Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

欧州映画界とブルジョア-4(アヌーク・エーメのアルフレッド・ドレフュス親族説・結婚した相手)

2024年09月02日 | 欧州映画界ネットワーク

前回最後に出てきた『シェルブールの雨傘』、監督のジャック・ドゥミか、女優のカトリーヌ・ドヌーブの話に移ろうと思いましたが、その前に、『男と女』のアヌーク・エーメのことで発見したことがあったので、彼女の話から行きます。

『シェルブールの雨傘』は、実は先の『ローラ』という映画の続編だったことは、前に書きました。

フランス映画『シェルブールの雨傘』-"リアリティー"があるファンタジーミュージカル - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

Lola (1961 film) - Wikipedia

 

この映画のヒロインを演じたのが、アヌーク・エーメだったのですが、彼女は実は「アルフレッド・ドレフュス」の親族である可能性があるそうです。

Anouk Aimée | Jewish Women's Archive (jwa.org)

Google翻訳:

概要

フランスの女優アヌーク・エメは、パリ、ロンドン、マルセイユで演技とバレエを学びました。彼女は14歳で演技を始め、1980年代から1990年代にかけて、他の女優が「成熟した」女性の役を見つけるのに苦労していたときに、彼女は年に1本の映画に出演しました。

(中略)

ユダヤ人としてのアイデンティティ

アヌーク・エメのユダヤ人としての経歴についてはほとんど知られていなかったが、2002年にマルセリーヌ・ロリダンの長編映画監督デビュー作『白樺の小さな草原』(2002年)で、ホロコースト生存者としてアウシュビッツに戻る役を演じ、歴史の重荷に苦しむユダヤ人女性としてのアイデンティティを見事に演じた。

エメ自身も、フランス占領とヴィシー政権下では少女だったが、それぞれの国で反ユダヤ迫害政策がとられていたため、ロリダンの自伝的作品にぴったりだった(ロリダンは14歳でアウシュビッツに収容されていた)。 2003 年春にニューヨークでこの映画が上映されたとき、エイミーは戦時中の自分の生活についてはまだ口を閉ざしていた (強制送還されて殺された親戚のことは話したが、自分の体験については語らなかった) が、ユダヤ人の歴史のこの一章を記録することの重要性について雄弁に生き生きと語った。

家族と教育

 アヌーク・エーメは、1932 年 4 月 27 日にパリでニコル・フランソワーズ・フローレンス・ドレフュスとして生まれた。両親はともに俳優で、母親のジュヌヴィエーヴ・ソリアはユダヤ人ではなかったが、父親のヘンリー・ドレフュス (職業上はヘンリー・マレーという名前を使っており、アルフレッド・ドレフュス大尉と関係があった可能性がある) はユダヤ人だった。エーメは私生活や経歴について非常に秘密主義であることで有名である。彼女は、フランソワーズ・ソリア、フランソワーズ・ドレフュス、ニコール・ドレフュスなど、さまざまな名前で呼ばれていたが、女優としてのキャリア(アンリ・カレフ監督の『海辺の家』(1947年)に出演してわずか14歳でスタート)を経て、現在の呼び名を得た。

最初は単にアヌークと呼ばれていたが、これはマルセル・カルネ監督の未完成の映画『時代の花』(1949年)で演じた役柄に由来する。詩人のジャック・プレヴェールが、アンドレ・カヤット監督の『ヴェローナの恋人たち』(1949年)を彼女のために特別に書き下ろし、象徴的な姓を冗談交じりに付け足したのである。この姓は、映画で演じる役柄の感情的な力と永遠に結びつくことになる。 ​​

子供の頃から才能に恵まれていたエーメは、パリ、ロンドン、マルセイユで演技とバレエを学んだ。有名なバウアー・テロンド学校でダンスの訓練を受けた彼女は、ジャック・ドゥミ監督の『ローラ』や『モデルショップ』(1969年)といった映画でパフォーマーとしての役を演じる準備を整えた。これらの2作品は、物語を支配する彼女の忘れがたい存在感をスクリーン上で確立した。『ローラ』は、彼女の演技と、ごくわずかな物語しかない映画の中で観客を魅了したつかみどころのない美しさのおかげで、はかない優雅さと力強さで伝説となった。

(中略)

エメのキャリアは、おおまかに3つの段階に分けることができる。1950年代と1960年代の初期のアートハウス前衛時代で、彼女は新しいタイプの現代のヒロインを定義した。「男と女」でアカデミー賞にノミネートされ、外国語映画賞とゴールデングローブ賞を受賞したことで始まり、世界の映画界で最も才能のある多くの監督と仕事をした国際的なスターの時代。そして、献身的な女性の段階。まだ美しいが、スクリーンでの存在感よりも、自分の地位と名声を使って世界を変えることに関心がある。彼女の3回の結婚は、これらの時期に大まかに対応している。

彼女は、ニコス・パパタキス監督(1951年 - 1954年)と短期間結婚し、次に作曲家のピエール・バルー(バルー)と1966年から1969年まで結婚し(バルーは、彼女が『男と女』でゴールデングローブ賞を受賞したときに一緒に登場した)、最後に俳優のアルバート・フィニーと結婚し(1970年 - 1978年)、このときしばらく女優業から半ば引退していたようである。21世紀になってもエイメは女優業を続けたが、ペースは遅くなった。2019年、彼女はクロード・ルルーシュ監督と俳優のジャン=ルイ・トランティニャンと再び共演し、『男と女』を再演したが、成功は限られていた。

(後略)

 

彼女が最初に結婚したのが、1918年生まれでアヌーク・エーメの14歳上のギリシャ系のニコ・パパタキス監督。

Nikos Papatakis - Wikipedia

1951年~1954年まで二人は結婚し離婚。1957年にアメリカに渡ったパパタキス監督がアメリカで同棲したのが、アラン・ドロンの子供アリ・ブローニュを産んだ、「ニコ」でした。

アラン・ドロン追悼・フランス映画界の戦後-8(マダム・クロード~ドロンの母親がアリを引き取ったこと) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ドイツのケルン生まれと言われるニコは、ハンガリーのブタペスト生まれの可能性もあったのですね。

ニコ - Wikipedia

 

アヌーク・エーメに話を戻せば、日本語版Wikipediaには、彼女がアルフレッド・ドレフュスの親族かもしれないことは書いてありませんが、彼女がパパタキス監督以前に結婚したこと-「1949年にエドゥアール・ツィンマーマン(Edouard Zimmermann)と結婚したが、翌1950年に離婚。」ということが書いてあります。

アヌーク・エーメ - Wikipedia

相手はこの男性?だとすると、ドイツのスパイとアヌーク・エーメは戦後4年で結婚したことになりますが・・・。

Eduard Zimmermann - Wikipedia

Google翻訳:

エドゥアルト・「エーデ」・ツィンマーマン(1929年2月4日 - 2009年9月19日)は、ドイツのジャーナリスト、テレビ司会者、セキュリティ専門家でした。

(中略)

 第二次世界大戦後、後に「犯罪者ハンター」や「詐欺師の天敵」として知られるようになるこの男は、泥棒や闇市場の商人として生計を立て、フールスビュッテル刑務所で服役しました。偽の身分証明書と卒業証書を使って、彼はついにスウェーデンで道路工事技師としての仕事を見つけた。 ツィンマーマンは、ダーゲンス・ニュヘテル紙の任務でドイツのソ連占領地域に戻った。そこで彼は1950年にスパイ容疑で起訴され、25年の懲役刑を宣告された。彼はバウツェンで5年間の刑期を務め、ベルリン会議を控えた1954年1月17日に早々に釈放された。

[1 その後、彼はNDRとZDFでジャーナリストおよび編集者として働いた。 1967 年 10 月 20 日から 1997 年 10 月 24 日まで、ツィンマーマンは ZDF テレビシリーズ「Aktenzeichen XY... ungelöst (事件番号 XY ... 未解決)」の 300 エピソードを担当し、1987 年 11 月 6 日から 1997 年 10 月 24 日まで養女のザビーネと共同司会を務めました (ザビーネは 2001 年 12 月 7 日まで同番組に出演しました)。また、1964 年から 1997 年にかけて「Vorsicht Falle! – Nepper, Schlepper, Bauernfänger (罠に注意! – 詐欺師、ハスラー、詐欺師)」の 180 エピソードを担当しました。その後、テレビ業界から引退し、ZDF と協力してインターネット セキュリティ ポータルを維持しました。

ツィンマーマンは Weißer Ring [de] e.V. の共同設立者でした。ツィンマーマンは、犯罪被害者を支援する組織「ホワイト リング」の会長を務め、長年にわたりその会長を務めた。 1977 年 10 月 7 日、アクテンツァイヒェン XY の 100 回目の放送を記念して、ツィンマーマンはドイツ連邦共和国功労勲章を、連邦大統領ヴァルター シェールからリボンで授与された。その後、1986 年 6 月 16 日には連邦大統領リヒャルト フォン ヴァイツゼッカーから一等功労勲章を授与された。1982 年には、ドイツ フリーメーソンの人道賞を受賞した。

(後略)

参考:

フランス映画界と20世紀 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジャン・ルイ・トランティニャンの訃報・「男と女」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

『シュヴァルの理想郷』『6才のボクが、大人になるまで。』『男と女 人生最良の時』の共通点 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 欧州映画界とブルジョア-3(... | トップ | 欧州映画界とブルジョア-5(... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

欧州映画界ネットワーク」カテゴリの最新記事