今朝は定期健診。
病院の前に行くと、懐かしいエプロン姿の人が病院入口にいました。
これは19年にブログに書いた、病院の患者のためのボランティア。
福生市の病院の事件-医師を責めるより前に患者が透析を続けなかった背景を知るべき - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
(前略)
私がボランティアコーディネーターをしていたのは今から14年くらい前までのことですが、当時、そこには透析患者を病院に自家用車で送迎するボランティアグループがありました。
今はもうこのグループはないですが、当時彼らがいなかったら、透析に行くのは困難な透析患者がいたのは事実であり、現在は介護保険の制度など、制度の整備があるにしても、今でも通院だけでも支障を来す人達もいるのではないでしょうか?
また、通院はどうにかなったとしても、独居で通院付き添いを頼む人がいない人が週三回の透析に延々に行かなくてはならないとしたら、絶望的になるのでは?
私がボランティアセンターを退職する数ケ月前、市の総合病院の事務方の方(課長稼働レベルクラスの方)から、「院内で患者の通院を手助けしてくれるボランティアグループはありませんか?」という問い合わせがありました。
私はボランティアコーディネーターをしていたといっても、正職員ではなかったので、それをセンターの正職員に相談。面倒なことを嫌う正職員たちは、何もしないまま、「無理だよ、できっこない」と最初から何もしない様子。
それを赤十字系のボランティアグループの長に相談したところ、協力を申し出て下さり、こうしてその病院に病院援助ボランティアができあがりました。
彼らは今も、通院介助のみならず、入院患者の車いす押しなどもしています。
(このグループを作る以前に、病院内では、ガーゼなどを畳んだりする裏方の手伝いをする高齢者のボランティアグループが活動をしていたこともあり、ボランティア受け入れ態勢が整っていたのも幸い。)
実は先の透析患者の送迎ボランティアグループ発足も、ある病院のソーシャルワーカーの方から始まったもの。
今の時代は「「ボランティアはタダで働いてくれる便利なもの」と考える風潮があるし、ボランティアがあることで「営業妨害」という人達が出てくること(送迎ボランティアに対しタクシー業界から反発あり。誘導ボランティアなどに対し、NPOが同じことを言ったケースあり。)、ボランティアである限り、その活動が急になくなる可能性もあります。
なので、今回の事件で私が言いたいのは、「ボランティアグループで解決」ということではないのです。
まず、医師が透析中止を認めたことより、透析患者が透析を止める究極の選択に至ったこと(=仕方なく選択した患者もいるだろうこと)を想像できる人達が声を上げることが大事。
透析患者と全く縁がない人にはせめて、透析を止めた人達の背景や気持ちを想像してほしいのです。
「44歳の女性は親が生きていても高齢。独居であれば、彼女の通院を手助けできる人がいたのか?」
「高齢者でもない彼女がどれほど通院に支援を受けられていたのか」
「自分がそういう立場だったらどうするか」
ということからでも。
この病院のボランティアは、私が病院に通うようになって約3年間、病院で見かけることがなかったので、「コロナで活動をストップしているのだろうけど、そもそもボランティアの高齢化で存続しているかもわからない。消滅してしまったのだろうか。」と存続は危ういと思ってきました。
しかし、ボランティアさんたちは活動を続けていました!!!
今日会ったボランティアさんは6,70代と思われる女性でしたが、私の知らない方。声をかけてお話を伺うと、当時活躍してくれた方々は引退されていってしまっていますが(他に私が知っている方で病気で亡くなった方々もいます。)、このボランティアグループ(数ある個別のボランティアグループの複合)が続いていたことが確認できました。
私もうれしいですが、引退したボランティアさんたち、亡くなったボランティアさんたちはもっと嬉しいことでしょう。
お世話ななったことがある人、それを見ていた人、特に若い人たちが続いてくれるでしょうか。
(残念ながら、老後のボランティアとして候補に挙げていたこのボランティアはできなくなりました。でも陰ながら応援。)
参考: