Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「第三次世界大戦は始まっている」という言葉を私が無視する理由

2015年01月12日 | 国際・政治

今回のシャルリ・エブド襲撃事件のあと、敬虔なカトリック信者の外国人の友人は、「今はもう第三次世界大戦が始まっている」と訴えます。

彼女は「この第三次世界大戦は、従来の戦争と違う、経済、格差、宗教の対立である」と言い、イスラムがいかに怖いかということを延々と書き連ねます。それでも私がこの話題に触れないので、彼女は業を煮やし、「これを読んで」と、”There is a war within Islam and Western-politicians do not defend European culuture” という、レバノンに住むエジプト人カトリック司祭(イスラム専門家でもあり)が書いた記事のリンクを送ってきました。 

(彼女はこの件で「返事をくれなくてよい」と言っているし、私は基本的に人から勧められた宗教家の意見は参考にしないので、この記事を読むつもりはありません。)

 この「第三次世界大戦は始まっている」という意見は何も彼女に限ったことではありませんが、今回は珍しくしつこく食い下がるので調べてみると、昨年9月にローマ法王がその発言していたことがわかりました。 

フランスではライシテ(政教分離)があって今はさほど人々の宗教色が濃くないとはいっても、やはり大元はカトリックの国。そしてもちろんイスラムと歴史との繋がりも深く、移民も多い-シャルリ・エブドの事件に対するフランス人、欧州人の反応は、そういう意味では大抵の日本人の受け取り方と差が出てきても仕方がないのかもしれません。 

私は、オランド大統領の「民主主義や自由の価値を掲げるため、11日の行進にはすべてのフランス人に集まってほしい」という呼びかけに嫌悪感と危機感を持ちましたが、今回、フランス人(イスラム系や移民系以外)でこの言葉に嫌悪感を感じた人は少ないと思います。 

ところでこの事件、アメリカの超リベラル系弱小メディアでは、事件のイスラエル関与を疑う意見(これは、「昨年12月はじめにフランスの下院がパレスチナを国家として認める決議を可決したこと」に関係すると言っています。)のコラムを掲載していますが、フランス在住日本人のブログのいくつかにも、この事件での不自然さについて書いてあるものがあります。 

その一つ: 

フランス・セパポシブール (2015年1月8日)
パリ銃撃事件−数時間後には犯人特定・・・ん?ちょっと違和感。http://franceacces.blog57.fc2.com/blog-entry-435.html 

パリのCharlie Hebdo社が銃撃されたのは昨日、7日の昼前ですが、夜には「犯人が特定され、指名手配された」との事であまりにも早過ぎてなんだか違和感を感じていたのですが、
今朝のニュースで知ったのは、なんと襲撃に使われた車の中に「身分証明書」が残されていた・・とのこと。

そうか、それで特定が早かったの・・・
ん、なんか、それ出来すぎてません?

また新聞社が襲撃された日がイスラム教の聖戦を風刺する漫画が掲載されていたということなどから、私たちは完全に「イスラム過激派」が犯人だという前提で話をしていますがよく考えてみると、犯人達は完全に覆面だったわけです。 

全然関係の無い人が犯人でもおかしくなくないですか? 

(続きはリンクからどうぞ。) 

陰謀論とは私は距離をおきたいですが、それでも全否定はしません。 

不自然といえば、事件が起こった最初のころは、「犯人は、シャルリ・エブドで銃を乱射してすぐ被害者を殺した」というような記事もあったのに、のちに「ひとりひとり名前を読んで殺害した」となったこと。 

そして、ユダヤ人スーパー突入の人質4人が銃撃戦で亡くなったようなことを書いてあったのに、途中から、「人質は犯人が殺害した」という報道まで出てきたりしたこと。
(これは、単純に事実を確認しないで記事を書いたことからのミスでしょうが、銃撃戦で犯人だけを殺すことは可能でしょうか?)

更に、犯人の一人にされていた18歳のムラド・ハミドさんが事件の時間は学校にいたことが判明したため無実とされましたが、まるで「犯人にする人間をを先に決めていた」ような気が。

シャルリ・エブド事件捜査を担当していた警察署長、エルリク・フレドゥ氏の自殺。(他殺に思えてしまう。)

これらには「もしかしたら・・」と思ってしまったりします。

私がオランド大統領の「すべてのフランス人に・・・」に嫌悪感(うさんくささ)を強く感じるのは、この疑念があるからでもあると思います。(もともとは、その全体主義的な物言いが嫌、それに従う人が多いことも気味悪い。)

元々、フランス当局は、シャルリ・エブドに自粛を求めていたこともありましたし、オランドや現政権が彼らの標的になることもあって、目の上のたん瘤的な部分もあったと思います。

実際には自作自演ではないでしょうが、オランドの頭に、「一石二鳥」という考えが頭によぎったとしても、不思議はないのではないか、と思えます。

さて、冒頭に書いた「今はもう第三次世界大戦はもう始まっている」という友人の言葉ですが、これを私が無視するのは、私が考える戦争の定義が彼女(達)と違うからというだけでなく、そこに争いを回避することへの拒否と、「戦争なんだから、勝つために何をしても許される」というニュアンスを感じ取ってしまうからです。

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