前回の記事で、ジョルジョ・モランディに触れたので、
昔書いた記事
美の巨人たちージョルジョ・モランディ・グリッツァーナのアトリエ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
で紹介した動画を観なおしていました。
「モランディの肖像」(モランディのアトリエ訪問、2003年) - YouTube
グリッツァーナ・モランディ(村)は、2005年秋、2008年秋、2012年春に訪問し、2012年には動画にある、ジョルジョ・モランディのアトリエを訪れました。
2012年秋にはトリノへ行きましたが、そこでもたまたまジョルジョ・モランディ展だったか、常設展だったかを観、2016年に東京ステーションギャラリーで展覧会を観ているうちに、惹かれるようになった画家です。
2016年にはブログ
モランディとモディリアニの共通点・モランディとファシスト党、そしてグリツァーナ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
にこう感想を書きました。
モランディは日本ではあまり有名ではないし、イタリア人の友人の中にも彼のことを知らない人もいますが(日本人で藤田嗣治を知らない人がいるのと同じようなことか)、私は好きです。
アースカラーと白を使った静物画(花瓶や瓶、造花)、そしてアトリエから見る家や景色の絵など。
生涯肖像画はもちろん、景色に人や生き物を描きこむことがなかった、生涯のほとんどをボローニャとグリッツァーナで過ごし生涯独身で妹たちと共に生活してきた-そんなモランディは、「人間恐怖症で、絵葉書を見て絵を描いてきたユトリロ」を思い起こさせます。しかし、モランディの作品の雰囲気はなぜか「人間が好きで社交的、だけどちょっと破綻。人間ばかり(しかしほとんどの人物には瞳がありません。)を描き続けたモディリアニ」のものと重なってしまいます。
モランディとモディリアニはイタリアの隣り合わせの州に生まれ、ほぼ同年代。(モランディは1890年エミリア・ロマーニャ生まれ。モディリアニは1884年トスカーナ生まれ。)
性格も人生も正反対にも思える2人の作品が似て感じられるのは、「血」と「大地」の繋がりあってのことでしょうか。
いずれにしても、私にとっては彼らの作品は、「目」ではなく、「心」で感じ取るものに思えます。
最近、サンシモン主義者の画家、アヴァンギャルドについて調べていて、私がジョルジュ・モランディの絵に惹かれるわけがわかりました。
私の場合だけでなく、たぶん多くの人は「好きな絵」と言うのはその時によって変わります。
「家に飾りたい絵」となると、「好きな絵」よりも変わらないと思いますが、それでも変わる。
「モランディ」の絵は、私にとって「好きな絵」であり続けると思うし、家に飾っていても飽きることがないと思うのです。
ジョルジョ・モランディが同じような風景、静物画(ただし、タッチは変化。)を何点も書き描き続けたのも「流行りの芸術(大富豪たちがブームを作る)に価値を見出さなかった」からもあるように思います。