goo blog サービス終了のお知らせ 

あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

巨木探訪・谷中のまたぎクス

2019年03月12日 05時45分29秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24東京メトロパスでいく巨木探訪。谷中の妙雲寺さんに到着。大きなワンコの熱烈歓迎を受ける。
うん!君が私を大歓迎してるのはわかるんだ〜。でも今、君に飛びつかれたら、踏ん張り切る自信がない。私の体力は既にエンプティー。なので、門の向こうで大ジャンプを繰り返してるワンコに背を向けてしまった〜。あ〜〜、ワンコ大好きなのに〜。ヘタレな私でごめんよ〜。
しかしです。目的の木はワンコが守る(いや、どうだろう?歓迎してくれてるのだから、守ってるのではないのか??)相当疲れてるようです。今はワンコの考察じゃないだろう〜。ってなことで、妙雲寺さんを諦めて隣の感応寺さんへ向かう。

山門をくぐると本殿。背後に大きな木が見えた。あれだっ!

疲れからもう難しいことが考えられない。ともかく撮影と記録。

墓地の奥に見えるクスはとても変わってました。だってブロック塀に埋まってるんだもの〜。

いつものハイライトになるダンナです。

反対側からの撮影。この角度からだと、埋まったブロック塀の向こうにも墓地があって、そっちに木が半分はみ出してるのがわかります。反対側は先ほどワンコバリアーに阻まれて訪問を見送った妙雲寺さんの墓地です。
ブロック塀の近くから撮影。あ。閃いた。盾と矛の話ってあるじゃない?目の前に置き換えると、ブロックと木のどちらが強いか?を長い時間かけて闘ってるみたいですね。でもって、もうすぐ決着つきそう〜。根性出せブロック。
実は去年谷中で巨木探訪した時にこの木を道1本挟んで見てました。
巨木探訪・大雄寺のクスと高橋泥舟の墓 2018年4月21日の記事 
たった道一つ違うだけ。しかもその時感応寺さんの前を通っていたという。でもその時は見えてたクスが谷中のまたぎクスと異名を持つ木だとはまだ知らなかったんです。今回もまたぎクスの感応寺さんの前の道をみかどパンのヒマラヤ杉に向かう細道の途中にある金嶺寺さんに樹齢700年のタブノキがあるのを、この記事を書いてる途中に知り凹んでます。すぐそこにあったのに、知らなかった〜。見そびった〜。うををををを〜〜!!また行かなイカン!
え〜、今回私が感応寺さんと妙雲寺さんをまたぐクスがあると知ったのは、図書館で借りてきた巨木の本に載ってたからです。本によりますと谷中のまたぎクス:妙雲寺と感応寺は墓地が背中合わせに並んでいますが、墓地の境のブロック塀をクスノキの巨木の幹がまたいでおり「谷中のまたぎクス」と呼ばれています。
樹冠は円形で樹高は20メートル近く、幹の直径は1、5メートルくらいと思われます。寺の記録に樹齢は400年以上」あります。ついでになぜにクスノキの根元に出来た洞にブロックを詰め込んだのか?その理由も書かれてました。
「戦後間もない頃、空洞に燃えさしの線香を投げ入れたのは、幹の内側が燃えて、幹の上方から炎が出たことがありました。木1本に驚くほどおおくの消防車が駆けつけ、大規模な消化活動になり、消防士が呼吸用酸素ボンベを背負って空洞内の火を消しました。この火事でもクスノキは枯死しなかったそうです。その後、空洞にゴミが捨てられることがあったので、空洞はコンクリートブロックでふさがれました。」
クスノキは燃えやすいのです。線香はあきません!でも燃えるクスノキの火を消しに向かった消防士はヒーローですね。
撮影のお礼の参拝をして感応寺さんを後に。時刻は早くも16時27分になりました。画像ではわかりませんが、空は既に夕暮れが近づいており、クスノキの真下から真上を見上げての撮影はシャッタースピードが落ちたピンボケ画像になってしまいました。
もう無理だ。あと一つ。東京メトロ根津駅に向かう途中にある王林寺さんを最後にしよう。

善光寺坂を降りながら、次々現れるお寺さん。

谷中は本当にお寺ばっかりだなあ。もしかしたらこれらのお寺にもまだ見ぬ巨木があるやもしれんけども。夕暮れが近く立ち寄れません。

ただ、古びた寺社の建物を撮影するだけに留める。

なんか、建物に古い石垣がめり込んでるんですけど〜??何じゃこりゃぁ〜。白い建物はマンションっぽい。石垣は丁寧かつ格式たかい。
いやいやいや。また足止めてるじゃん!急がないと〜。暗くなる前に根津駅に着かないと〜。

ようやく王林寺さんに着いた。でもまさか目的の樹齢600年の椎の木の探索がここまでムズいとは予想もしてなかったんだよ〜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・延命院のシイ

2019年03月09日 05時57分09秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24東京メトロパスで巨木散歩。西日暮里の延命院さんに15時2分到着。山門を入ってすぐに右手に目的の木が見えた。トップ画像門奥右手に見える木です。

説明文発見:延命院のシイ 東京都指定天然記念物 昭和5年5月指定
延命院は日蓮宗の寺院で宝珠山と号す。開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢の局。家綱出生の際に、安産を祈祷した慧照院日長が、三沢局の信施を受け、甲州(山梨県)身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)、別当寺として延命院を開創した。
天保7年(1836)開板の『江戸名所図絵』巻5の「日暮里惣図(ヒグラシのさとそうず)には、現在地と思われる位置にシイの姿が描かれています。境内のシイも当時から地域の人々に親しまれた老樹であることがうかがわれます。安政2年(1855)の江戸の大地震によって『江戸名所図絵』に描かれた堂宇は倒壊してしまいましたが、延命院のシイは生き残り、現在に至るまで都市化の進む日暮里を見つめ続けています。かつては樹高16、2メートル、幹回り5、5メートルの巨樹でしたが、平成14年(2002)5月に幹内部の腐朽が原因で南側の大枝が崩落し、安全のため現在の樹形に保っています」

手厚い手当の様子。この角度ではまだまだ元気そうに見えますが。反対側の根元はこう。

奥の主幹に洞が出来、根元から上部に大きな割れ目が見えます。

手前は平成14年に腐朽が原因で崩落した枝の痕。枝というよりは最早主幹の太さの株跡に見えます。根元から撤去したんですね。

見上げると、主幹の上部にも洞が見える。もしかしたら、根元の洞があそこまで繋がってるのかもしれん。
『江戸名所図絵』は区内を散歩してると、あちこちの説明板に登場する。天保7年(1836)年のものだから、2019年−1836年=183年前!この時既に老木だったシイの木。元気でいてね。
さて、時刻は早くも15時6分。移動しましょう。

上野方面に歩いてると、看板装飾の古い建物があった。何のお店だろう?「金」へんに「武」。そして「力」と書いてブリキと読む。ブリキ屋さんか〜。珍しいね。

15時9分、次の目的地朝倉彫塑館に到着。通常の入場料500円のところ、2019年2月24日は天皇陛下在位30年記念慶祝記念事業で、この日は入場無料です。いや〜、入館は16時までなので、余裕のある時間に着けてよかったよ〜。ってな事で、もともと組んでた巨木探訪の予定に、この日は浜離宮恩賜庭園と朝倉彫塑館を突っ込んだのです。ここさ、一昨年に猫百態展を開催しててすんごく気になったけど、その時は行きそびってしまって残念だったんだよね〜。猫100匹は無理でも何匹かはまだ展示してるだろうか?楽しみ〜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・金蓮院のラカンマキ

2019年03月05日 05時13分02秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24。京成金町駅に到着。徒歩10分ほどで葛飾区金蓮院 さんに13:38着いた。ちなみに金蓮院とかいて<こんれんいん>と読む。訪問目的は葛飾区指定天然記念物 金蓮院のラカンマキです。年代物の立派な山門をくぐると大きな木が見えた!たぶんあれだと思うけど、巨木の本には樹齢400〜450年の古木と推定と書いてあるけど、樹高10メートルほどで400年超えって本当かな〜??ともあれ観察する。

