最近もまた、宗教系のことを書いていますが、宗教について、私は「人に押し付けたり、危険なカルトでなければ、基本的にOK.」
でした。
これは2014年に書いたものです。
『負』を追い払う人、集める人 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
(前略)
Aさんは元カトリック教徒でしたが、大人になってプロテスタントに改宗した人。
改宗したくらいですから、それなりに信仰心は厚かったのですが、彼は異教である仏教や神道にも興味を持ち、寺院などを訪れる人であったし、「信仰を持つことは大切」と言いながらも無宗教の私をも理解してくれていました。
だから、プロテスタント関係の話をしたりすることもあったのですが、あまりこれは障害になりませんでした。
しかし、そんな彼も、不幸が続くころから、カトリックの悪口、カトリックの不祥事の記事も送ってくるようになりました。
私はそれらの記事を読むこともなかったですし、それについてはスルーで何もコメントは返さなかったのですが、それを諌めもしなかったからか、何度か。
そう対応していた私も、今回は流石に耐え切れず、
「何度も言いますが、私はカトリック教徒でもないし、特別の信仰を持っているわけではありません。
しかし、どの信仰に対しても、それと違う信仰の人が悪口を言うことを、私は受け入れません。
私には、カトリックの友人、ロシア正教の友人、ヒンズーの友人、イスラムの友人、いろいろいますが、彼らは自分の伝統やイヴェント、芸術の説明として彼らの宗教の話をしてくることはありますが、誰ひとりとして、他の宗教や宗派の批判を私に書いてきた人はいません。
私が言うことを理解してくれることを望みます。」
と、彼にはっきり書きました。
このAさん、人種差別者、民族差別者、あらゆる差別を憎み、非民主的、不寛容を嫌う人でした。
が、その彼は今自分が『宗教差別』なるものをしてしまっていることに気が付かないばかりか、リンブルクとイヴェントの写真を観ながら、その感想がカトリックの悪口だけなんて、軌道を逸しています。
これは、彼の状況が好転したら、私の言葉に自分のことを恥じることがあるのかもしれませんが、今のところ、彼からのメールはありませんので、それはまだまだ先か。
上のAさんからはその後まったくメールが来ることもなくなり、残念な気持ちはあったものの、反面ほっとした面も。
このあと、シャルリ・エブド事件が起こり、カトリック教徒の友人が「イスラム教叩き」を始めたりもしましたが、幸いこの友人は私が辟易していることに気が付いてくれたので、再び友人を減らすことはありませんでした。
「第三次世界大戦は始まっている」という言葉を私が無視する理由 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
2014年から8年-
「宗教とはどこまでが宗教なのだろうか。カルトとカルトでない宗教の違いはなんだろう。」
というような疑問から、まずはユダヤ人のことを調べているうちに、
「ユダヤ人とは、「ユダヤ教の信徒」といわれるけど、ユダヤ教を信じない人も「ユダヤ人」と呼んでいるのはなぜか。「シオニズム」は「ユダヤ教」を利用していないか?」
となり、
ユダヤ人→コンベルソ→イエズス会と来て、イエズス会→イルミナティ→ゲルマン騎士団→トゥーレ協会→ナチスドイツ
と繋がることを思えば、「宗教」は人を幸せにしているとは思えなくなってきます。
追記:
ちなみに、トゥーレ協会を作った人物からは、これがトルコとイギリスを結び、ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスはエジプトとイギリスにつながります。
ウクライナ関係でキー国となっているトルコ、そして英国のジョンソン首相の曽祖父がトルコの重要人物だったこと-一見イスラム教は関係なさそうに見えて、欧州にとってのイスラム国の関係も、さぐれば新しい事実がありそうです。
Rudolf von Sebottendorf – Wikipedia
なお、ナチスには、二人のルドルフ・ヘスがいたことを、昨日初めて知りました。
ジョンソン首相の曽祖父