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魔女裁判が衰退した背景-錬金術とフリーメイソン

2020年02月18日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

前々回の記事

リリアス・アディと魔女裁判・「魔女」がもてはやされる日本、今も「魔女狩り」があるサウジアラビア
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/abbdd727052b6840f614773719022892

で紹介した、ウィキペディア「魔女狩り」には、魔女狩りのピークと衰退時期について書かれています。

ウィキペディア
魔女狩り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E7%8B%A9%E3%82%8A

抜粋:

魔女狩りはかつて「長期にわたって全ヨーロッパで見られた現象」と考えられていたが、現代では時期と地域によって魔女狩りへの熱意に大きな幅があったことがわかっている。

(中略)

時期を見ると16世紀後半から17世紀、さらに限定すると中央ヨーロッパでは1590年代、1630年頃、1660年代などが魔女狩りのピークであり、それ以外の時期にはそれほどひどい魔女狩りは見られなかった。

地域別に見るとフランスは同じ国内でも地域によって差があった。ドイツでは領邦ごとの君主の考え如何で魔女狩りの様相に違いがあった。イタリア、ヴェネツィアでは裁判は多かったが、鞭打ちで釈放され処刑はほとんどなかった。スウェーデンでは強力な王権のもとで裁判手続が厳守されており、三十年戦争期には占領したドイツ領邦で魔女狩りを抑止していたが、17世紀中頃より大規模な魔女狩りが発生している。

スペイン(バスク地方を除く)では異端審問が行われていたが、これが魔女狩りに発展することはなかった。オランダでは1610年を最後に魔女が裁判にかけられていない。ポーランド、少し遅れて18世紀のハンガリーでは激しい魔女狩りが起こった。イングランドでは1590年代がピークであったがすぐに衰退した。対照的に、イングランドに隣接し1717年以降同君連合を形成していたスコットランドでは1590年代〜1660年代と長きにわたっており、一方アイルランドではほとんど見られなかった。

北アメリカの植民地ではあまり見られなかったが、1692年にニューイングランドのセイラムで起こった大規模な魔女騒動(セイラム魔女裁判)が例外的な事件であった。それゆえに人々に衝撃を与えアメリカの歴史に暗い影を落とした。同時に
魔女狩りの当事者による公的な謝罪が行われた唯一の事件でもあった。

(中略)

しかし近年行われている一次史料からの推計に基づいた1428年から1782年までの魔女裁判による全ヨーロッパの処刑者数は、ヴォルフガング・ベーリンガー、ロビン・ブリッグス (Robin Briggs)、ロナルド・ハットンといった研究者らが各々提示している推定値を共約すると最大4万人となる。なお、地域共同体内での私刑にあった者の数を知ることはまったく不可能なため、この犠牲者の数には含まれない。

1782年にスイスで行われた裁判と処刑が、ヨーロッパにおける最後の魔女裁判であるとされる。

欧州の魔女狩りのきっかけは異教徒弾圧かと思いますが、魔女狩り衰退したのは、「『魔女狩り(女性だけではなく男性も魔女狩りのターゲットとされた)』が、錬金術を発展させることに都合が悪くなった」と同時に「フリーメイソン(特にこのなかの薔薇十字団)も自分達がターゲットになるのを恐れた」ということも関係していたのではないか、と思います。

もう一世紀前に生まれていたのなら、ニュートン(1642年生まれ)、サンジェルマン伯爵(1691年?)、カリオストロ(1743年生まれ)など-皆フリーメイソンで錬金術の研究者-は「魔女」とされ、密告者があれば早々に魔女裁判に駆けれられていてもおかしくなかったのではないでしょうか。
(※カリオストロは宗教裁判に駆けれらて獄中死していますが、それは「魔女狩り」ではなく、エジプトメイソンリーのロッジをローマで作ろうとしたことからです。)

もっとも、「魔女裁判」被害者は貧しい人達がメインであったので、資金力もコネもあった彼らが1世紀前に生まれていたとしても、大丈夫であったかもしれませんが。

ウィキペディア
アイザック・ニュートン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3

ウィキぺディア
アイザック・ニュートンのオカルト研究
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6

ウィキペディア
サンジェルマン伯爵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5

ウィキペディア
カリオストロ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD

ウィキペディア
錬金術
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93

錬金術はのちのち科学や医学の発展につながっていくわけですが、フリーメイソンとも錬金術にも縁がなかったと思われる「近代科学の父」アントワーヌ・ラヴォアジエなどは、「魔女狩り」にはあわなかったものの、フランス革命にて処刑されました。

彼の名前を知っている人が今どれだけいるのか。

ウィキペディア
アントワーヌ・ラヴォアジエ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A8

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