見上げた。古木の風情は持ってるなあ。

根元。

目通りあたりを撮影。見たことない樹皮の質感。これは雨が少なくて乾燥し過ぎているからか?それどもラカンマキというのがこういう樹皮なのか?謎!
じ〜っと見上げて観察。
あ。説明板発見:金蓮院のラカンマキ 葛飾区指定天然記念物 昭和58年2月21日指定
羅漢槇はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の『ラカンマキ』として有名で、文政12年(1829)の紀行文『十方庵遊歴雑記』などの文献にも記された名木です。
「又傍に槇の大樹あり。太さ三尺四寸廻りもあらんか、樹の高さ凡そ二丈余り、葉のかたち尋常に在らず。(中略)枝ぶり又天然なり云々」
ラカンマキの大木は都内でも極めて少ないものです。樹高は10メートル余り、幹周りは約3メートルほどで、樹齢は400〜450年といわれています。
金蓮院は永正年間(1504−1520)の創立で旧門末30余ケ寺、朱印地10石を持った本寺格の寺院です」
ふえ〜。今はそんなに大きなお寺には見えない(失礼)けども。
実はこの記事を書くにあたり「幕府発行の江戸時代の寺社の朱印状に書いてある安堵された石高を見比べたら、当時の寺社の格というか大きさが分かるかも?当時は信者も多かったのに、今では凋落してるとか面白そうだなあ〜」と閃きました。でも調べるのは嫌。私日本史って高校でも選択してなかったし知識が足りないんだよね。時短したいので単純に寺社を見比べる『知行目録』ってないのかな?とWEB検索したら〜〜!!
なかった!嫌ね、大名や旗本に発行された朱印状は見比べたのがあったんだけどね。寺社のものはなかった〜。神社仏閣めぐりをしたら、大概説明板に『うちの朱印は⚫️石でした』と主張してるし、宝物殿に朱印状の本物(朱印状は将軍が変わる度に発行されると出てました。だから宝物殿に朱印状が何枚も並んでる訳がわかった)を展示してるのに。金蓮院さんの石高が二ケタだったので、ついつい気になったのですが。わからんものは仕方ないなあ。

本殿に参拝。「境内を撮影させていただきありがとうございます」と感謝を伝える。あ。本殿の軒丸瓦に三つ葉葵の御紋が並んでます。
あ。説明板発見:金蓮院のしおり
名称:真言宗豊山派法護山金剛宝寺金蓮密院
御本尊:大日如来
伝承:今(平成3)から1186年前の昔(805年)、弘法大師が唐の都長安で青龍寺の恵果和尚から密教の一切を伝授されて帰国。日本で真言教を開かれました。
総本山:大和の長谷寺
開山の年月日不詳。開祖賢秀和尚天正13年(1585)入寂。伝甲州武田家の家臣

境内には葛飾区の保護木のプレートがかかるクスノキもありました。
時刻は13時48分。先を急がねばっ。

おまけ:巨木の本によりますと、金蓮院のラカンマキは植物学上はイヌマキです。葉は細長く、長さ10センチで幅0、8〜1センチ。葉の裏は淡い緑色です。
イヌマキは房総半島の太平洋沿岸を東限とし、神奈川県以南の海岸に多く分布しますが、東京にはありません。
植物学上のイヌマキの中国名は羅漢松。
江戸時代にイヌマキ(犬槇)の中国名が羅漢松であることを知って、犬槇に羅漢槇の名を充てたことは十分に想像出来ます。
植物学上の「ラカンマキ」はイヌマキの変種で、樹高は5メートルと低く、葉は上を向き、葉の長さ0、4〜8、8センチで細く短く、葉の裏は白色がかっています。
日本では和名において学名は一つという規定がないので、名前と実物が合わない混乱が起きてます。」
とありました。巨木散歩してると植物にも詳しくなりますね。にしても最近真言宗豊山派のお寺とご縁があるなあ。
ちなみに、イヌマキならもっと大きいのを見たのを思い出す。確か小田原城の巨木探訪で〜?
巨木探訪・小田原城跡のイヌマキ  こちらのイヌマキは樹高20メートル、樹齢約520年以上でした。
さて、次は京成でなくJR金町駅を目指す。次の移動先は東京メトロ千代田線西日暮里駅なのだ。急がねばっ。
13時58分、もう少しで金町駅という所で通りに食べ物屋が並びだす。

あれ?日高屋の店先にメニューが2つぶら下がってる。けど、日本語じゃなかった。一つは簡体字の中国人用メニュー。も一つはなんとベトナム人用メニューだった。
少し前なら韓国人用メニューだったろうけども、今日本に観光や働きに来るベトナム人多いんだよね〜。できたらベトナムの小粒の丸い香り米を輸入してくれないかな?あれ、美味しいんだよね。タイ米より好き〜。
さて、JR金町駅に到着。あれこれスタンプ各種ゲットして、ホームへ。
ん?行き先が「成城学園前」になってる。あれ?綾瀬駅で東京メトロに乗り換えるんじゃなくて、同じ線路を使って東京メトロに乗り入れ、そのまま小田急線に入る仕組みなのか〜。便利だっ!

西日暮里駅到着。改札でパスモと小田急東京メトロパスを見せる。「パスモで金町から綾瀬まで。で、綾瀬から西日暮里は小田急東京メトロパスを使いたいんですけど〜」と申告したら、差額の154円支払いのみでOKでした。
さて、ここからは5月の根津神社つつじまつりで配布してた「根津権現かいわい 浪漫ちっくマップ」が頼りです。
線路沿いを緩やかな坂道を登る。

見えてきたのは立派な石垣でした。ここどこだろ??
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・飛木稲荷神社の焼けイチョウ

2019年03月03日 06時02分55秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24東京メトロで巨木散歩、半蔵門線で押上駅。地上に出るとスカイツリーがすっくと見下ろす場所で、徒歩数分で飛木稲荷神社さんに12時26分到着です。

イチョウの大きさはそこそこです。しかしこの木の凄い所はそこではない。これを見て欲しい。

こんがりと根元から見上げる先まで幹が焼けてます。
 
もうね。生きてる木の木肌じゃないよ。触ってみた。ツルツルです。樹皮はどうした?って焼けたんですね。
説明板発見:”身代わり”飛木の焼けイチョウ
名前の由来 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、御神木(神霊が宿っているとされる木)は、我が身を焦がし、懸命に炎を食い止め、町の延焼を防ぎました。
御神木は、戦災という大きな悲劇を乗り越え、数年を経て緑の芽を吹き出しました。
このようにたくましく生き延びた縁起のイチョウです。今の世にあって、私たちに生きる勇気と希望を与えてくれています」
最近巨木探訪するようになって、焼けイチョウが結構あちこちにあるのだと知りました。
麻布の樹齢750年超の善福寺(2017年12月16日)の記事  幹回り10、4メートル以上。都内最大の巨樹。
大塚の天祖神社の縁結びの大イチョウ(2017年12月20日)の記事 2本はいずれも高さ30メートル、太さ7メートル 樹齢600年でしたが、昭和20年4月13日の城北大空襲の際、米軍の爆撃で被災。大きく黒こげた跡が残る。

お稲荷さんなので狛犬ではなく狐が守ってます。
あ。説明板がもう一枚。飛木稲荷神社のイチョウ
神社の名前に由来する御神木で、目通り約4、8メートルもあり、樹齢も500〜600年はくだらない墨田区内随一の大木です。戦災で一部が消失し、樹高も15メートルと低いが、近年勢いを盛り返し、樹形も整ってきています。
江戸時代以前、このあたりは利根川(瀬替以前)の川口で、川の運ぶ堆積物により陸地化が進んできたところです。葛西地域の西の海岸線の一部となっており、平安・鎌倉時代あたりから、後の本所・向島の境ともなる古川沿いに自然堤防となっていたと推定されます。
江戸時代この辺は寺島新田と呼ばれ、順次開拓されていく様子もうかがえます。
このいちょうの大木はその自然堤防に育った歴史の証といえます。平成3年」
訪問は2019年2月24日、イチョウは完全落葉しています。なのでここまで丸焼けになったイチョウが、現在どの位葉っぱを茂らせてるのか分かりません。

でも奥の丸焼けの幹はともかく、その後成長したと思われる手前の幹は普通のイチョウと変わらない。
あ。絵馬が面白い。

絵馬にはたっぷりの葉っぱを持つイチョウの姿と、その奥にスカイツリーが描かれてますね。
ということは、合わせて撮影できるかも?

