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※旧Various Topics(OCN)

アドリアーノ・オリベッティたちの描いた世界-番外編(ナタリア・ギンズブルグについての仮説)

2024年03月27日 | オリベッティ・反ファシスト

アドリアーノ・オリベッティたちが描いた世界-番外編(ナタリア・ギンズブルグへの疑問) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

で、

「ついでに言えば、プリーモ・レーヴィの友人でもあったはずのナタリアは、プリーモ・レーヴィの『これが人間か』(1947年)のエイナウディからの出版を反対しましたが、なぜだったのでしょうか。(エイナウディは1958年に復刊)」

と疑問を書きました。

これは、以前も何度か紹介している、「イタリアのホロコースト」の英語版wikipedia※を改めて観て、自分の中で仮設が成り立ちました。

イタリアは、ファシスト国家になったとはいえ、ドイツにナチス政権やフランスのヴィシー政権のように、強制収容所に送られたりするケースはそれほどひどくはなかったからではないでしょうか。

ムッソリーニ政権は1938年の人種法制定後も、イタリア国籍のユダヤ人であれば、強制収容所にまで送ることはほぼなく(イタリアのファシスト警察がかかわったケースはもちろんあります。)、イタリア系ユダヤ人たちは「ナチ」や「コッホ・ギャング」に捕まらなければ、殺されたり、強制収容所送りはほぼ逃れていたようでした。

イタリアで、ナチスによる大虐殺はマルツィアボットやマッジョーレ湖にならんで、フォス・アルデアティヌスの虐殺というのがありましたが、ありましたが、犠牲者335名のうち、ユダヤ人は75人。殺害された犠牲者はごく普通のイタリア人が多かったですが、その中には多くの「共産主義の抵抗グループ」や警察官が含まれていたそうです。

私の仮説はこうー

「「ユダヤ人」であり「共産主義者」の夫レオーネ・ギンズブルグをナチスの拷問で失ったナタリアにとっては、プリーモ・レーヴィの『これが人間か』は、戦争の被害者を「ユダヤ人」だけにする本には複雑な思いがあったのではないか」

です。

追記:

⇒エイナウディ社ではなかったと思いますが、プリーモ・レーヴィの本以前に、アウシュビッツのことを書いた(レーヴィの友人を)含む人たちがいたのでこの仮説は崩れました。

アドリアーノ・オリベッティたちの描いた世界-番外編(フランコ&ルチアーナ・モミリアーノ夫妻) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

プリーモ・レーヴィがロシア当局の要請でレオナルド・デ・ベネデッティ博士と共同で、強制収容所の衛生状態について記述した最初のエッセイである『アウシュヴィッツに関する報告』を執筆していた、というのが問題だったか。

Primo Levi - Wikipedia

 

※イタリアのホロコーストの英語版Wikipediagoogle翻訳を再び紹介。

The Holocaust in Italy - Wikipedia

Google 翻訳:

(前略)

1943 年 9 月 8 日以前の状況 20世紀初頭、ユダヤ人はイタリアにうまく統合された少数派であった[2]。 彼らはその国に二千年以上住んでいた。 1922年にベニート・ムッソリーニが権力を掌握した後、ファシストイタリアのユダヤ人は当初、第二次世界大戦に至るまでのナチス・ドイツのユダヤ人に比べて、たとえあったとしてもはるかに少ない迫害を受けていた[3]。 アキレ・スタラーチェやロベルト・ファリナッチのような一部のファシスト指導者は確かに反ユダヤ主義者であったが、イタロ・バルボのような他の者はそうではなく、1938年まで反ユダヤ主義は党の公式政策ではなかった。 他のイタリア人と同様に、ユダヤ人もファシストと反ファシストに分かれていた。 政権に同情し、党に参加し、政治や経済の重要な役職や地位に就いた者もいた(アルド・フィンツィ、レンツォ・ラヴェンナ、マルゲリータ・サルファッティ、エットーレ・オヴァッツァ、グイド・ユング)。 反ファシスト組織で活動していた者もいた(カルロ・ロッセリ、ネロ・ロッセリ、レオーネ・ギンツブルク、ウンベルト・テッラチーニ)。

1938年、イタリア人種法に基づき、イタリアのユダヤ人は財産、教育、雇用などの公民権を失った[4]。 彼らは政府の仕事、軍隊、公立学校(教師と生徒の両方)から排除された。 迫害から逃れるために、1938年から1939年にかけて約6,000人のイタリア系ユダヤ人が他国に移住した。 その中には、エミリオ・セグレ、ブルーノ・ロッシ、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ、フランコ・モディリアーニ、アルナルド・モミリアーノ、ウーゴ・ファノ、ロベルト・ファノなどの知識人も含まれていた。 エンリコ・フェルミも妻がユダヤ人だったため、米国に移住した。

