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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

明月院本堂の月

2010年12月07日 04時23分05秒 | 鎌倉
明月院の本堂。伽藍があって結構豪華。そして本堂脇にはトップ画像のように月がある。
奥に見える庭は色付いた紅葉が見えた。

奥に見える庭。実に趣きがあって散歩してみたい。けど、ここへ入れるのは明月院さんに墓がある檀家さんだけだ。観光客は月から眺めるだけだ。

畳のある部屋にはお茶とお菓子が用意してある。利用者は300円支払っていただくことも出来る。このお茶代は寄付へと回されるので、一服してみては?
ちなみに、お寺の境内では飲食は遠慮するのが基本。つーか、大体禁止されてるのです。もちろん明月院さんも『「弁当」などの飲食はご遠慮ください。』と唱っている。
鎌倉にはちょっと休憩と気軽に出来る公園はあんまりないので要注意。
紅葉シーズンとあって、観光客が途切れることはない。ぜひ人影のない画像を撮りたかったけど、それはムリっ!


明月院と言えば、6月のあじさいが有名。山門の石段もあじさいの撮影ポイントの一つ。でも今はどれがあじさいだったかもわからない。

明月院さんには竹林がある。散策路から外れてるけど、迂回して竹林越しに見える紅葉も眺めてみましょう。なかなかにいい感じ。

月に兎はよく似合う。
明月院さんには本物の兎が飼育されている。そして正面入口脇の茶々橋には、色づいた紅葉を見上げる石の兎もいた。

さて、明月院を満喫したら、登ってきた坂を降りる。途中、竹林に映える紅葉を発見。左手前の黄緑色の壁は実は苔。触ってみたらふかふかでした。
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明月院やぐらと瓶の井

2010年12月06日 04時29分25秒 | 鎌倉
明月院は今から850年前、永暦元年(1160)に始まる。

階段を上り道なりに進むと開山堂が現れた。
「このお堂は1380年頃、明月院境内の中に建立されていた宗ジュウ堂を後に開山堂としたものである。
堂内中央には建長寺開山蘭渓道隆(大覚禅師)の5代目の法孫で当院開山密室守厳禅師(1390年6月9日示寂)の木像、向かって左に最明寺・禅興寺、当院の歴代住持の位牌が祀られている」と立て札が。

開山堂の背後はもう山。
鎌倉のお寺につきものの「やぐら」が明月院にもある。
「明月院やぐら(羅漢洞)
「やぐら」は中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓である。
間口7メートル、奥行き6メートル、高さ3メートルで鎌倉市現存の最大級である。
壁面中央には釈迦如来・多宝如来の2仏と両側に16羅漢を浮き彫りにし、中央に明月院中興開基、上杉憲方公をまつる宝ギョウ印塔、その前には禅宗様式を表した香炉が安置されている。
このやぐらは、もともと、永歴元年(1160)平治の乱、京都で戦死したこの地の豪族、山ノ内俊道の菩提供養の為に子どもである山ノ内経俊によって造られたと伝えられ、その約220年後に上杉憲方が生前自ら墓塔を建立したと伝えられるが、凝灰岩質であるために風化が著しく、それらの彫成年代は明確ではなく今後の解明が待たれる。
上杉憲方公は上杉重房公の4代目の曾孫で山ノ内上杉家の祖。憲方公の子孫の憲政の時、北条氏康との戦いに破れ越後の長尾景虎を頼り上杉の家名をゆずった。
長尾景虎は後の戦国時代の武勇、上杉謙信である。」って立て札があります。

開山堂の右手には「瓶の井(つるべの井戸)」がある。
「鎌倉十井の一つ。
岩盤を垂直に彫り抜いて造ったとみられ、その内部が水瓶のようにふくらみがあることから、「瓶の井」と呼ばれ、鎌倉十井の中でも現在使用できる井戸としては数少ない貴重な存在である。
鎌倉十井とは…江戸時代、水質のあまりよくなかった鎌倉の地において、数多くある井戸の中でも特に良質の水が湧いたと伝えられる十の井戸のこと」
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明月院と北条時頼公

2010年12月05日 04時28分07秒 | 鎌倉
北鎌倉駅に10時22分に到着して、ゆっくり歩いて明月院に10時33分に到着した。
拝観料300円を支払い境内へ。
するとすぐに上り坂がある。