訪問は12時半でして、太陽の位置が悪くスカイツリーとイチョウがシルエットになってしまいました。
撮影のお礼と境内を借りてお昼ご飯を食べさせてくださいとお参りをする。
焼けイチョウのそばでお昼ご飯。熱いお茶とパンをぱくつく。
あ?またまた説明板発見:飛木稲荷神社の縁起
御祭神:字迦之御霊の神。一般に「おいなりさん」と言われ親しまれている神様で、農工・殖産・生活の加護において働きのある神様です。
神木 いちょう
樹齢一千年を超えると言われ、戦火により損傷を受けましたが、現在は元気に繁茂しています。
古老の言い伝えによれば、大昔のある時、暴風雨の際、どこからかいちょうの枝が飛んできて、この地に刺さったとのことです。そしていつの間には亭々とそびえたので、時の人がこえは異状のことであるとして、稲荷神社をお祀りしたのが始めてであると言われております。飛木稲荷の名もこれから起こったものです。
お祀りした時代については、当地は再三の水害・火災等により旧家や円通寺等では、古い書物が失われて詳しいことはわかりませんが、旧幕社寺奉行書によれば応仁2年(1468)とありますが、おそらくそれ以前であると思われます」
あ〜れ〜??樹齢が500〜600年とか一千年とか説明板に大きなばらつきがありますね。最近読んだ巨木の本のどれかに「本当の樹齢は書いてる半分と思え」というのがありました。肝心なのはここ。長生きした巨木が戦火で損傷したけど復活してる。それが事実です。
本殿裏の石の狐塚。え〜、気のせいだとは思うけども、写真撮ったら怒られた気がしたので、すぐに退散した。

狐塚の隣に境内社の日枝神社。お社がおそらく指物。素敵な彫刻つき。
さて、時刻は12時49分、押上駅に戻ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・浜離宮、吉宗ゆかりのトウカエデ

2019年02月27日 05時28分25秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月24日の小田急東京メトロパスを利用しての巨木散歩。1つめは浜離宮恩賜庭園の三百年の松とトウカエデ(唐楓)です。三百年の松は有名ですが、トウカエデはどこにあるのだろうか?場所の特定を仕切れずの見切り訪問です。というのも、2月22日(金曜)までは浜離宮へ立ち寄るつもりはなかったの。直前で天皇陛下在位30年慶祝記念事業でこの日限定で入園無料になると知り、急遽予定に組み入れました。なので下調べが追いついてない。でも大丈夫でした。浜離宮では大手門口に案内のおじさんを見つけ、トウカエデの場所を教えていただきました。
潮入の池の西側の岸に目的の木が5本まとまってあります。
花木園を抜けて潮入の池に出ると、3つのお茶屋が配置されてます。トップ画像は去年平成30年に往時の姿で再建された鷹の御茶屋です。御茶屋の紹介は浜離宮の歴史紹介だから後回しにして、まずはトウカエデを目指します。

鷹の御茶屋のそばには潮入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ118メートルの総欅造りのお伝い橋があります。上の画像の藤を絡ませてる橋がそれ。橋の右奥の向こう岸に落葉中の木が見えますね。これが目的のトウカエデ。お伝い橋で向かおう。

途中で遠景を撮影。ちょうど5本全てを写せました。中央手前に1本。少し奥に2本並び。左手に細めの1本。分かりにくいけど、左の細めと中央手前の間に奥にもう1本見えてます。中島の御茶屋をスルーしてまず1本。

奥に3つの御茶屋がいい感じに見えるけども、今日の記事は巨木散歩ですから木が主役。トウカエデは樹皮が特徴的だなあ。

振り返って同じ木を撮影。右奥に見えるのが茶店でもある中島の御茶屋です。ンなことはどうでもいい。

これが浜離宮恩賜庭園で配布のパンフレットでは『吉宗ゆかりのトウカエデ』と紹介されてる木です。現在5本が残存してますが、それぞれに樹形が違います。一番大きい木を選んで、いつものダンナによるハイライト撮影。

大きさがほんのり分かりますか?巨木の本によりますと「トウカエデは中国の長江下流域を中心に自生する落葉高木です。葉は卵形で多くは先が三裂しますが、全緑のものもあり、秋に黄色や赤色に紅葉します。街路樹として都内で普通にみられますが、日本に初めて渡来したのは江戸時代で、その時の株に由来するらしいものが、浜離宮と旧江戸城西の丸(現在の皇居吹上御苑)にあります。
浜離宮には並木のように並ぶ5本があり、樹高20メートルほどで、いずれも大きく枝を広げ樹勢は旺盛です。
江戸の名高い植木屋であった伊藤伊兵衛の家説に、トウカエデが渡来した時の経緯が残されており、中国から贈られた経緯が残されており、中国から贈られたトウカエデを伊兵衛が接ぎ木して増やした旨が記されています。なお中国では唐楓ではなく三角楓といいます」と紹介されてました。
巨木の本にはトウカエデの樹齢の記述がない。けどトウカエデを伊藤伊兵衛が接ぎ木して〜というのとパンフレットに吉宗ゆかりのトウカエデとありダブル検索したら、江戸の園芸家で「染井の霧島屋の園芸家で当主は代々伊藤伊兵衛を名乗る」とありました。で、伊藤伊兵衛は何人もいると判明する。絞り込まねば。カエデ好きあたりでおそらく伊藤伊兵衛政武さんだと予想。この人が活躍したのが18世紀前半の享保年間で、まさしく吉宗の時代でした。ということは享保年間が1716年から1736年かつ吉宗が8代将軍に就任したのが享保元年(1716)なので、トウカエデの樹齢は2019年−1736年=283年なので樹齢およそ300年といったところです。

一番大きな木の根元あたりを撮影しました。根元辺りも派手な木だなあ。

大きさを堪能出来そうな場所からダンナを入れて写してみた。紹介したのは5本のうち3本だけ。1本は細くてしょぼい枝ぶりだから、後世に元の木が枯れたかどうかして改めて同じ木を植え直したのではないか?と推察。もう1本は上の2本の更に左手にあるのですが、周りに木があり訪問時には日陰気味。撮影に失敗した。
最後に富士見山に登ってみた。

写る池が潮入の池。向こう岸にトウカエデが並んでます。枝ぶりを鑑賞するには冬がおススメだけど、この木が赤や黄色に紅葉するならば、秋に再訪するのもいいかも?さて訪問目的の巨木探訪は満足したけど、浜離宮恩賜庭園は徳川将軍家の庭園です。歴史探訪もやるべきだ。ええ。既に時刻は10時半だけども。やるべきだ〜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・浜離宮の三百年の松と菜の花と梅の競演

2019年02月26日 05時51分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月24日9時6分、浜離宮恩賜公園に到着。訪問日は天皇在位30年慶祝記念事業で入園料300円が無料でした。
大手門入り口で法被を着たおじさんに訪問目的の2つの巨木の所在を教えてもらい入園。
と、すぐに巨大な松の塊が目に飛び込んできた。

まさかの!1本のなんだよ。大きさがわからないかと思い、いつものようにダンナに松の前に立ってもらった。本当は全景の中に散策者を入れて撮影したかったけど、開園直後とあってまだ人がいない。

この松も特徴的な形をしているなあ。逆光だったのが残念〜。画像左手の土手の上に、松の幹があり地面に繋がってるのはここだけです。さすがにお手入れがいいわ。
説明板発見:三百年の松
およそ300年前の宝永6年(1709)6代将軍徳川家宣が、この庭園を大改修した(その時から「浜御殿」と改称された)ときに植えられたと伝えられており、その偉業を表現するような雄姿は昔時をしのばせるもので、都内では最大級の黒松であります」
巨木の本によりますと、「正面から見ると、幅約20メートルにわたって傘状の枝が重なり合い、高さ7メートルに及ぶ台形の樹冠を作っています。」とあります。本にも書いてあるけども、さすが将軍家の別邸から宮内省所管となった浜離宮の玄関の松で管理が完璧です。もうね、イメージとしては、手塩にかけた盆栽をそのまま拡大出来ました!という感じ。浜離宮を目指したワクワクが、更に大きくなってきた。公園入り口で会った法被を着たおじさんおすすめのコースで先を目指します。

なんと!目の前が半分黄色に染まりました。

黄色い花は菜の花です。京都とかの有名なお庭って、東山を借景に取り入れて、庭を雄大に見せる造りですね。ここを菜の花畑にした人の汐留のビル群を借景に取り入れて楽しんでね。という意図が?
訪問は2月24日で、菜の花の北側には年を経た老梅が、見頃を迎えてました。

いい香りっ。朝だとよく香りますね。まあ梅の芳香より菜の花の香りが勝ってますが。
菜の花畑を抜け、ぼたん園と藤棚を横目に進むとお城によくある内堀が現れる。
抜けると休憩所。傍に売店。でもここの売店少し変わってる。

和テイスト溢れてますね。
ああっ!あれはもしや〜〜〜っ!!

欲しかった徳川デザインのコーラ発見!
朝一ですが、買いますっ。
「1本下さい〜」
「140円です。冷たい方がいいですか?」
「いや、常温の方で」
「お土産ですか?」
「ハイっ」自分土産です。(にこにこにこ)
と「袋に入れますね」と取り出したのは、紙袋です。うおっ!!コーラを紙袋に入れる??
差し出された紙袋には家紋をいくつかデザインしプリントされてました。
うお〜〜〜っ!!にこにこにこにこにこ。
売店の販売員さんが「ちょっとしたことですが」これが日本のおもてなしという奴か〜〜!!
「ありがとうございます」
と、そのまま傍の休憩所に直行。せっかくの徳川デザインの紙袋をぐしゃぐしゃにできないので、速攻背負ったリュックのA4ファイルに挟みました。

私さ、海外旅行に行くとどこでもあるコーラ缶を買って飲み、空き缶を自分土産にして集めてました。結構違うんだよね。タイのコーラ缶は旅行時アメリカでサッカーワールドカップ開催中だったから、デザインも豊富で楽しかったなあ。数年前軽く断捨離にハマってた時に、うっかり世界のコーラ缶シリーズを何点も捨ててしまい未だに後悔してるけど。徳川デザインコーラは捨てないようにしないと!
休憩所で腰掛けたら、目の前に見頃の梅。こりゃいいや。少し早いけどおやつにしよう。

取り出したのは私の故郷で一番の銘菓「観音寺」です。梅によく合うなあ〜。

熱いお茶をお供に一服しちゃいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・世田谷区、善養寺のカヤ

2019年02月23日 05時44分51秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月17日、東急ワンデー切符を使って巨木探訪散歩、ラストは等々力渓谷を抜けた先、国分寺崖線沿いにある善養密寺さんの巨木、カヤです。
14時48分到着。ついてびっくり!巨木目当ての訪問でしたが、なんか、巨大な石像があちこちに!な、なななな〜〜っ!!訳分からんわ〜。
やや、ともかく巨木です。目的のカヤは斜面にどーん!と立ってます。いい感じに大きさを感じられる場所を探す。

いつものようにダンナに木の側に立ってもらおうとしたのだけれど足場が悪い。斜面な上に石が多いんだ。

あ。説明板発見:善養寺のカヤ 昭和39年11月21日指定
本堂前に立っているカヤは、高さ約18メートル、幹囲約7メートルの雌株で、稲城市の「高勝寺のカヤ」に次ぐ規模です。立地から、南からの風を受けることが多かったため、枝が北へ大きく張り出しています。樹冠下部の枝葉がしだれ、見応えがあります 平成22年3月」
じゅ、樹齢を書いてない〜。最近巡った巨木探訪でカヤをみたのは、海老名の大谷観音堂です。
巨木探訪・大谷観音堂のカヤ(2019年1月31日)の記事
このカヤ推定樹齢は400年。善養寺さんのカヤは更に大きい。
記事を書くにあたり調べたところ、WIKIに「樹齢700年とも800年ともとあり、更に東京都の天然記念物に指定されている」と出てました。

全景が入る場所を探したけど難しい。撮影時刻が午後3時前後でして、順光撮影では全景撮影出来る場所がなかったんだ〜。

で。これ!善養寺さんの境内には巨大な石像があちこちにありまして、せっかくなのでカヤと絡めて撮影してみたのが河童です。あたりにはカエルやカニもいました。もう石像のピックアップが謎〜!と現場では思ったのですが、WEBの海で樹齢を探していた時に「このカヤには豪族の娘が助けた沢蟹親子の恩返し伝説があり、そばには沢蟹やカエル、河童の石像が設置された」とありました。そうだったのね。

真下から見上げると樹冠が見えません。樹高18メートルと説明板にありますが、枝が大きく広がってるので、もっと高いように見えます。迫力あるなあ〜。
 
少し心配なのは、根元に洞があったこと。まあ、冬でも葉っぱが元気なので大丈夫だと思うけどさ。

ちなみに、本堂も個性的。
説明板発見:大毘盧遮那殿 影光山善養密寺(真言宗智山派)
本尊は大日如来坐像、開山は祐栄阿闍梨で慶安5年(1651)7月26日に遷化している。総本山智積院の末で、『新編武蔵風土記稿』によれば、昔深沢村からここに移され、鎮守六所神社の神輿を入れる神輿堂や閻魔堂があったことが記されている。
昭和36年4月奈良唐招提寺様式の金堂が建立された。また境内にあるカヤの大木は昭和39年に都の天然記念物に指定されている」
と、唐招提寺金堂〜??色がぁ〜!!

先年インドを旅した経験から、数多い像からガネーシャ像をピックアップ。でもこれは石像でなく金属製っぽい。
これもガネーシャ。

そしてアショーカ王の石柱。まさかここで出会うとは!インドの聖地ヴァラナシ郊外にブッダが弟子に初説法をしてサルーナートというところがありまして、そこの資料館でアショーカ王の石柱を見ました。
北インドの旅8日目仏教の聖地サルーナート(改)(2016年4月15日)の記事 こちらの記事は2016年2月のインド旅行の記事です。お釈迦様が初めてここで5人の弟子に説法を行いました。現在は、後世代にイスラム教徒による聖地の破壊に会い、アショーカ王の石柱は柱の残骸部分が残ってます。石柱の上に設置されたライオン像は、資料館に展示されてます。
でも旅人はインドルピー紙幣や硬貨にデザインされてるライオン像を目にしてるかも?
おまけ:お土産(2016年4月23日)の記事 こちらの記事は2016年の2月のインド旅行のお土産紹介です。記事の最後の方に、インドの硬貨と紙幣を掲載してます。ライオンのアショーカ王の石柱の画像を確認できます。

さて、この石像の裏が駐車場。入り口の石に腰掛けておやつ休憩です。ナボナをぱくついてたら、視線の奥にピンク色を見つけた。何かしら〜?

河津桜が数輪開花してました。おお!もう春がすぐそこまで来てるのね。
15時9分出発。考えて等々力駅に戻るのではなく一駅先の上野毛駅を目指すことに。
実は善養寺さんは国分寺崖線の下にあるので、駅までゆるい上り坂です。
15時22分、第三京浜の高架下に到着。

高架の壁は近所の子供らのひまわりが描かれてました。もう10年以上前に描かれたらしいけど、ひまわりに落書きはない。高架下なんか落書きしやすいと思うのに。ここに子供らにひまわりを描かせた人のナイスアイディアだったなあ。第三京浜の端から端までひまわりがあったので、個性的なひまわりを選んで撮影。

ここさ、大きな桜を残して建物を建てた感に溢れてました。逆光だから色が出てないけど、建物はアースカラーでした。ナイスアイディアだと思うのに、建物に使用感がないのが不思議〜。出来たばかりなのかな?

