三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』3

2013年02月21日 | 死刑

3人の死刑執行 奈良女児殺害・土浦殺傷の死刑囚ら
谷垣禎一法相は21日、同日朝に3人の死刑を執行したと発表した。(略)
谷垣法相は会見で「いずれも誠に身勝手な理由からの犯行で、きわめて残忍。被害者や遺族にとって、無念このうえない事件だ」と説明。(朝日新聞2月21日)
谷垣氏が法相に就任して二か月、書類を精査する時間はないと思う。

被害者遺族の多くは極刑を求めていると言われている。
しかし、極刑が死刑だというわけではない。
神戸・須磨の暴行死:被告に懲役14年 「結果は甚大」−−地裁判決
 神戸市須磨区の路上で10年10月、男性2人が暴行を受けて死傷した事件で、傷害致死などの罪に問われた同区の無職、松田智毅被告(24)の裁判員裁判の判決が15日、神戸地裁であった。奥田哲也裁判長は「無抵抗の被害者に一方的に強度の暴行を加え、結果は甚大」として、求刑通り懲役14年を言い渡した。(略)
 釜谷さんの父智樹さん(47)は判決後、「事件の重大性が認められた。納得いかない部分はあるが、検察官には最大限努力してもらえた」と話した。毎日新聞2月16日)
もしも死刑制度がなければ、被害者遺族は無期懲役を極刑として受け入れるのだろうと思う。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』に、地下鉄サリン事件で霞ヶ関駅助役だった夫を亡くした高橋シズヱさんへのインタビューが載っている。

加害者と関わることが被害者の癒しにつながるように思う。

高橋シズヱさんは林郁夫の裁判を傍聴する。
高橋「事件直後は、もちろん死刑にしてほしいと思っていました。辛い毎日が続き、こんなに私を苦しめるのは林だと思っていました。(略)
私の中では、一九九五年三月二十日というのはぽっかりと空いたままでした。傍聴しながら言葉を聞き、何が起こったかを詳細に知ることで、その心の穴が少しずつ埋められたのは大きかった。傍聴を続けたことで、心の整理になったように思います」

そして、林郁夫を気の毒に思う気持ちさえ持つようになった。
高橋「私は幸せな人生を送ってきたことを考えると、何か気の毒に思えてきた。傍聴して聞けば聞くほど、気の毒な人だと思った」

小倉孝保氏はこう書いている。
「過去の林がやってきたこと、他人から見たときの林の像を知ることで、高橋は憎しみだけの気持ちから、哀れみの気持ちを持つようになった。同じ世代でありながら、「変な人生」を送ってしまった林と自分の人生を重ねることで高橋は、自分の幸せを再確認することができた。
しかし、そうした気持ちになるにはやはり、一定の時間が必要だった」

高橋シズヱさんは林郁夫について無期でも死刑でも大差はないと考えるようになった。
高橋「私は、(公判で)林の言うことを全部聞いたことで、「反省して謝罪しているんだから極刑までは望まない」という気持ちになったように思います。傍聴をしなかったら、当初の感情を持ち続けたかもしれません」

だからといって、林郁夫が社会に戻ることは認めない。
高橋「しかし、林が仮釈放になって家族のもとで幸せに暮らすことを許すことはできません。もしも、釈放されたら、林は自殺すべきだと思います。林の命は償いのためにあるべきです」

アメリカでは死刑に反対する遺族は少なくない。
娘を殺害されたアバ・ゲイルさんは当初加害者のミッキーを激しく憎んでいたが、ミッキーと面会し、今ではミッキーの死刑に反対している。
「事件から八年になるころ、ゲイルは相手を憎むことに疲れを感じる。自分の残りの人生は憎しみで終わってしまうのか。そうなることをキャサリーンは求めているのだろうか。ゲイルは癒しの本を読み漁り、憎しみを捨てようと教会などあちこちの宗教団体を訪ね歩いた。そして四年ほどしたころ、ゲイルは不思議な「心の声」を聞く。
「許しなさい。そして、それを相手に伝えなさい」」
そしてミッキーに手紙を書くわけだが、「心の声」ねえ。

デイヴィッド・ダウ『死刑囚弁護人』に、コンビニ強盗に息子を殺された母親が、加害者の死刑執行前、週に4時間ほど面会に訪れ、州知事に減刑嘆願書を書いたことが紹介されている。
怒りや恨み、復讐といった話に比べると、美しい話だと思う。

コメント (4)
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