が!
坂を登る前に目指すは、「北条時頼公の墓所」
目印はこのお堂。
ここを左折するとあります。
ちっこいのっが。
以前紹介した円覚寺にある佛日庵。あそこの北条時宗公のお墓は立派でこれこそ鎌倉時代の総理大臣のお墓にふさわしい規模でした。北条一族の墓2008年12月19日の記事参照してね。
それにくらべると何でこんなにしょぼいの??と、頭を捻りたくなる所存。
墓所前にある立て札によりますと。
「宝ギョウ印塔・五輪塔等の部材を組み合わせた石塔で石積みの壇上に安置されている。
このあたり一帯は時頼公が寂した最明寺の故地である。
父は時氏、母は安達景盛の娘で賢母と言われ、徒然草(第184段)にも登場する松下禅尼の次男として、安貞元年(1227)生誕。
祖父三代執権、泰時の善政の後を受け継ぎ、寛元4年(1246)19歳で5代執権職につく。
ますます北条政権を確固たるものに築き一族の全盛期を迎える一方では禅宗に深く帰依した。
建長5年(1252)中国の高僧、大覚禅師(蘭渓道隆)を開山に迎え、わが国最初の禅の専門道場、建長寺を創建。
康元元年(1256)には、この地、最明寺において、建長寺開山大覚禅師を戒師とし30歳の時出家。
僧名は覚了房道崇と号し執権職を長時に譲る。
弘長三年(1263)11月22日、37歳の生涯を終える。」
階段を上がって境内の奥へ。
ここで振り返ることをおすすめします。

明月院さんの紅葉は、入口が一番おすすめなのです。
ここでオレンジ色を満喫してから進みましょう。
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紅葉の北鎌倉駅から

2010年12月04日 04時47分24秒 | 鎌倉
空を見上げたらそこそこの天候だったので、ふらりと鎌倉へ。
したら!!藤沢駅のホームには人が溢れてました。
なぜに~~!?
はい。お察しの通り、茅ヶ崎ー平塚付近で誰か飛び込んだみたいなんだよね~。おまけに、埼京線の信号トラブルとかなんとかで、下りもダイヤが乱れてて、下りの特急だかは1時間遅れの表示が踊っています。
それでもっ!藤沢から大船は一駅なのでとりあえず待ってると、暫く立って上りがぎゅうぎゅう詰めの乗客満載でやってきました。
…東海道線って普通電車にもグリーン車があるのですね。
慌ててぎゅうぎゅうの中を一般車両へ移動してなんとか乗車。一駅で大船。そこでは湘南新宿ラインは止まってましたが、横須賀線はなんとか動いていたので、無事乗車して一駅で北鎌倉駅。
すっかり疲れてしまいました。また紅葉シーズン到来とあって、小さなホームには溢れそうな人。
あ~あ。こりゃもう、有名所はパスですね。

さて、北鎌倉駅に隣接しているのはトップ画像の「円覚寺」です。こちらはもみじの木が多く、境内も広いから11月末の散策には一番のおすすめです。
あ、訪問日は11月25日。んで、円覚寺に到着した時刻は10時22分。と携帯電話に表示が。
………。
円覚寺は最盛期の紅葉シーズンに何度か訪れているので、(以前の円覚寺訪問の記事はこちら2008年12月17日の記事『今度は北鎌倉の紅葉です』『階段発見!』『見下ろすモミジもいいものです』『被毛氈と石塔と紅モミジ』
2008年12月18日の記事『国宝の建物には近づけない』『大きな木』『モミジの撮り方は花と同じだった』
2008年12月19日の記事「北条一族の墓」「円覚寺の突き当りに到着」「見下ろす東慶寺」を参照していただくとして、
今回は穴場狙いっ!
線路沿いに移動して、鎌倉古陶美術館を横目に。
前方に線路が見えて来た所で左折。少しすると左手に葉祥明美術館を眺めて更に坂を登る。

と、茅葺きの趣きのある廃墟。向こうにイチョウの大木も見えて…。
到着しました!
茅葺きの向かいに本日の一つ目のポイント、「明月院」さんです。
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玉縄首塚

2010年05月28日 04時34分27秒 | 鎌倉
龍宝寺から大船駅に戻る途中、鎌倉でおなじみの由緒を記した石碑を発見!
見ると「玉縄首塚」とあった。
「これは大永6年に起きた里見氏との戦いで討ち取られた北条方の将を弔った塚です。
毎年8月19日に「玉縄史跡まつり」と題し供養を兼ねた祭りが開催されている。塚の脇には首塚の成立過程を記した石碑が建っている」wikiより。
トップ画像の中央五輪塔が首塚です。

wikiによりますと、上記の案内板にある里見氏側の大将を「里見義弘」とあるのは誤りだそうで。石碑は間違うと訂正が大変なのですね。
ちなみに、玉縄城は2012年に築城500年だそうですよ。…何かやるのかなあ?