15時36分、ようやく上野毛駅に到着です。一昨年の11月、都内の安藤忠雄デザイン建物巡りをしたときに訪問済み。でもダンナは見た事ないだろうと案内したのです。

ホームで電車待ち。ダンナが何かやってますね。実はこのあと「今日の歩数計」とスマフォを見せてくれた。まさか!の19000歩超えだった。
嘘だ〜〜〜!!そんなに歩いてないよ〜!!
ヤバい〜〜。今回の散歩は痛めてる腰痛と右足痛のチェックもしてたのに。2万歩はマズすぎる。歩き過ぎ〜〜!!
もちろんヤバかったの。私のバカ〜〜!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍木探訪・玉川神社のとっくりクス

2019年02月22日 05時53分12秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
東急の1日乗り降り自由券・ワンデー切符(660円)を使い、渋谷の国学院大学博物館で刀剣展を見学→大井町・光福寺で800年のイチョウでひと驚き→等々力・玉川神社さんに2019年2月17日13時50分到着です。環八通りに面する石段を上がる。
説明板発見:玉川神社
ご祭神:伊奘諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神
例祭:9月28日
ご由緒:文亀年間(1501−4)に世田谷城城主吉良頼康が勧請したものと伝え、別当は、満願寺で等々力村の鎮守であった。
明治5年に村社に定られ、同41年に熊野神社の社号を玉川神社と改め、付近の天祖神社、諏訪神社、御嶽神社を合祀した。
境内には、郷土開発の偉人、豊田正治翁の碑などがある。 世田谷区教育委員会」
石段を上り鳥居をくぐる。右手に手水舎。その奥に目的のとっくりクスがあった。

ハイライト代わりにダンナに木の横に立ってもらう。もうお約束。木のサイズを画像から想像するにはこれが一番。

特徴的にしもぶくれのクス。東急電鉄は世田谷区を縦横に走ってる。散策してると世田谷区の名木百選と名札がある木を見かける。しかしこのとっくりクスは世田谷区名木百選にあっても<番外>です。しかし特徴的な形。巨木ではないけども見てみたい!と寄ってみた。
目通りで幹の直径1、6メートル・根元の幹が膨れた部分で直径2、5メートル

膨れた幹の表面を撮影してみた。木肌が変わってる。触ってみた。ほんのり暖かい。生きてる感じが手のひらに伝わった。木を見上る。頭の上で枝分かれしてて7〜8本もあるかな?しかしどれが主幹なのか判断できない。木自身が頭が大きいから根元を膨らましてバランスをとることにしたみたいだね。
ちなみに、巨木撮影のお約束では、なるべく巨木の全景を撮影することにしている。けども、手前に手水舎、両脇に木があって、全景撮影出来ません。
社殿で「境内撮影させていただきました」とお礼の参拝。
面白いものを見つけた。

石獅子山です。
山には獅子が3匹。

足元に子供。

山の上に親。時折神社巡りをしていると、石獅子山を見ることがあります。石の上に獅子の像を配置するのはありがちですが、下で見上げる子供の像はあんまりないなあ〜。
さて、境内のベンチで遅めのお昼ご飯です。

ちなみに、ベンチを設置してる神社は多いですが、寺院にベンチはほぼありません。散策ではどこでお昼ご飯を食べるか?が大事。事前にめぼしい公園があればいいのですが、散策コースにない場合は神社さんがオススメです。私は神社さんでお昼ご飯にした時は、神様にご挨拶と境内をお借りしたお礼は伝えます。
ちなみに、上の画像の左奥にこんもりしてる中にとっくりクスがあります。反対の右手のクスの方が樹高がありおそらく樹齢もそっちが上。とっくりクスはその姿がインパクトがあるので玉川神社さんを訪問のさいは、見忘れないようにご注意を。
さて、時刻は14時8分、出発です。環八通りを西へ抜けようとしたのですが、環八通りは大井線を高架で跨ぐ構造でした。その上り降りが嫌〜〜〜!!で。等々力駅に引き返し南へ。

成城石井のところで右折。過ぎたら階段を降りる。と、等々力渓谷に到着。
の前に、上の画像に写る木は先程紹介した世田谷区の名木百選の1本のケヤキです。ここさ。根元も撮影したのでみて。

これ、木が呼吸出来ないんじゃないの?人間に便利だけど、木には辛い環境だなあ。

で、14時19分等々力渓谷到着。散策してる人が多かった!

実は等々力渓谷を訪問したのは2度目。でも前回とは視点が違う。

向かいの木の根っこが一目瞭然。地層で土の硬さが違うようで、木の根っこが真横に発達している。

しかしシュロが多い。昨年末、目黒の自然教育園を訪問した時に、モミジの紅葉ポイントでシュロが増えてるというのをみたけども、ここも多いなあ。これも温暖化かな?
14寺40分、等々力渓谷の南の端が矢川橋でアスファルトの道路に出た。そこを右折。緩やかな上り坂。突き当たりをちょい右。その道も緩やかな上り。突き当たると次の巨木がある養善寺さんの墓域に出た。表に回らなきゃ。む!今度は坂道を下まで降りなきゃならないのか〜。

14時48分坂下に到着&養善寺さん到着〜。「大榧」って書いてあるね。たぶんあの奥のこんもりしてるのがそれかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・光福寺の800年イチョウ

2019年02月21日 05時05分01秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.17参拝。渋谷の国学院大学博物館で神剣展を見学後、東急ワンデー切符を利用して、大井町駅に到着。池上通りを徒歩で南下。大井第一小学校を過ぎて左折。右手に大きな木が見えた。あそこだ〜!!
山門前に開扉時間のお知らせが出てた。開門:午前8時 閉門:午後5時

でかいっ!すごいっ!
巨木探訪は予め本とかネットで下調べして訪問します。けども実際行ってみれば大きさが違うだの柵があって肝心の木に近づけないというのはザラにある。光福寺さんは事前調べで樹高40メートル、幹の直径2、3メートルの巨木と書かれてました。けども既に100本近い巨木を見物済みのなんちゃって巨木愛好家な私は「イチョウで樹高40メートルだと?ナイナイナイ!」とか思ってたんですね。でもさ。実際目にしたイチョウは凄みさえありました。

いつものようにハイライト代わりにダンナに木の横に立ってもらう。

見上げると垂乳根がいっぱい。

垂乳根は樹齢100年あたりになると生じるらしい。

訪問は2019年2月17日、イチョウは完全落葉状態です。よって葉っぱがないので、幹の状態や垂乳根、枝ぶりがよくわかります。

あ、説明板発見:品川区指定天然記念物光福寺のイチョウ 指定:昭和53年2月14日
本樹は雄樹で、幹の周りは7、2メートル 高さは40メートルあり、推定の樹齢は約800年です。区内の最大樹で、麻布善福寺の「さかさイチョウ」と兄弟といわれ、整った木の姿は壮観である。
麻布の樹齢750年超の善福寺(2017年12月16日)の記事 こちらの記事に麻布善福寺のイチョウの画像があります。
幹と大枝からは古木であることを示す乳根を垂らしている。明治時代まで、沖合の漁師たちは、航行の目標にしたといわれている。
イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さは30メートルにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(メスとオス)それぞれ別の木となる。 平成28年8月31日 品川区教育委員会」
木を一周する。垂乳根は東側から見上げるのが一番多かった。けども撮影時刻の12時半過ぎには完全逆光で真っ黒に。PCに取り込んだ画像を処理し、明るさをあげてみた。
垂乳根が多いのはわかるよね?
あれ?説明板がもう一枚。
品川区指定史跡:大井の井 指定:昭和53年11月22日
この井戸には、鎌倉時代に親鸞上人門下の関東六老僧の一人として活躍した了海上人にまつわる話が残されている。
寺伝によれば、了海上人の乳が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が懐妊し、男子(了海)を出産した。その時、境内にこつ然と泉が湧き出したので、この泉の水を産湯として使い、泉を大井と命名したという。
大井の地名は、この泉に由来すると伝えられている。
この泉は、当寺本堂裏の墓地内にあり、横穴式の古い型をした井戸で、今でも水が湧き出している」
ならば!と井戸を確認する。

裏手は墓地で、奥に向けて坂を上る。井戸は見つかったけど、柵があって近づけず上から見下ろした。水があるのは見えた。さて、時刻は12時50分。東急大井町駅に引き返す。行きは地図と睨めっこしてて通りの店が見えてなかったけど、池上通りに並ぶ店は昭和の香りが残る佇まいです。
大井町駅に戻ってきた。信号待ちの間、側の建物が目に止まった。
「この植物本物かな?それともイミテーション?」

ダンナが確認してくれたところ、全て本物の植物だった。根元に鉢が並んでいる。
すごいわ〜。一昨年だったか、八王子で全国都市緑化フェアが開催されたので見学に行ったら、こう植物の壁がありました。
全国都市緑化はちおうじフェア(2017年9月22日)の記事 こちらの記事に、生きた植物の壁の画像があります。
でも冬でもここまで綺麗な色合いだとは思ってなかったので感動です。画像奥の建物の壁面も植物ですよ。驚きでしょ?

