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リリアーナ・セグレ(番外編)-リリアーナ・セグレとプリーモ・レーヴィの違い

2022年05月15日 | ユダヤ人の分類・ユダヤ人の歴史

プリーモ・レーヴィが自殺した(あるいは事故死)のは1987年でした。

Primo Levi - Wikipedia

プリーモ・レーヴィ - Wikipedia

トリノの作家、プリーモ・レーヴィが残した宿題 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

その彼はホロコーストに関して人々に知ってもらおうとしてしていましたが当時イタリア政府が彼のことを支援していたとは思えず。

リリアーナ・セグレがホロコーストについて語りだしたのは1990年代からで、イタリア政府は彼女のことを終身上院議員としました。
リリアーナ・セグレー1(イタリア終身上院議員カトリックのユダヤ人) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

プリーモ・レーヴィは熱心なユダヤ教徒ではないですが、カトリックに改宗はしていませんでした。

 

プリーモ・レーヴィについて改めて調べようと思っているとき、ニューヨークタイムズの本の紹介記事発見。

The Way of the World (nytimes.com)

Primo Levi
Tragedy of an Optimist

Miriam Anissimov
The Overlook Press

 

この本の中では、プリーモ・レーヴィの父親のことが書いてありました。

記事抜粋Google翻訳(名前部分だけ修正)

「 プリモの父、チェーザレは、息子が生まれたとき40歳でした。彼自身は、1878年にクーネオ県のピエモンテにある小さな高地の地方であるベネヴァジエナで裕福な家庭に生まれました。リーバイスの父方の祖父である土木技師は、小さな不動産を所有し、破産した銀行も所有していたが、1885年頃にそこで亡くなった。チェーザレは1901年に電気工学を学び、フランスに住み、ベルギーで働いていた。その後、彼はハンガリーの大企業にデザイナーとして引き継がれ、1919年にブダペストでの多くの旅の間に、ブダペストのベラ・クンが率いる革命とその後の赤色テロの恐ろしい目撃者になりました。プリーモ・レーヴィは、フェルディナンド・カモンに与えたインタビューの過程で、父親がいくつかの理由で愕然としたと説明しました。さらに、彼は共産主義を恐れ、共産主義への反応を恐れ、そしてユダヤ人共産主義への反応を恐れたからです。 1918年、チェーザレレヴィは、1895年に生まれ、エステリーナと呼ばれるエステル・ルザティと結婚しました。」

「プリーモ・レーヴィは、周期表を含む彼の本の中で彼の子供時代についてほとんど明らかにしませんでした。一方、トゥーリオ・レッジェとのやり取りの中で、インタビュアーの準備ができていることに興味を持ったことは間違いありませんが、彼は父親が後の選択に与えた影響について話しました。チェーザレ・レヴィはリエージュで工学を学び、第一次世界大戦前にブダペストのガンツ社で仕事を見つけ、そこでドイツ語を学びました。ベラ・クンの血なまぐさい革命のエピソードは別として、彼はハンガリーでの時間を楽しんで、多くの友達を作りました。ガンツ工場ではドイツ語が話されましたが、チェザーレはハンガリー語も学びました。」

「チェーザレは常に2人の兄弟と競争し、トリノの書店で、友人のチェーザレ・ロンブローゾが出版したコレクションである、ボッカ兄弟が出版した「科学の小さな図書館」など、珍しい珍しい本を探しました。反ユダヤ主義と社会科学というタイトルでの彼の講義。社会主義者だったロンブロソは、ユダヤ人の神経症について書き、宗教的要因を遺伝的欠陥として描写しました。彼は言葉の最も狭い意味でのみユダヤ教にアプローチし、彼の保守的な共宗教主義者によって承認されませんでした。」

「チェーザレは、ヨム・キプルのシナゴーグに行き、自分の弱さを呪いながら、ひそかにハムを食べたユダヤ人でした。彼はイタリアのユダヤ人であり、イタリアのユダヤ人は非常に同化されていました-プリ-モ・レーヴィはそれが世界で最も同化されたと言いました。チェーザレ・レーヴィは啓蒙主義を信じており、ヘルリッカ、アンジェロ・モッソ、チェーザレ・ロンブローゾの熱心な読者でした。フォンテネル、フラマリオン、アニー・ベサントを読んだトリノの犯罪人類学者であるこの同じロンブローソは、スピリチュアリストの交霊会を組織し、彼のテーブルを回す力を誇っていた非常に影響力のある人物でした。彼の作品の中で、ロンブローゾはマイノリティの犯罪傾向の兆候を探しました。彼は、犯罪は遺伝的遺伝に依存しており、その奇形を伴う体は「魂の鏡」になったと主張した。アリストテレスを引用して、彼は野獣、自然、そして犯罪者の体は悪であり、彼らが抱く魂は本質的に犯罪者であると述べました。平和な男であり、独学で、本を愛し、科学の進歩を熱心に信じていたチェーザレ・レーヴィが、友人のロンブローゾのアイデアのいくつかを共有した可能性はありますか?」

父親チェーザレは、チェーザレ・ロンブローゾの友人であったことや、彼が共産主義を恐れていた話が書いてあって興味深いです。

川崎殺傷事件から『生来的犯罪人説』研究に言及-チェーザレ・ロンブローゾの研究 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

ところで、この本には、

Levi's sister Anna Maria was born on 27 January 1921 -- in localities like Cogne, Torre Pellice, Meana or Bardonecchia.

とあります。

Torre Pelliceはワルド派の人たちが多く住んでいたので、プリーモ・レーヴィの親戚や友人たちにもワルド―派の人たちもいたことでしょう。

(オリベッティの創業者カーミロ・ユダヤ人、カミーロの妻がワルド派)

マイノリティ出身の成功者-カミーロ・オリベッティ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

マイノリティ出身の成功者-アドリアーノ・オリベッティ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

プリーモ・レーヴィの父チェーザレは1942年に胃がんで死亡ですが、彼の母親も妹も強制収容所送りにはならなかった-もしかしたら母親はワルド派であったのでしょうか。

(プリーモ・レーヴィも、もし彼がパルチザン部隊に入っていなかったのなら、アウシュビッツに送られることはなかったのでしょうか。)

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