初は、小田原城下山角町にありましたが、第2代稲葉美濃守正則が寛文9年(1669)現在の地に移建し、山寺号も「長興山紹太寺」と称し、父母と祖母。春日局の霊を弔いました。
開山は、京都宇治の黄檗山万福寺で隠元禅師のもとに修業に励んでいた名僧鐡牛和尚で、当時は東西14町70間、南北10町16間という広大な寺域に、七堂伽藍が配置され、黄檗宗では関東一の寺院でした。しかしこれらの堂塔が幕末安政年間の火災で焼失してしまったのは、まことに惜しまれます。境内裏には「稲葉氏一族と春日の局の墓があります。
天然記念物「長興山のしだれ桜」は、寿塔のすぐ近くです。「春を忘れぬ形見に」と稲葉正則が植えたもので、樹齢ざっと320年。樹高13メートル。4月初旬は、巨大な花笠を広げたように開花し、多数の見物客で賑わいます。」
ちなみに、こちらが火災にあう前の伽藍図。
今は全て焼失し、建物など構造物は残ってません。一部説明板が立つ場所が残るくらいです。
ふもとの紹太寺さんでは、隠元から伝わったとされる普茶料理(精進料理)も楽しめる模様。ただし4名以上事前予約必要で12時からいただける。時間のない私はもちろんスルーしちゃいました。お高いし。で、この後稲葉氏が藩主を務めた小田原城へ桜見物に移動しました。

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