「今年二度目の関西旅行記(その20)奈良編①」のつづきは、司馬遼太郎さんが、
奈良はある意味では、長安の都が冷凍保存された存在ともいえる。
と書いた奈良の中でも、唐の長安をお手本に造られた平城京の建物が移築されているという唐招提寺のお話です。
今回の唐招提寺訪問の一番の目的は、
年間通して数日(例年6月5, 6, 7日の3日間)しか開扉していない国宝の和上像に代わって、毎日参拝していただく目的で平成25年に制作した
という、鑑真和上像の「御身代わり像(おみがわりぞう)」を拝ませていただくことでした。
いつもは、御影堂に東山魁夷画伯の筆になる襖絵に囲まれて安置されている鑑真和上像、
私は東京国立博物館でお目にかかったことがありますが、「例年6月5, 6, 7日の3日間」に唐招提寺までやってくることなんぞ、簡単にできることではありません。
そんな「一般庶民」への配慮というか何というか、唐招提寺は「年間数日しか開扉しない国宝の和上像に代わって、毎日参拝していただく目的」で、「鑑真大和上1250年御諱(ぎょき)記念事業」として、当時の手法(脱活乾漆造)のままに「御身代わり像」を制作して(担当は美術院国宝修理所)、2013年6月から開山堂で公開しています。
残念ながらガラス越しで、かつ撮影禁止ながら、「御身代わり像(おみがわりぞう)」を拝んで、次は、前回同様、鑑真和上の御廟にお参りすることにしました。
と、開山堂の瓦に目を惹かれました。
どうしてここに「三つ葉葵」が?
その答は、唐招提寺のHPに書かれていました。
開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築されました。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていましたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶致しました。
だそうです。高野山には、今回は拝観しなかったけれど徳川家霊台があったし、東大寺には、かつては東照宮だったという天皇殿があるし(こちらの記事をご参照方)、さすがは天下を獲っただけのことはありますな。
ただ、明治維新後は、東大寺でも唐招提寺でも「接収」されてしまったというのが、平家物語の冒頭の一節を思い起こさせて、「あはれ」です。
つづき:2015/12/28 今年二度目の関西旅行記(その22)奈良編③
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