大井町駅と光福寺さんをピストン移動しただけで疲れ気味。最後、イトーヨーカドー前の上り坂ではつい視線が足元に。で、品川区のキャラマンホールを見つけちゃいました〜。
時刻は13時15分。大井町線に乗車して等々力駅へ移動する。

駅から徒歩8分、環八通り沿いに玉川神社の階段を発見!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の切株撤去法!?

2019年02月13日 09時13分05秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
1月、近所の米軍住宅にある桜が切り倒されてるのを見つけ大ショック!
もうね。毎年桜の季節が近づくと、開花情報の指針にしてる桜だっただけに私にダメージが大きい。
先月の末、いつもの接骨院でハリとお灸の施術を受け、ヘロヘロになって帰宅途中、急ブレーキ!もしや、桜の切株を撤去してるのでは??

自信がなかったのは、大きなクレーンが目一杯アームを天に伸ばしてること。アレは本当に切株を撤去してるのか??
観察開始。おもむろにアームから垂れてるぶらぶらしてるものを切株に繋ぐ作業が始まった。

おそらく、切株が倒れた時に想定外のことが起きて作業員に危険が及びそうな時に、クレーンに繋いてたら切株をぶら下げることができるから。事故を回避できる。
しっかりロープをかけたらチェンソーの出番です。

真っ白い煙が巻き上がりと大きな音が周辺に響くのですが、あれ、切れてないよね??
と、不意に遠くから作業を眺めてたおじさんが大声をあげた。
「くさびっ!くさびをかませろっ!!」
金網を挟んでおじさんのすぐ後ろにいた私は、おじさんの大声のびっくりして、チェンソーが白煙を上げてる場面の撮影をしそびってしまったのですが、やっぱり切り倒したばかりの桜は手強かった模様です。
そうだよな〜、桜ってさ硬いんだよ。確か、江戸時代、浮世絵の版木に使う木は桜だった気がする。硬くて変形が少ないからわざわざ桜で彫ったはず。つい先日、枯れてもない桜を切り倒したばかりなんだから、ちっこいチェンソーなんか刃が立たなくて当たり前。
遠くから叫んだおじさんは、作業全体を管理する親方的な人な模様。
「止めろ!煙が多すぎる。続けたら止まるぞ!!」

と。やっぱな〜。作業は始まったばかりで観察を続けたかったけども、親方の後ろで撮影を続ける根性は私にはなかった!ってなことで撤収〜。これは1月28日の作業で、次に米軍住宅のそばを通った時には綺麗さっぱり桜があった痕跡が消えてました。

そこだけ芝生を丸く切り取った土が残るだけ。あそこに次も桜を植えてくれるのかな?どうだろう〜。何しろ金網の向こうはアメリカですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢原市・上粕屋神社の巨木

2019年02月10日 07時23分11秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月3日の巨木探訪。小田急のお得きっぷ、丹沢・大山フリー切符Bを使い、

厚木市・妻田薬師のクス、

秦野市・鶴巻の大ケヤキ
を見物。次に向かったのは伊勢原駅です。
北口4番バス乗り場から伊41系統12時53分発で山王原バス停下車。東へ徒歩数分。13時10分上粕屋神社に到着しました。
目的のケヤキはどこかしら?
あれっ!!YAHOO!の地図をプリントアウトしての散歩なのですが、着いたところは参道入口でなく、途中の境内入口だった模様です。せっかくなので参道入口まで参道を逆向きに引き返す。

改めて、上粕屋神社さん到着〜。上の画像奥に白い鳥居が見えますね。そこがトップ画像の撮影場所。
にしても上粕屋神社さんの参道って巨木が多いなあ。せっかくの巨木探訪なので、やはり巨木は紹介しておくべき?と思いまずは参道入口から参道奥に向かい紹介します。
ああっ!!上粕屋神社さんの参道をお手入れしてる方は植物好きな模様ですっ。参道の植物にネームプレートや樹齢プレートを設置してくれている。
ってなことで、設置してある樹齢プレートを合わせて紹介。まずは参道入口左側から。

イチョウ・樹齢200年

参道入口右ケヤキ・樹齢600年

参道中央右に2本並びカヤ・樹齢200年2本とも同じ樹齢でした。

参道最奥左カヤ・樹齢600年

参道最奥右カヤ・樹齢600年
む〜ん?先ほど見たばかりの鶴巻の大ケヤキは、樹齢600年で幹周囲10、3メートルでした。樹齢プレートに書いてある上粕屋神社さんの樹齢は同じケヤキで600年と書いてありますが、巨木だけどそこまで太くないんだよねえ。まあ、木は生えてる環境や土の栄養によって樹形も大きさも変わるから一概には言えないけども。一説には設置されてる樹齢は推定樹齢。本当の樹齢は➗2が目安です。と、もう10冊以上図書館で借りた巨木・巨樹の本のどれかに書いてあったんだよね。上粕屋神社さんの樹齢プレートは➗2に含まれるんじゃないかな〜?まあ私は去年から巨木巡りし始めたばかりなので迂闊なこと言えないけどね。
あ、説明板発見:上粕屋神社由緒
本神社の勧請年月は詳らかでないが、大同弘仁の頃近江の国の日吉神を当初に移し勧請したと伝える。又風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりという。
元禄4年幸末社を再建し、山王権現と称した。徳川幕府御朱印高一石5斗であった。
明治2年6月日枝神社と改称し、当地の例大祭は3月2日で、競馬神事神楽を奉納、6月22日と12月2日には歳の市を執行した。
明治6年葵酉7月、字、和田内鎮座の熊野神社(朱印高2石)と字、石倉上鎮座の白山社を合祀し、上粕屋神社と改称した。
更に、昭和39年4月、字、峰岸鎮座御嶽神社を昭和41年10月字、秋山鎮座の五霊神社を合祀して現在に至っている。
例大祭:4月3日
御祭神:大山咋神 大穴牟運命 若山咋命」
うわ〜、説明板にも明治以降m多すぎる神社さんを統合整理した政策で上粕屋神社さんにも他4社が合祀されたからか、合祀御祭神の数が多いわ〜。
御由緒説明板はこう続きます。
「合祀御祭神:伊奘諾命 速玉男命 事解男命 伊奘冊命 菊理姫命 泉道守命 天穂日命 大己貴命 少彦名命 事代王命 三穂津姫命 日本武尊」
実は撮影画像にはここまでしか写ってない。私の携帯は二つ折りのガラパゴス。この日はお天気が良すぎて手元の画面が真っ黒なんで、撮影時は勘でシャッター切ってまして、画面に説明板全部入ってると思ったんだけどな〜。やっちまったぜ。ヤマトタケルの尊の後にも合祀されてる神様がいらっしゃったかもしれん。
ってか、元々は一軒家暮らしだったのに、長屋に変わり、気づけばマンション暮らしになった神様たち。賑やかでいいと思える神様ばかりじゃないと思うけども。賑やかなのがいい神様には合祀はアリだったのかな〜??
ところで!
私が今回かながわの名木100選に選出されていない上粕屋神社さんに立ち寄ったのは、変わった形の巨木がここにあるとWEBで見つけたのもあるのですが。今を去る事約10年前、5月の末に脳梗塞を発症した私は、7月初めに退院し以後リハビリを頑張りまして、その時初めて伊勢原市の大山阿夫利神社と大山寺を参拝しました。行き帰りのバスの中で「道灌塚」というバス停を見つけまして、「道灌ったら太田道灌??」とひらめき、勢いでボタンを押してしまいました。
太田道灌の所縁の地なの?(2009年11月29日)の記事 
この時は太田道灌のお墓を見つけて参拝できたことで満足したのですが、帰宅後記事を書くにあたり、「太田道灌は殿に呼び出された上杉館で風呂に入ってる時に暗殺された」とありまして、墓の近くに暗殺された上杉館があったのを知ったのです。で、もしや(上)粕屋神社って、元はそこに太田道灌が暗殺された上杉館があったのじゃないの?と思い確かめに来たんですよ。でも、上粕屋神社さんの御由緒を書いた説明板には一言もそんなことは書いてませんね。あれ〜?ま。いいか。もひとつの目的WEBで見た面白い形の巨木を見物しよう。

黄昏て鳥居前の見頃の白梅を見上げる。本当に見頃だなあ。これ。

参道奥の左右にある2本の大ケヤキ。その奥に白い鳥居が見えますね。これがトップ画像に写る鳥居です。鳥居の奥にも参道が続いてまして、巨木があります。

根元にあるプレートに伊勢原市保存木のクスノキとありました。

で、目的の変わった形の巨木が見えてきた。

ダンナにハイライト代わりに木の横に立ってもらう。
これまた洞のある巨木です。個性ありますよね。ケヤキかな?ってかご神木だったんじゃん!
WEBには載ってなかった木の裏からも鑑賞。

訪問は2月3日なので、完全落葉状態で枝ぶりがよくわかります。葉っぱがあると枝ぶりが見えなくなるので、イチョウやケヤキのような落葉樹は冬が観察に適してると私は思います。桜だけは花の咲く時期に見たいと思うけども。しかし、参道には樹齢プレートがあるのに、一番知りたいご神木に説明板も樹齢プレートもないってどゆこと??いや〜、でっかい洞が空いてるからこれが個性なんだけどさ。こうも特徴的な木だと、洞が出来た時期とか言い伝えとか残ってそうなものだけどなあ。ご神木の樹齢は謎のまま。

後回しにしてしまったけど、今喪中なので神社で参拝は極力控えてるのですが「境内を撮影させていただきました」とご挨拶だけは済ます。

あれ?ここの社殿の正面って亀?それも海亀??なぜだ〜??注連縄の形も少し違ってるし??神社鑑賞ポイントは多いなあ。私には神社仏閣鑑賞の知識が不足してる。

これは手水舍のそばにあった伊勢原市の保存樹木のケヤキです。伊勢原市の保存樹木には樹齢プレートが置いてなかったよ。ちなみに参道にはちらほらベンチがあって休憩できるようになってました。時刻は13時26分出発です。せっかくなので、太田道灌のお墓にも参拝していこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・鶴巻の大ケヤキ

2019年02月07日 05時47分17秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
鶴巻温泉駅はピカピカだった!南口改札は3階にあって、2階へエレベーターで降りた。右足と腰を痛めてて高低差がネックな私にはとても嬉しい出来事でした!駅前の坂道を西へ上る。最初の信号を右(南)へ。信号待ちになって、南を向くと大きな木の枝が空に突き出ているのに気づいた。あそこだわ〜。
目的の鶴巻の大ケヤキに12時1分到着です。てっきり公園の端っこに目的の木があるとばかり思いましたが、敷地は狭く大ケヤキのために作られた公園に見えますねっ。

かながわの名木100選の石碑発見:鶴巻の大ケヤキ 県指定天然記念物 昭和28年12月28日指定
樹高:30メートル 胸高周囲:10メートル 樹齢:約600年(推定)
県下で最も太いケヤキで、「逆さほうき」状のケヤキの典型的な樹形ではなく、むしろエノキに似ているため、昔から大エノキと呼ばれて親しまれてきた。
昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選定されている。」
む〜ん??樹高30メートルだと?
見上げる。

パッツンいってます。あれだな。かながわの名木100選に指定された時には樹高30メートルあったけど、台風かなんかで折れたんだろうなあ〜。
長生きしてる木は個性がある。この木はなんといっても大きなコブ!

画像でサイズが分かりにくいのが残念です。一周する。

訪問は2019年2月3日、完全落葉状態なので、葉っぱは全くない!となると、もうね。木に見えない。圧倒的存在感です。
あ。ベンチ発見!ちょうどいいので大ケヤキを眺めながらパンと熱い紅茶でお昼ご飯〜。

パンにぱくついてたら、大ケヤキの大きな枝の上でスズメがぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。しかも3羽も。画像に3つの枝が写ってますね。一番左の股の部分を跳ねて、枝の穴をスズメが入ったり頭を出したり。あ!もしかせんでもシャッターチャンスなんじゃ??気づくのが遅すぎっ!リュックの中のデジカメを取り出す前にスズメに逃げられる〜。ボケてんじゃないぞっ!自分っ!!後悔は先に立たずなんである。

当日は2月と思えないポカポカ日和で、サイクリンググループが道路を横切っていく。これも十分シャッターチャンスだな。
さてと?出発するか!のまえに、大ケヤキの別角度からの全景画像が欲しい!

幹線道路はバス路線でもあるようで、こんなん見つけてしまった。

停留所の名前はズバリ「大けやき」です。これ以上ないわかりやすい名前だなあ。
ちなみに『巨木』の本に掲載されてる記事によりますと、「秦野市から平塚市に通じる幹線道路がケヤキの根の上を通ってしまった。その振動と排気ガスをまともに受けてしまった大ケヤキは、年々樹勢が衰えはじめ、30メートル以上あった主幹も失い、現在はほぼ半分の樹高になってしまった。このケヤキの最大の特徴であった根元の大きなコブも樹皮がはがれてしまい、無残にも白骨化してしまった」と書いてありました。かながわの名木100選の石碑を読んで大ケヤキの樹高が違うのは台風なんかで枝が折れたのだろうと思ったのに、犯人が人だったとは残念だ。今ならこんな立派な木が道の予定地にあったなら、配慮もしただろうに。道路敷設の時代がマズかったなあ。
あ?説明板発見:神奈川県指定天然記念物 鶴巻の大ケヤキ 昭和28年12月22日指定
このケヤキは昔から落幡の大エノキとして、村人たちが保護して育ててきたものであるが、実はケヤキである。
根回り12、25メートル 目通り10メートル 樹高30メートルにおよぶ大木である。
ケヤキはニレ科の温帯性高木で、ヤブツバキクラス域白樫群集ケヤキ亜群集に位置付けられている。県下では沖積地や台地斜面などに自生しているため昔から親しまれてきた木である。屋敷内に植栽されることも多く、しばしばケヤキの見事な屋敷林も見かける。このあたりではケヤキ林が自然植生で栄えていた。
大ケヤキは落幡の神木として村人たちが豊作と生活の平安を祈った名木である。郷土を代表する木として長く保存する必要があり県指定天然記念物に指定したものです」
落幡?確かすぐそこに落幡神社さんがあったなあ。寄ってみようかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・妻田薬師のクス

2019年02月06日 15時45分40秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年2月3日訪問。小田急のお得きっぷ、丹沢大山フリーきっぷBを使ってまた巨木探訪をしました。またというのは去年6月に巨木探訪日向薬師の幡かけ杉
巨木探訪・宝城坊の二本杉(2018年7月4日)の記事・飯山観音のイヌマキ
巨木探訪・飯山観音のイヌマキ(2018年7月8日)の記事でも丹沢大山フリーきっぷBで巨木探訪しました。
8時58分発小田急相模原発で本厚木駅へ9時17分着。5番のりばのバスは便数が少ない。9時40発厚20宮ヶ瀬行きで及川バス停に9時55分着。目の前は小鮎川が流れていて、遠く丹沢の山並みが見えた。山は雪をかぶっている。
さて、徒歩で東へ。実は目的地の妻田薬師にはもっと近いバス停もありますが、そっちは丹沢大山フリーきっぷは使えないんだな。ってなことで、歩くこと約20分、10時20分妻田薬師に到着です。