さて、最後の訪問先は大船観音だったのですが…。
む、無理で~す…。
既に30000歩超えの散歩になってしまい、足が動きません。おまけに佐助稲荷で道間違えた時、降りる時に膝をいわしてしまい、本格的にダメです。ええ。病院行きのザマに。この時の散歩は、5月2日のS.C.CITY前の軽い散歩のつもりだったのにいぃ~~!
ゴールデンウィーク後半、もっぺん散歩に出かけたらもう膝がマジにヤバくなりました。
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龍宝寺

2010年05月27日 05時49分20秒 | 鎌倉
大船駅から徒歩15分。そこに大船フラワーセンターがある。ほど近い場所に龍宝寺がある。
龍宝寺を訪れたのは、ここが玉縄城の城主が作った場所だから。
ええ…。私の中ではまだお城ブームが地味に続いてるようです。
玉縄城はかつては守りの要にあったのですが、現存していません。城があった場所は現在は女子校となってますので、遺構を見にいくことも出来ん…。また高校を建設する時に残っていた遺構が破壊されてしまい往時の姿を偲ぶものは地名位でほぼない。
『玉縄城は別名甘縄城ともいって、永正9年(1512)に北条早雲によっ築かれ、代々北条一門が小種となりました。城の外堀が柏尾川と直結し、相模湾まで舟を繰り出す事が可能だったので水軍などを統括する重要拠点でした。
上杉謙信・武田信玄が相模へ乱入した際も攻略を諦めたほどの堅城でしたが、豊臣秀吉による天正18年(1590)の小田原征伐において徳川家康の攻撃を受け降伏・開城し、以後徳川氏の支配下になりました。』
あれ?徳川家康って、あんまり戦巧者のイメージがない。上杉謙信に落とせなかった城を家康が落とすってあり~?
調べました。
時の城主北条氏勝は徳川家康に説得され降伏。無血開城してました。これならアリだ。つーか、家康らしい戦法だね。
『徳川政権下においても重要視され、家康側近の本多正信の居城となり、その後は一門の長沢松平氏の居城となりましたが、元禄16年、長沢松平氏が上総国大多喜藩へ転封となったのを機に廃城となりました。』以上、WIKIより。
なんとも戦国時代のビッグネームが次々と登場してますね。なかなかの萌え城かもしれん…。(コラコラ)

山門です。これをくぐった右手に玉縄民俗資料館があります。え~、有料だったので入ってません。

参道左には幼稚園があります。幼稚園から奥へ進むと庚申塚が。更に進むと草花の庭がありました。
う~ん、矢車菊と…。全然咲いてませんが、しゃくなげの庭ですね。これ。参道の右にもしゃくなげの庭が、そちらにはシャガも咲き乱れていました。フランス菊も咲いてます。
龍宝寺はお花のお寺なんですね
ちなみに、参道の御影石は廃止された横浜市電の軌道にあったものを転用してるのだそうで。

こんな感じで。

ええ。こんな感じで。

フジもありました奥に見えるは、幼稚園のこいのぼり~。

新井白石の碑です。
…なんでこんなところに…。新井白石?
実は新井白石はこの付近に家禄を得ていたのです。白石は龍宝寺に200石献上しています。碑は表面の銘文が摩耗してて読めません。そんでもって、これは小さくてわかりにくので、訪れたら注意深く探して下さい。
龍宝寺は曹洞宗のお寺です。
文亀3年(1503)、2代目玉縄城の城主、北条綱也は玉縄城の東北(栄光学園周辺)に開基しました。
天正3年(1575)、4代目城主北条氏勝が3代目城主北条氏繁を弔うため現在の地に移しました。当時玉縄北条氏の菩提寺でしたが、滅亡後寺勢が衰える。

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佐助稲荷

2010年05月26日 04時51分47秒 | 鎌倉
佐助稲荷は今まで何度も行こうとして挫折を繰り返したのでこのたび初見参。
トップ画像でおわかりの通り、緩やかな階段が続いています。

登り切るとまず上の画像にお参り。
その背後の急階段を上がるとも一つある。

あれ?ここにも楽しい絵馬発見!