第二次世界大戦勃発後の1940年6月、ファシストイタリア政府は約50の強制収容所を開設した。 これらは主に政治犯を収容するために使用されたが、約2,200人の外国籍のユダヤ人も収容された(イタリア系ユダヤ人は抑留されなかった)。 これらの収容所のユダヤ人は政治犯と何ら変わらない扱いを受けました。 生活環境や食事は基本的なものであることが多かったものの、囚人は暴力的な扱いを受けることはなかった[6]。

ファシスト政権は、ユダヤ人抑留者を支援するためにユダヤ人とイタリアの組織(DELASEM)が合法的に活動することさえ許可した[7]。 非ユダヤ人の状況はさらに悪かった。 イタリア当局は、投獄されているロマ人が過酷な生活に慣れており、食事手当ははるかに少なく、より基本的な宿泊施設を与えられていると認識した[8]。

1941年にギリシャとユーゴスラビアを占領した後、イタリアは占領地域に強制収容所を開設した。 これらには合計最大15万人が収容されており、そのほとんどがスラブ人でした。 生活環境は非常に厳しく、これらの収容所での死亡率はイタリアの収容所をはるかに上回っていた[9]。 他の枢軸諸国のユダヤ人とは異なり、イタリアまたはイタリア占領地域のユダヤ人は1943年9月以前に殺害されたり、ドイツの強制収容所に移送されたりしたことはなかった[10][11]。 ギリシャ、フランス、ユーゴスラビアのイタリア軍占領地域では、ユダヤ人が迫害から守られることさえあった[12]。 イタリア軍は占領地域でユダヤ人を積極的に保護したが、ナチス・ドイツは不満を抱き、クロアチアのイタリア地区は「約束の地」と呼ばれるほどだった[13]。

1943年9月まで、ドイツはムッソリーニとファシストイタリアにイタリア系ユダヤ人の引き渡しを強制する真剣な試みはなかった。

それにもかかわらず、イタリアがユダヤ人の逮捕と国外追放を拒否していることにイライラしており、枢軸国と同盟を結んでいる他の国々も同様に拒否するよう奨励していると感じていた[14]。

1943 年 7 月 25 日、ファシスト政権の崩壊とベニート ムッソリーニの逮捕により、イタリアの強制収容所の状況は変化しました。 ユダヤ人囚人を含む囚人は徐々に釈放された。 しかし、このプロセスは、ドイツ当局が1943年9月8日にイタリア中北部の収容所を制圧するまでに完了していなかった[9]。 幸いなことに、南部の主要な収容所(カンパーニャ強制収容所とフェラモンティ・ディ・タルシア)に投獄されていた数百人のユダヤ人難民は、ドイツ軍の到着前に連合国によって解放されたが、ユダヤ人は4万3千人(イタリア人3万5千人、他国からの難民8千人)であった。

(中略)

イタリアのホロコースト中に逮捕されたユダヤ人の約半数は、1944年にイタリア警察によって逮捕された[28]。 戦争が終わるまでに、イタリアとフランスとギリシャのイタリア支配地域から合計約8,600人のユダヤ人がアウシュヴィッツに移送された。 1,000人を除いて全員が殺害された。 人質または政治犯として他の収容所(ベルゲン・ベルゼン、ブーヘンヴァルト、ラーフェンスブリュック、フロッセンビュルク)に送られたのはわずか506人だった。

その中には、戦前イタリアの植民地だったリビア出身の数百人のユダヤ人も含まれており、1942年にイタリア本土に強制送還され、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られた。 彼らのほとんどはイギリスとフランスの市民権を保持しており、ほとんどが戦争を生き延びた[27]。 さらに300人のユダヤ人がイタリアの通過収容所で射殺されるか、他の原因で死亡した。

イタリアで処刑された人々のうち、1944年3月のアルデアティーヌの虐殺だけでもほぼ半数が殺害された[27]。 第 1 SS 装甲師団ライプシュタンダルテ SS アドルフ・ヒトラーは、戦時中にイタリアでドイツによる最初のユダヤ人虐殺が行われたマッジョーレ湖虐殺で、50 人以上のユダヤ人民間人、難民、イタリア国民を殺害した。 これらはイタリア軍降伏直後に犯され、遺体は湖に沈んだ [29] 。 これは当時、民間人に対していかなる暴力も行わないという厳しい命令にもかかわらず起こった[30]。

1943年9月から1945年5月までのドイツ占領下の19か月間で、戦前のイタリアのユダヤ人人口の20パーセントがナチスによって殺害された[31]。 しかし、イタリア政府が占領地域から南イタリアだけで4,000人のユダヤ人難民を避難させたため、戦時中のイタリアの実際のユダヤ人人口は当初の4万人を上回っていた。 1943年9月までにイタリア北部には4万3千人のユダヤ人が存在し、戦争終結までにイタリア国内の4万人のユダヤ人がホロコーストを生き延びた[27]。

ロマ

イタリア系ユダヤ人とは異なり、ロマ民族はファシストイタリア政権発足直後から差別にさらされていた。 1926年にはすべての「外国人ジプシー」を国外追放するよう命令し、1940年9月からイタリア国籍のロマ人は指定された収容所に収容された。 ドイツ占領の開始により、これらの収容所の多くはドイツの管理下に置かれました。 ドイツ占領がイタリアのロマ人に与えた影響についてはほとんど研究されていない。 イタリアの収容所で殺害された、または強制収容所に移送されたロマ人の数は不明である[32]。

イタリアのファシスト時代に飢餓と暴露により死亡したロマ人の数も不明であるが、数千人と推定されている[33]。 イタリアは1月27日をホロコーストとユダヤ系イタリア人犠牲者の追悼の日としているが、ファシスト政権によって殺害された、あるいは絶滅収容所に移送されたイタリアのロマ人にもこの公式認定を拡大しようという試みは拒否されている[34]。

(後略)

 

参考:

アドリアーノ・オリベッティたちが描いた世界-5(フィアット組に吸い込まれたオリベッティ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

アドリアーノ・オリベッティたちが描いた世界-9(反ファシスト~原爆) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

『狂った血の女』という邦題をつけられたイタリア映画 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

ムッソリーニを支持したユダヤ人-1(トリノのEttore Ovazza) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ムッソリーニを支持したユダヤ人-2(1938年以前のイタリア) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

トリエステの近現代史-11(ユダヤ人でファシスト支持だったサルバトーレ・セグレとグイド・セグレの明暗) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

リリアーナ・セグレ-2(Belli=戦争、 Paci=平和) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

クロコダイルクラブースピネッリグループとハーシュマン姉弟 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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Bappa Shotaさんとスーツさんの「パリ⇔トリノTGV」動画・一等車の食事

2024年03月27日 | 世界のyoutuber

最近チェックさせてもらている、ショータさんの動画から、2024年、TGVでパリ(リヨン駅)からトリノ(ポルタ・スーザ駅)の動画を。

パリからイタリアまでヨーロッパ列車の旅 - YouTube

 

鉄道マニアのスーツさんが、2018年にこれと反対のコースの動画を撮っていらっしゃいます。

TGVでトリノ(ポルタスーザ駅)からパリ(リヨン駅)

(53)また運転打ち切り 田舎の駅でTGVを強制下車させられる【欧州鉄道の旅第33日】トリノ・ポルタスーザ駅→リヨン駅(パリ) 9/2-02 - YouTube

自動改札よりも利用者が喜ぶ駅を・トリノのポルタ・スーザ駅と信用乗車方式 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

途中でトラブルがあってバスで移動しTGVを乗り換えるところは一緒ですが、2024年の動画で、パリのリヨン駅のホームからTGVに乗り込むのに、改札があるようになっているには驚きました。

 

私が列車で欧州内で長距離移動をしたのは、「パリ(リヨン駅)⇔ディジョン」が1980年代、「ストラスブール⇒フランクフルト」(2007年)と「パリ(リヨン駅)⇒フランクフルト」(2008年)でしたが、1980年代と2000年代の方式にそれほど違いはなかったような気がします。

なお、2008年の旅行では、値段がほとんど変わっていないため一等車を使いましたが、食事が付いていました。

異端児の孤独 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

スーツさんのほかの欧州旅行でも、一等車は食事がついていたと思いますが、今は出ないか、出ても有料になっているのかもしれないですね。


しかし、動画を観て、フランス国鉄のアナウンス、なつかしくなりました。

SNCFのアナウンスを使ったDavid Gilmourの歌 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

トリノ近郊ダマヌール・コミュニティ訪問動画 by Bappa Shota - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

コミュニティと宗教の境目 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

スーツさんのシベリア鉄道シリーズ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

日本が世界に一番誇れること-“スーツ交通/旅行さん”の動画を観て改めて思う - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

安くても十分美味しいお菓子がある日本~目に見えない日本の宝 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

グレタさんvsドイツ鉄道-欧州人と日本人の反応は違うのでは? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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