反省している被告のほうが死刑判決が出やすく、反省している死刑囚は早く執行される可能性が高いと、小倉孝保氏は『ゆれる死刑 アメリカと日本』に書いている。
おそらく、罪を悔いている被告は事実認定が違っていてもそのまま認めるので、刑が重くなりがちになるということだと思う。
たとえば、闇サイト殺人事件の一審判決で死刑判決を受けた二人のうち、一人は控訴せずに死刑が確定した。
なぜ控訴しなかったか知らないが、ひょっとしたら死んで償おうとしたのかもしれない。
また、再審を請求している死刑囚はほとんど執行されないが、再審請求しない死刑囚の執行は優先される傾向が強いらしい。
小倉「そのため再審請求中の死刑囚の執行を後回しにすると、反省している死刑囚を優先的に執行し、罪を反省しない死刑囚の刑は執行しないという、ある種逆転現象が起きる」
しかし、再審請求しているからといって、反省していないわけではない。
判決の内容が事実と違うから再審請求をするのである。
郷田マモラ『モリのアサガオ番外編』は、再審請求をする=反省していない、再審請求をしない=反省している、という前提で話が展開している。
主人公である刑務官は死刑囚に反省させようとする。
反省させてどうするつもりか?
生への執着がある死刑囚に死を受け入れさせ、おとなしく処刑させようというのである。
なぜかというと、反省せずに人間らしさを取り戻さないままだと地獄に落ちる、罪と向き合って反省したら天国に行けると、主人公は思い込んでいるから。
どこかの宗教の信者みたいである。
主人公は冤罪や一部冤罪の死刑囚に対しても再審請求をさせないようにはたらきかける。
では、「人間らしさ」とは何か?
死ぬのが怖いということだと思う。
罪を悔いているからといって、生きてはいけないということにはならない。
死刑執行を少しでも先延ばしにしようとすることがどうしていけなのかと思う。
テキサス州ではえん罪防止のために、ダラス地検が2007年に有罪再審査部(CIU)を設置した。
「有罪確定後にも無罪を主張している事件の記録を再調査し、無罪が疑われると判断された場合には、CIUと地元警察が合同で再捜査する。
「検察がわざわざ過去の事案を掘り起こして、自ら無罪を求めるのだから、これまでの常識からは完全に外れたやり方だ」と小倉孝保氏は言う。
CIU設置に積極的な働きをしたのはグレイク・ワトキンズ検事で、「死刑に反対の意思を鮮明にしている」そうだ。
検察は被告に有利な証拠を隠し、なかなか開示しようとしないから冤罪がなくならない。
『モリのアサガオ』の主人公が死刑囚たちのことを考えているなら、再審請求に協力して、彼らが減刑されるようにすべきだと思う。
反省、更生ということについて杉浦正健氏はこんな話をしている。
杉浦正健氏は法相を勤めた約11カ月間、死刑執行命令書に署名しなかった。
法務官僚が死刑執行を命じるべきだと説得したけど、杉浦正健氏が拒んだと思われているが、そうではないそうだ。
杉浦「説得されたということは一度もなかった。実は、退任直前の九月には、死刑を執行するのに適した者がいないか、検討もしたんです。(略)
だから、死刑執行に適している者の資料を持ってくるよう役人に指示しました。(略)すると、係の者が死刑囚三人の資料を持ってきました。資料は膨大だから、要約の調書を作らせじっくりと目を通しましたが、結果的に署名しませんでした」
なぜ署名しなかったのか。
杉浦「(心が)揺れた状態で読みました。ひどい犯罪者です。罪のない人を三人とか四人、殺しているんです。それこそ、ハエや蚊よりも悪いような人間です。しかし、教誨師の活動もあって、罪を償いたいという気持ちになっている。早く浄土に行きたいと言っている人もいました。すると思うんです。やったことはひどいことだけど、そこまで反省している者を、あえて死刑にすることはないんじゃないか、と。この人たちは反省しているとわかると、ますます署名できなくなる。人間は誰も死にたくないんです。それなのに、浄土に行きたいということは反省しているということでしょう。もちろん被害者遺族のことも考えますがね。被害に遭った人は戻ってこない。だったら、許すしかないんじゃないですか」
そして、「「署名しない」と言ったら、法務省の職員は静かに資料を持ち帰った」そうだ。
反省してから処刑すべきだと言う郷田マモラ氏、反省しているのだから処刑できないと言う杉浦正健氏。