Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

欧州映画界とブルジョア-20(フランソワーズ・サガンと映画界)

2024年09月17日 | 欧州映画界ネットワーク
から:

 
ジーン・セバーグが主人公を務めた『悲しみよこんにちは』
 
この映画は、フランソワーズ・サガンが18歳の時書いた小説の映画化で、サガンはその後何作か書き、『ある微笑み』『ブラームスはお好き(映画邦題は『さよならをもう一度』)』等、映画化されていきます。
 
若いサガンが18歳の少女が主人公の本『悲しみよこんにちわ』『ある微笑み』を書くことはさほど不思議ではなかったのですが、3作目の『ブラームスはお好き』は主人公がアラフォー。サガンが23歳でこのアラフォーの主人公と同世代の愛人をも書いたリしているので、私は「サガンは本当にこれらの本を皆書いているのだろうか?」とずっと半信半疑でした。

(フランスに興味がある私はサガンの本は多分、7冊くらい持っていたと思います。でも、面白く読めたのは、『ある微笑み』と『ブラームスはお好き』。映画で観たことがあるのは、『悲しみよこんにちわ』のみ。)
 
先日、マダム・クロードのことを調べているときに、
政府や王族がりようする高級売春組織の手伝いを、サガンの実の弟や、元夫がしていたかも、という記事を見つけました。
 
「価格が高騰するにつれ、マダム・クロードの名声も高まった。彼女は親友で、文学の女王フランソワーズ・サガンの弟で脚本家のジャ​​ック・クワレとカクテルパーティに現れることもあった。クワレはクロードの主要な「試食者」、つまりミシュランの性的な検査官のように彼女の新しい女性を試し、格付けする非の打ちどころのない趣味の持ち主でもあった。もう一人の「試食者」は、サガンの夫のひとりで高尚な編集者ギー・ショレールだと広く考えられていた。」
 
その時から、「少なくともサガンは映画業界にコネがあるのではないか?」と思っていたので、今日改めて調べてみると、こんなことがわかりました。
 
 
抜粋Google翻訳:
 
彼女がこの最初の小説を書き始めたのは大学 1 年生のときでした。試験に落ちた後、1953 年の夏、パリで本を書き上げました。友人のフロランス・マルロー (アンドレ・マルローの娘) が、その原稿を母親に提出し、母親はそれを出版社に送りましたが、それは失敗でした。 フランソワーズの文学の先生は、小説の結末を書き直すよう提案し、3 つの出版社を推薦しました。フランソワーズはその後、より悲劇的な結末を考え、原稿を 3 部きちんとタイプしました。1954 年 1 月 17 日、ジュリアードは同意しました。 父親は表紙に彼女の名前を載せることを望まなかったため、彼女はプルーストの登場人物にちなんでフランソワーズ・サガンと名乗りました。 小説は 1954 年 3 月 15 日に出版され、彼女は 18 歳でした。彼女は 5 月 24 日に権威ある審査員から批評家賞を受賞しました。 6 月 1 日、フランソワ・モーリアックはフィガロ紙の第一面に次のように書きました。「この批評家賞は、最初のページから文学的価値が明らかで、議論の余地のない、魅力的な 18 歳の少女に授与されました。しかし、この小説はフランスでルネ・コティのスキャンダルを引き起こしました...
 

文学界で成功を収めた後、フランソワーズはジャーナリズムの道へ進みました。雑誌「エル」の編集長エレーヌ・ゴードン=ラザレフは、1954 年に彼女にイタリアに関する一連の記事を依頼しました。彼女は半島の北から南まで記者役を演じ、その文章は「こんにちは、ナポリ」、「こんにちは、カプリ」、「こんにちは、ベニス」などと題されていました。これらの軽妙な文章では、各都市が女性に例えられ、この「こんにちは」が彼女のトレードマークとなりました。

 