感動してたら目の前をロッキーのテーマをガンガンに流しながら選挙カーが通り過ぎた。

山門をくぐったら左手にけやきの大木があった。思わず撮影。

正面に薬師堂。「市指定有形文化財で、薬師如来を安置してます。永禄12年(1569)の二増合戦の時に、武田信玄によって焼かれたと記録に残ってます。現堂は宝暦8年(1758)の再建ですが、内部の須弥壇とその両脇の2本の来迎柱は旧堂のものです」以上説明板より。
そして右手に訪問目的の巨木妻田のクスです。
かながわの名木100選の説明石碑発見:妻田のクス
県指定天然記念物 昭和29年3月30日指定
樹高:22メートル 胸高周囲:11メートル 樹齢:約800年(伝承)
県下有数の太さを誇る巨木・古木である。かつては幹に残る火傷の跡があり、武田信玄が小田原攻めの帰路、社堂に放った火が燃え移った名残と言われている。
昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選出されている。」

まずは西から東へクスノキの全景を撮影。

この木の特徴的な空洞を。旦那にはハイライト代わりに横に立ってもらいました。この木は幹周囲に囲いがあるので、直接幹の触れません。真横にも立てないので、上の画像で旦那は木の手前にいます。

実際目の前で見ると、空洞は大きくて、中に安置した石造りの地蔵像も巨木の本で見た画像で想像してたより大きいと思いました。

なんとか大きさが分からないかな?と少し下がって撮影してみた。

ついでに空洞の裏側からだとこんな感じ。

満足して10時34分出発、及川バス停に引き返したら11時7分発のバスに間に合った!11時25分ちょい過ぎに本厚木駅に到着。次はいつでも行ける〜とパスしてた鶴巻温泉駅から徒歩10分の鶴巻の大ケヤキです。
鶴巻温泉駅に初下車。びっくりしたのは駅が木製なんです!

木の壁に触れてみた!本物の木だった!!何気に驚いた〜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・海老名の大ケヤキ

2019年02月02日 05時45分50秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年1月27日、海老名の巨木と歴史探訪ウォーキングをしました。
12時44分、3つめの巨木海老名の大ケヤキに到着です。
説明板発見:海老名の大ケヤキ 神奈川県指定天然記念物 昭和29年3月29日指定
このケヤキは、かつて船つなぎ用の杭として打ったものが発芽して大きくなり、以来、人々が保護し育ててきたものと伝えられている。
根回り:15、3メートル 目通り幹囲:7.5メートル 樹高:20メートルに達する大木である。
ケヤキはニレ科の温帯性落葉高木で、県下でも沖積地や台地斜面などに自生しているため昔から親しまれてきた。屋敷内に植栽されることも多く、しばしばケヤキの見事な屋敷林も見かける。
もともとこの辺りでは、ケヤキ林が自然植生として栄えていた。昔の人が生活の知恵から打ち付けた杭も、ちょうどこの土地に合ったものを使ったたけ、現在見られるほどの見事なケヤキに生長したものと推定される。郷土を代表する木として、長く保存する必要があり、県指定天然記念物に指定したものである」
む〜ん。確かに太くて存在感抜群なんだけどさ〜。

この木にもドアがついてるんですけど〜。
上の画像の手前の枝も既に枯死してるように見える。訪問したのが1月27日なので、葉っぱが繁ってる時に再訪すれば、生きてる枝か枯死してる枝かわかると思うけどさ〜。もうなんとか生きて欲しい!と。巨木だけども痛々しいわ。精一杯の手当てはしてるのだろうなあ。説明板には樹齢が書かれてないけど、大ケヤキが船つなぎの杭として打ったものならば、相模川段丘の下まで相模川が流れていた頃のことだろうから、何百年と生きてるのだろうなあ。太いし。でもなあ。説明版には「樹高20メートル」と書かれてるけども、そんなに高くは見えない。説明板を設置した頃にはその高さがあったんだろうなあ。
12時47分出発。さて、次はウォーキングゴールに設定した国分寺跡地です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨木探訪・大谷観音堂のカヤ

2019年01月31日 05時25分00秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年1月27日、海老名の巨木と歴史散歩をしました。南の本郷にある有馬のハルニレ椿地蔵のツバキ内宮・豊受大神大谷観音堂のカヤ(今ここです)到着は11時36分。相模川の河岸段丘を全部降りてしまいました。

かながわの名木100選の石碑発見:大谷観音堂のカヤ
幹が2本に分かれた珍しい巨木で、樹林の中にあってひときわ堂々とそびえている。「相生のカヤ』とも言われて親しまれている。
樹高:20メートル 胸高周囲:7メートル 樹齢:約400年(推定)
カヤは宮城県から屋久島の山地に生える常緑高木で、幹は直立し、よく分枝し、横枝は水平に出る。
樹高35メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約1000年に達するものもあると言われている」
何はともあれまずは参拝。
観察する。本堂になんか掛け軸に良い言葉を書いた書がいくつも下がってます。事前調べでは「大谷観音堂は平安時代の1180年に創建されたと伝えられている。子宝に恵まれる観音堂として地域の人々に親しまれている。近年老朽化が進んでいたが、それまで無人だった観音堂に住職が入ったのをきっかけに修復され、すっかりきれいになった」と、図書館で借りて来た巨木の本に紹介されていた。
なんか生活感のあるお堂は実は珍しいと思う。そこここに生活感が溢れてていい感じだ。

カヤの巨木を観察。観察していると、年配の男性が自転車でやってきた。
あ!違うわ。ご住職が戻ってこられたんだ。ご挨拶すると返事を返して下さった。

ところでカヤの大木は根元付近で二股に分かれてるのが特徴的。一説には1570年(元亀1)に兵火に焼かれて枯れたカヤを伐採したところ、新しい芽が2つ伸びて二股になって生長したと伝えられてるとか。
元亀元年(1570)といえば、小田原北条氏?攻め方はどこだろう?武田か上杉か?おそらくその辺り。いや、御由緒の説明板も撮影したけども、表面をガラスかアクリルでガードがかけてあり、撮影画面は光が反射して読めなかったんだ〜。

あれ?二股の向こうに富士山が見える。ここ、相模川の河岸段丘の下にあるので、普通ならば視界が遮られるのですが、道路の向こうは整地されたまっすぐな田んぼが並んでます。あれだ。土地改良で出来た土地なんだろうなあ〜。
まだ正午前だけど、巨木と富士山を眺めながら観音堂の東屋であんパンと熱いお茶でお昼ご飯をいただく。時刻は11時56分、変電所北バス停に10時10分に到着したから、歩き始めて1時間半か〜。
さて、元気もでたので出発です。最後に観音堂を振り返る。
ン?あれ?あの白いのは何??

一旦道路まで出たのを引き返す。説明板発見:立木観音の由来
義功和尚の知り合いに霊感豊かな女性がいた。ある日のこと、お堂にお参りに来た。そして「境内に有縁無縁の観音さまがあるといいわね」といって立ち去った。
平成18年、境内のえの木を枯らしてしまった。
枝を切り過ぎたのである。「すまないことをした」と和尚は悔やんで、このえの木を見ると「すまん、すまん」と手を合わせて謝っていた。
ある日のこと、夢に立木観音が現れた。
「そうだ観音さまを彫るのがえの木の供養になる」と二年かかって完成させた。その後霊感女性の言葉を思い出した。
「この立木観音はこの境内に必要だったのだ」と。不思議なご縁である。
制作期間:平成18年9月ー平成20年12月 彫刻:小林義功」
へえ〜。ってか、和尚さんの名前が義功で彫刻が小林義功ということは、和尚さんが自ら彫ったのですね。
さてと、改めて3つ目の巨木目指し出発です。
大谷観音堂前を走るバス道とはほんの200メートルで分かれ、再び相模川の段丘を緩い上り坂で上る。
もうね〜〜、痛めてる腰にも右足にも高低差はよくないけども、それが昔道なのです。高低差は諦めようよ。自分。

昔道なので、道路の真ん中に桜の木が残されてても、そういうこともあるんだよ。
ぼやきますが、見晴らしはいいんだ。何しろ富士山が見えてるからね。

ウォーキングしたのは1月27日でした。スカッと晴れてます。
あれ?またまた参道を見つけてしまった。どうすっかな〜?視線の奥に石段が見えた。けどもその手前に白梅があるではないか!もう梅の咲く季節なんだね。ふらふらと観梅するべく参道を進む。時刻は12時11分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする