最近読んだ本に、イタリア在住のエッセイスト、内田洋子氏のエッセイ集『イタリアの引き出し』(阪急コミュニケーションズ)があります。
この一篇の『僕の気持ちを届けてください』は、作者がミラノから東京に向かおうと、マルペンサ空港行きの電車乗り場まで行こうと乗ったタクシーの運転手さんとの会話を綴ったものです。(2012年2月末の話)
後半を転載させてもらいます。
しばらく黙って運転していたが駅に着こうかというとき、
「もうすぐ一年ですね」
運転手は静かに言った。
震災のことだった。
「速報をテレビで見て、大変に驚き、居ても立ってもいられなくなりました」
遅番で家でニュースを見た彼は、タクシーのアンテナに日の丸を付け、ミラノの町に飛び出した。市内を走りに走った。日本に気持ちを届けたかった、という。
「タクシーの運転手になる前、僕は消防士でした」
原発担当で、ガイガーカウンターを常備し、放射線量を測って回るのが彼の仕事だった。
運転手は、福島のこと、町の人たちのこと、現場の作業員たちのことを、あれから毎日ずっと思っている。
「今の僕には、日本まで行ってお手伝いすることができません。僕はお客さんを駅まで運ぶ。お客さんは、どうか僕の気持ちを日本まで運んでください」
駅に着くと運転手は車から降りて、無言のまま深々と日本風にお辞儀をした。
この運転手さんの車は日本車、そして「僕も家族も、可能な限り日本製品を買っています」というくらいの日本ビイキの方でした。
彼は、おそらく今でも福島のこと、町の人たちのこと、現場の作業員達のことを、遠くミラノから思ってくれていることでしょう。
これは彼に限らず、今でも「福島は大丈夫か?」と心配してくれる外国人たちがたくさんいます。
それに対して、東日本大震災はまだ3年も経っていないのに、今、被災地や被災者のことを忘れてしまっているような日本人が少なくない気がします。
日本にあって、外国にない『忘年会』。日本人って、忘れることに対する美学のようなものがあるのか・・・。
政府などは、「おもてなし」「強い日本」と、まるで3年前の災害も原発事故もなかったかのようにふるまい、国民を結束させるどころか、逆に対立を煽っているようにも思えます。
昨年の3月11日のブログに外国の友人に送ったメールを貼り付けましたが、そのなかで紹介したYoutube 『Pray for Japan (English version)』
http://www.youtube.com/watch?v=MIbvJO3ICqA
の元になったものを見つけました。(こちらはエピソード中心、英語バージョンの方は映像中心)
『この胸の苦しみが愛おしいほどに生きて[東日本大震災] song by Kokia』
http://www.youtube.com/watch?v=MqgUMK0Br2I
ついでにこれも。
『0からの始まり song by Kokia』
http://www.youtube.com/watch?v=D2YypEDdKOU
(実のところ、歌詞全体は私には消化不良です。
が、いくつかのフレーズは耳に残り、そしてメロディと透明感のある声、心に響きます。)