以前見た神田明神の萌え絵馬もなかなかでしたが、この絵馬もよろし。

さてと。佐助稲荷の次は本来の目的、裏大仏ハイキングコースへ戻る…。
あれ?
この道合ってるの??
だって、てすりがっ。そのうちロープになって、最後は登山路に生えてる木を頼りにぬかるみの急坂&細い道を上がるとはっ!!げ~~~~。こんな場所で上から降りて来るな~~!!除ける場所がない。後戻り出来ない~~っ!
とさんざんです。
ここ。
マジに鎌倉??
これ、観光コースじゃないよね??
止めにてっぺんにあった標識が間違ってました~~!!
こら~~~ッ!!!
ここはどこなんじゃああああああ!!!!
完全に迷子です。
万一を考えて持参した地図を広げる。
え~と???
あ。信号発見。
「長谷大谷」ってどこ??
この後さまようことになろうとは…。
しかも!
この時点で私は膝を負傷してしまいました…。
これ、後々まで尾を引きまして、実は5月8日の朝一で整形外科へ駆け込み、レントゲン~のっぶっとい注射を膝に刺し~のというハメに陥りましたよ…。
え~~ん
不幸中の幸いは、マヒが残る左足、痛みもあんまり感じない~~。だから腫れてるのに公衆トイレの和式でしゃがめなかって始めて気づいたんですよ…。
ええ。
5月2日のS.C.CITY東京の時も5月4日のCOMITIAの時も膝が腫れたがってたのに、自覚がなかったという…。
痛みを感じないってラッキーなんだかアンラッキーなんだか…。
次、行ってみよう~。
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銭洗弁天

2010年05月25日 06時46分07秒 | 鎌倉
源氏山公園から急坂を降りた。
本日の目的は新緑の中を裏大仏ハイキングコースでハイキングだったのですが、少しより道です。
トップ画像が銭洗弁天の入口です。岩をくりぬいて作られています。

トンネルを抜けると木の鳥居が並んでいます。
鳥居を進むとまた洞窟。

この中に流れる水でお金を洗うと、あ~ら不思議。増えるという伝説があるのです。
この記事は以前書いたよな。お金が増えるありがた~い場所??2009年10月18日の記事過去記事はこちら。

洞窟の入口でお参り。

奥の階段を登ったら佐助稲荷へ。
…え~、鎌倉は観光客の為にあちこちに案内標識が立っているのですが、ここの周辺には案内標識が殆どないんですよ。
なぜに…
階段を登って降りて少々迷いつつ、無事佐助稲荷に到着です。
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化粧坂&源氏山公園

2010年05月25日 05時40分50秒 | 鎌倉
海蔵寺から少し戻って化粧坂へ。
ここの坂道は二度と登るまいと思っていたのに、ここ、近道なんだよねえ。
かつて新田義貞が化粧坂から鎌倉を攻めた激戦地です。坂をヘロヘロと登り切ると源氏山公園へ。

画像ではわかりませんが、辺りは小学校の遠足&校外学習が団体でお昼ご飯しています。

ううっ。
ここで私達もお昼ごはんの予定だったのに…。
しょうがない。あっちへ行くか~。

源氏山公園は山の頂上付近にあるので、ちょっと変った敷地の形をしているのよね
こちらも中学生の校外学習の生徒達が賑やかでしたが、なんとかベンチを確保です。
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海蔵寺

2010年05月24日 05時33分15秒 | 鎌倉
海蔵寺へ。
ここは知る人ぞ知るお花と紅葉のお寺です。
以前の記事はこちらハギの花と鎌倉の寺はよく合う2009年10月16日
この時期に海蔵寺を訪れたのは始めてでしたが、新緑が綺麗でした~
まずは、海蔵寺への道。

新緑はモミジです

入口の底抜けの井戸です。

豊かな水量で、溢れた水が水路へ流れてました。

本堂脇から裏のお庭へ。
でもここ、お庭は立ち入り禁止なんですよ。残念ねえ~。

え~と、これはヤマブキかな?

