新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年二度目の関西旅行記(その24)奈良編⑤

2015-12-29 18:16:04 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その23)奈良編④」のつづきです。

奈良町には二つの元興寺があるわけですが、元興寺もう一つあるという見方があります。

「第三の元興寺」というか、元興寺「ご本家」は、明日香村にある飛鳥寺です。

飛鳥寺(上の写真は8年半前に撮ったもの)は、今でこそお堂一つだけの小さなお寺ですが、6世紀末蘇我馬子氏寺としてたてた日本初の本格的な仏教寺院=法興寺の流れを引いています。

権勢を誇った蘇我氏(宗家)は、大化のクーデター「乙巳の変」滅亡しましたが、法興寺(飛鳥寺)は、Wikioediaの記述を借りれば、

大化の改新による蘇我氏宗家滅亡以後も飛鳥寺は尊崇され、天武天皇の時代には官が作った寺院(官寺)と同等に扱うようにとする勅が出され、文武天皇の時代には大官大寺・川原寺・薬師寺と並ぶ「四大寺」の一とされて官寺並みに朝廷の保護を受けるようになった。(中略)飛鳥寺がこうした庇護を受けた背景には、同寺が当時の日本における仏教教学の研究機関としての機能を有した唯一の寺院であり、朝廷創建の大官大寺や薬師寺をもってこれに代わることができなかったとする説がある。

として存続しつづけたそうです。
そして、平城遷都と共に、薬師寺興福寺(厩坂寺)など一緒に藤原京(飛鳥)から平城京(奈良)引っ越したという次第。

元興寺は、猿沢池の南側に、東大寺よりは狭いけれど、興福寺に勝るとも劣らない大伽藍を構えていた(こちらのサイトをご参照方)そうですが、現在は「ひさしを貸して母屋を取られる」的に、奈良町の町家に囲まれていました。

   

真言律宗 元興寺には、元興寺極楽堂元興寺禅室の他、もう一つの国宝建造物があります。
それは、真言律宗 元興寺収蔵庫というか宝物館という位置づけの「法輪館」の内部で展示されておりまして、私にとっては、去年12月東京国立博物館「日本国宝展」以来、3回目(日本国宝展には2行きました)の拝見となった、

「五重小塔」です。

トーハクのサイトから引用しますと、

組物や内部まで忠実に実物の塔と同じ技法で組みあげられた塔。高さは5メートル50センチ。細部の寸法から、実際の塔の十分の一というサイズを意識して制作されたとも考えられています。本展覧会では唯一の、建造物の国宝です。

ということで、一見、模型のようでありながら、国宝のジャンルとしては「建造物」扱いなのだとか

登録名称「元興寺極楽坊五重小塔」は、法輪館の吹き抜けに展示されていまして、同じ地平から拝見するだけでなく、2階からも拝見することができました。
そして、地べたからは判らなかったことが見えてきました

それは、屋根の傾斜がとても緩やかなこと。

そういえば、薬師寺の再建された西塔の屋根が、天平時代から現存する東塔の屋根に比べて緩やかでしたっけ…

と、法輪館2にこんな解説がありました。

左に見える元興寺五重小塔の屋根の勾配は、きわめて緩く、屋根に厚みがないことに気づかれると思います。古代(飛鳥~奈良時代)の建築はすべてこのような屋根をしていましたが、雨漏りが激しいのと、軒が深いために軒先のたるみが激しいという難題がありました。
古代末期に至り、この問題は野小屋を組むという技術革新で解決しました。その結果、勾配は急になり、屋根に厚みができ、建物は少し高くなりました。

だそうです。
「野小屋を組む」という、馴染みのない表現が出てきますが、要は、屋根の骨組みを二重にする工法のようです(こちらのサイトをご参照方)。

それは理解できるとしても、薬師寺の東塔と西塔の違いはどこから生じているのでしょうか?

薬師寺「公式見解」(?)は、こちらのサイトによれば、

西塔は昭和56年(1981)に落慶しました。今に残る東塔と形が少し異なるのは、西塔は寺に残る史料により、創建時の形を忠実に再建したのです。それに対し東塔は、8世紀から今日に至るまで幾度となく改修が繰り返され、創建時の形とは異なってきているのです。東塔の屋根の形も最初は西塔の形だったんですよ。

だそうで、極めて説得力のある説明です

勉強になりますなぁ~

ところで、蘇我氏氏寺の流れを汲む元興寺と、蘇我氏を滅ぼしたクーデター勢力の一角:中臣(藤原)氏氏寺興福寺が隣り合っていたわけで、わだかまりのようなものはなかったのでしょうかねぇ…
興福寺ときたら、蘇我氏一族でありながらクーデターに加わった蘇我倉山田石川麻呂が建立した山田寺からご本尊を奪ったという悪行もしでかしているし…

そんなことを考えながら、「今年二度目の関西旅行」最後の目的地:興福寺へと向かったわたしでございました。

つづきというよりも補遺版2015/12/30 今年二度目の関西旅行記(その24)奈良編⑥

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