サガンがアンドレ・マルローの娘の友人で、その母親に最初に『悲しみよこんにちは』を見てもらった話は有名ですが、エレーヌ・ラザレフと繋がっていたという・・。

欧州映画界とブルジョア-3(ELLEの創刊者夫妻~『シェルブールの雨傘』) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

フランソワーズ・サガン - Wikipedia

Françoise Sagan - Wikipedia

ブラームスはお好き - Wikipedia

さよならをもう一度 (映画) - Wikipedia

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧州映画界とブルジョア-19(ジェローム・ヘルマンとジーン・セバーグ、ジェーン・フォンダ)

2024年09月17日 | 異文化

欧州映画界とブルジョア-18(ピーター・セラーズとジェローム・ヘルマン、米国~英国~) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の末尾に、

「ヘルマンのプロデュースした作品には、ユダヤ系の俳優など映画人のほか、音楽のジョン・バリー、ジェーン・フォンダ、ジーン・セバーグなど、フランス映画界に関係する人たちがいます。」

と書きましたが、

ヘルマンの制作最初のピーター・セラーズの映画以降2本目、

素晴らしき男 - Wikipedia

ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリー(Sir 卿)、ポール・ニューマンの妻のジョアン・ウッドワード、そして、フランス映画『悲しみよこんにちは』『勝手にしやがれ』に出演したジーン・セバーグが出演。

3本目

真夜中のカーボーイ - Wikipedia

監督はイギリスのユダヤ系監督のジョン・シュレシンジャー、出演はアンジェリーナ・ジョリーの父親のジョン・ボイド、やはりユダヤ系のダスティン・ホフマン。音楽が、ジェームズ・ボンドの映画シリーズや、ヘルマン政策の映画の音楽担当することがあったジョン・バリー。

ジョン・バリー氏が直接フランス映画・エンターテイメントと関係したというわけではないのですが、ジョン・バリーの2度目の妻が、フランス人のセルジュ・ゲンズブール。

帰郷 (1978年の映画) - Wikipedia

こちらはジェーン・フォンダとジョン・ボイドが主演の反戦、フェミニズムを訴える映画。

ジェーン・フォンダは、1965年~73年までフランス映画監督のロジェ・バディムと結婚をしています。

 

どのみち、ジェローム・ヘルマンがプロデュースした映画はリベラル色が強い映画で、さらに言えば、ジーン・セバーグとジェーン・フォンダは政治色が強い女優でした。ジーン・セバーグは1978年に40歳で死亡。自殺とされているけど、他殺の可能性もあるのではないかと個人的には思います。

ジェーン・フォンダ - Wikipedia

ジーン・セバーグ - Wikipedia

 

ついでに-こちらはユダヤ系の米国中心の映画俳優。

Jewish Actors (imdb.com)

Jewish actresses (imdb.com)

 

ユダヤ教改宗者のエリザベス・テイラーも入っていれば、おそらく、ユダヤ教徒でなく、ユダヤ系の親族がいるだろうマリリン・モンローも入っています。1970年代の『大草原の小さな家』のマイケル・ランドンも、メリッサ・ギルバートもユダヤ系。『スターウォーズ』のハリソン・フォードもキャリー・フィッシャーもユダヤ系

何度も言うように、ユダヤ教信者ではないけど、ユダヤ系の親族がいる欧米人はさかのぼればたくさんいるはずですが、「ユダヤ人」のイメージがダメージに繋がる間は、あえてユダヤ系という映画人は少ないでしょう。

「危ないユダヤ系」は少ないはずなんですけど、映画界は危険なユダヤ人ネットワークも絡んでいることがあるようで、若死、変死する人が少なくない気がします。

(ジェローム・ヘルマンが「危ないネットワーク」に入っているという意味ではありません。)

 

 

参考:

ジェーン・バーキンの訃報・「保護される「LGBTQ権利」」とセルジュ・ゲンズブール - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-3(セルジュ・ゲンズブール) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

欧州映画界とブルジョア-8(アヌーク・エーメとロジェ・ヴァディムとベルギー繋がり) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする