フランスはじめ欧州で私が羨ましいと思うのは、日本や他の東アジアのように塾がないこと。そしておそらくテストの類がマークシート方式が主流でないことだと思います。
日本は教育が「産業」に組み込まれてしまって、「点数」「偏差値」をあげることが目的となってしまいました。
キラキラやポエムが作り出す『希望』や『常識』-教育熱に火をつけた?1994年のカーネギー財団のレポート - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
フランソワがアンリ4世学校で教えているときは、「自分が受ける評価」を気にしたからでも、「教え子に対する興味や愛情」があったからでもありません。
あたかも「芸術を愛する芸術家」「書くことを愛する小説家」のように、「教養を愛した教師」でありました。少なくとも、エリート校は「教養」がある生徒が普通。
それが「教養」が通じない移民の子供たちに向かうことになったフランソワ。学力を上げるには「教養」が大事と気が付きます。「教養」に親しむことが、物ごとに疑問を持ち、考えることになる-アンリ4世校でも生徒たち自身にを特別愛することもなかったフランソワ自身が、移民の子供たちと心通わせていくようになる。
移民の生徒たちも変わりましたが、一番変わったのがフランソワだと思います。
アンリ4世校の教師をしているだけだったら、彼は「教養」はあるだけの人間で終わっていたでしょうが、移民たちの中学で教えた彼は「教養と人間性」を備えた魅力的な男性に変化しました。
この映画は、フランスでも「ファンタジー」でしょうが、多くの教育関係者が目指していると思います。
日本もそうなるとよいのに…。
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教養のシッポ1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
教養のシッポ2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
教養のシッポ3 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
なお、フランス映画『最強のふたり』も、移民の青年が主人公のお金持ち(こちらも「フランソワ」)と接していくうちに「教養」を自然に身に着け、変わって行った様子が描かれています。