家の方は先月下旬に引っ越しも終わったものの、玄関ポーチを壊して配管工事のやり直しがあったりバタバタしていましたが、残すところ、外構工事だけ(もちろん、片づけもあります)になりました。
10月の家の引き渡し後から新聞をまとめて読めるようになったのが、先週末。
新聞を見ない日もあったため、とんでもないニュースを見落としてしまっていました。
とんでもないニュースとは、私にとって著名な社会学者というよりも、伯父のような存在であった、ロナルド・ドーア氏の訃報。
各社新聞(日、英、米)の主要新聞では11月13日となっていましたが、彼がボローニャの病院で亡くなったのは11月14日(ご家族に確認済。ただし、ご自宅で意識がなくなったのが13日~14日の真夜中、病院で確認されたのが14日ということかもしれません。)
家のごたごたが住んでから、彼とご家族のもとに伺おうと考えていた私にとっては、大変ショッキングなことでした。
半月以上たってから彼のご家族にお悔みの言葉を送ったところ、ご家族からは、
「彼の死は覚悟はしていたものの、悲しみは癒えず、落ち着かない状態です。
彼はよく、「自分の人生は満ち足りている。それはアカデミックな分野のみならず」と言っていましたが、人々は彼の暖かさと寛容の精神を忘れないのではないか、と思います。
そう、あなたが言う様に、彼は私たちの心の中で生き続けることでしょう。」
そして最後に、「日本は彼にとって spiritual homeでした。」
というお返事をいただきました。
このドーア氏が亡くなる数か月前には、SOASのDulwich Boys の1人であったヒュー・コータッツィ元駐日大使もお亡くなりになりましたが、後年彼らが心配し続けることになった日本。
彼らが日本を心配しながら亡くなることになってしまったのは残念ですが、彼らを弔うためにも、真の意味で日本を愛し、真の日本らしさをこれ以上失わせないようにしていこうとする人を陰ながら応援していこうと思います。
「(従来の)日本」とは、まさに、ドーア氏と同じ「“暖かさと寛容の精神”がある国」であった、そう考えます。
カテゴリ― R.Dore
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/c/8f55c1aed6f835cc16ee49b3cc20a316
参考:
ドーア氏にとってはむしろ批判的と思われる産経系のサイトが、何処よりも長いと思われるドーア氏の追悼記事を書いてくださっていました。
Japan Forward
Ronald Dore、Major Figure in British Post War Studies on Japan, 93
https://japan-forward.com/professor-ronald-dore-major-figure-in-british-post-war-studies-on-japan-93/