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海蔵寺の新緑

2010年05月24日 04時50分44秒 | 鎌倉
海蔵寺で一杯撮影したので、記事を2つにわけました。
赤いカエデの新緑は、とりわけ目立つ。秋の紅葉と違って周囲の新緑と対照的。

訪問したのは4月30日の午前中でした。あまりに太陽の光が強烈で、色が飛んでます。やっぱもう少し早い時間帯の訪問がお薦めだなあ~。

なっ。
題材は素晴らしいのに残念な出来だよな…。



左手前にあるのはこれ。



新緑も良いですが、お庭には春の花もあります


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妙伝寺のシャガ

2010年05月23日 05時25分05秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮の次の目的地は妙伝寺のシャガでした。
浄光明寺の奥、鎌倉十井の一つ、泉の井の先にあります。
正確にはトップ画像のシャガが咲いているのは妙伝寺の中ではありません。途中の道にあります。

妙伝寺は元は東京都文京区の白山にあったのですが、道路拡張に伴ってここへ移転しました。
が!寺宝は失われて既になく、訪問する観光客もまれで静かなお寺です。
境内はこんな感じ。

一つ上の妙伝寺の境内の画像の左奥に竹&ムラサキの花も写っています。ここ、秋にもいいかもしれない…。
さて、次なるは海蔵寺なのですが…。え~と??線路の向こうへはどうやって??
な~んて言ってたら、不思議なものを発見しました。

何コレ??
え~と??
謎の階段の向こうには横須賀線があります。画面の左右に走るのは横須賀線の電線です。
ここ、鎌倉駅じゃありませんよ?なのに、この階段の目的は何だろう~。
鉄道関係に詳しい方の正解をお待ちしています。

道々こんなの発見しました。
もひとつ。

太田道灌の屋敷跡の碑は、英勝寺の道沿いに立っています。
上の上杉扇谷家は太田道灌の主筋ですね。確か…。
なんか縁あるなあ。太田道灌。
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浄光明寺

2010年05月23日 05時02分15秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮から移動。途中、長々と工事していた場所、旧川喜多邸が映画記念館に変身してました。
それを横目に…。あれ?
ここはどこ??
目的地の手前で趣きのあるお寺がありました。

調べてみると由緒正しいお寺でした。
浄光明寺。
頼朝の命を受け文覚上人が建て、6代執権北条長時が1251年に中興し、足利尊氏が保護した。
歴史上のビッグネームが次々と!
ちなみに、ここは鎌倉には珍しい真言宗のお寺です。

ここは自由拝観出来ますが、奥は入場禁止です。

この上には行けません。

フジのでかいのがありますが、花が咲いているのは遥か頭の上。ここを訪れたら忘れず上を見ましょう~。
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これがさざれ石だ!

2010年05月21日 06時42分07秒 | 鎌倉
日本の国歌「君が代」を思い出して下さい。
中に「さざれ石」って名詞が登場するのですが、さざれ石って見た事なかったんですよ。
一つ前の記事、「旗上弁財天社」の源氏池の藤棚を見た後、源氏池のほとりの藤棚を見て、振り返りましたらありました~
余程昨日の記事に書こうかと思ったのですが、あれは花見、こっちは歴史。
記事を見る人の目的が違うよなと思って分けました。
カテゴリーは同じ鎌倉なんですが…。
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旗上弁財天社の白藤

2010年05月21日 06時31分20秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮には源平池がある。
源平池の東側に旗上弁財天社がある。
「ここは八幡宮創建800年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元したものです。頼朝公の旗上げにちなみ、源氏の二引きの旗に願をかける人が大勢います」以上、鶴岡八幡宮のホームページより。

訪問した4月30日はお天気が良過ぎる程の日差しで、白い花色が出なくて無念です。
見頃は過ぎてまして、花が落ちつつありました。

残念な気持ちでふと源氏池に目をやると、遠くにもひとつ藤棚があるじゃありませんか。
…行くべし行くべしっ。

1分咲きでした~
鶴岡八幡宮の花ブログを見たら、5月6日にこの藤棚が8分咲き位だったので、既に見頃は終ってしまったよね。

場所はぼたん園の出口あたりです。
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