三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』4

2013年02月25日 | 死刑

8割の人が死刑に賛成している、世論は死刑を支持している、と言って死刑執行する法務大臣がいる。
しかし、世論なんて変わるものである。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』はこんな例を紹介している。
テキサス州裁判所判事C・C・クックも死刑に疑問を持つ一人。
「クックは死刑を維持すべき理由として「世論の支持」を重視していた。米国では常に死刑支持が多数派である。これが、クックの心の拠り所になっていた。しかし、ある女性死刑囚の処刑をきっかけにクックは、「世論の支持」についても強い疑問を抱くようになった。果たして、州民は信念を持って死刑を支持しているのだろうか。「世論の支持」というのは、死刑を是とする理由になるほど確固たるものなのか。クックがこう考えるようになった女性死刑囚は、米国で最も有名な死刑囚の一人であるカーラ・タッカーだった。(略)
タッカーは、刑務所で教誨師に出会ってキリスト教に目覚め、篤い信仰心を持つようになった。信仰と出会い、生まれ変わったタッカーを処刑することには社会から強い反対の声があがり、執行時には刑務所の周辺が処刑反対を叫ぶ人々であふれた。(略)
タッカーの刑執行時、テキサス州の死刑支持は八六パーセントから六八パーセントに急落した。クックは感じた。
「世論とはこんなに変わりやすいのか」」
現役裁判官であるクックが死刑制度を批判し、なお裁判官を続けていることは異例だそうだ。

世論が死刑に賛成するのは、被害者感情が大きいと思う。
闇サイト殺人事件で娘さんを殺された磯谷富美子さんは犯人に更生してほしくないと言う。
磯谷「事件当初から、謝罪をしてほしいとは思わなかった。その理由は、もし本気で謝罪してきたら、彼らは人間らしさを取り戻し、いい人になってしまうでしょう。そうすると、三人が娘とより近くなってしまうと思ったのです。今は、いい人(娘)と悪い人(三人)で隔たっているけど、謝罪、更生をすると三人と娘の距離が近くなってしまう。そうなると娘はまた怖い思いをするんじゃないか。彼らに近付かれて恐ろしい気持ちになるんじゃないかと思うんです。もうこれ以上、娘に怖い思いをさせたくないんです」
反省を求める被害者遺族がいれば、謝罪をしてほしくない遺族もいる。
被害者感情といっても、人によって違うということである。

死刑廃止の動きについて。

磯谷「やっぱり身近なこととして捉えていないんだな、他人事なんだな、と思います。自分の身近ではそういう事件は絶対に起こらないという確信のもとで、ああいうことをおっしゃっているんだなと思います」
これは逆だと思う。
他人事と思っているから死刑に賛成するわけで、自分や家族、友人が加害者になったらとは思いもしないんだと思う。

死刑を求刑された被告に対する裁判員裁判で無期懲役の判決が出たことについて。
磯谷「遺族はどんなに悔しかったろうと思いました。判決文をちらっと読んだけど、やっぱり裁判員の人も他人事なのかなと。公正に裁くといいますが、何をもって公正というのでしょうか」
他人事というと薄情なようだが、他人事だから冷静に判断できるわけで、公正に裁かなかったら裁判はリンチや復讐の場になるし、冤罪が続出するだろう。

ドーラ・ラーソン「犠牲者遺族の会」副会長はイリノイ州に対して死刑執行の再開を要求している。
小倉孝保「日米両国で死刑を取材してみて感じることの一つは、日本では死刑を支持する人たちから話を聞くことが、反対する人々から取材するよりも比較的、容易であるのに対し、米国では逆で、死刑を支持する人への取材が難しいということだ。これは、日本社会が死刑を圧倒的に支持しているのに対し、米国では死刑に反対する人が日本に比べて多いためだろう。また、キリスト教が寛容を説いている影響もあるのか、米国では遺族であろうとも、死刑を支持していることを大きな声では言いにくい状況にあるようだ。
私は、多くの犯罪被害者遺族に取材を受けてほしいと依頼してきたが、犯人を許し、死刑に反対している人たちは積極的に取材に応じてくれることが多い反面、相手を死刑にしてほしいと主張する人から実名で取材するのはなかなか難しかった」

ラーソンさんの娘(10歳)は、近所のダーネル(15歳)にレイプされて殺害された。
ダーネルは保釈の可能性のない終身刑判決を受ける。

ラーソン「犯罪遺族の大多数は死刑を完全に支持しています。それは、殺人犯がいつか釈放されるのではないかと脅えているためです。犯罪遺族にとって、家族を殺害した者が出所して、普通の生活に戻ることを想像するのがとても辛いためです」

ラーソンさんは事件から24年後、ダーネルを許そうと決意し、手紙を出した。
〈自分の罪を謝りなさい。あなたが、イエス・キリストを受け入れることを期待しています〉

「刑務所から届いた返信には一言も謝罪もなかった。手紙には、
〈私はイエスを信じない〉
とあった。ダーネルは仏教に帰依するようになっていた。しかも、ダーネルは〇四年、刑務所でエッセイを書くようになったが、その中でも、事件への言及は一切なかった」

ラーソン「エッセイは本当に、私を悲しませました。彼は、美しい文章家気取りでした。彼の頭の中に、ビクトリアを殺害したことは残っていないようでした。更生を期待するのは無理でした」
不謹慎ですが、笑ってしまいました。
仏教を信仰するのでは反省したことにはならないらしい。
カーラ・タッカーがキリスト教ではなく、イスラムの信仰を持ったら、世論はどう思っただろうか。

死刑囚が作る『コンパッション(同情)』という隔月の文集がある。
死刑囚の編集長が全米各地の死刑囚から送られてくる原稿に目を通し、刑務所内のコンピューターで編集する。
その文集を宗教団体などに購入してもらい、集めた資金を犯罪遺族の奨学金に充てている。
小倉孝保氏が尋ねた時点で、肉親を殺害された17人に計3万7千ドルを支給している。
これも死刑囚の更生、もしくは贖罪の一つだと思う。

デヴィッド・ダウ『死刑囚弁護人』には、シスター・ヘレン・プレイジョーン(シスター・プレジャンだと思う)のこんな言葉を紹介している。
「死刑支持論は一見して、重大なことを語っているように思えますが、よく考えていくと、深みがない。私はそう思います」

追記
反省ということですが、どうすることが反省になるのかと思います。
そして、反省したと誰が判断するのでしょうか。

裁判の判決が下されるまでに反省したと見なされたら、情状酌量されることがあります。
判決が出てから反省したのでは遅いのでしょうか。

償いとか反省ということは一人では難しいように思います。
他の人との関わり、特に被害者との関わりの中で生まれてくるものだと思います。
そして、償ったから、反省したから、これでおしまい、とはならないと思います。
どう生きるか、です。

宮城先生は、「食べなければ死ぬから仕方ない」と開き直る生き方と、「申し訳ない」と頭が下がる生き方とがある、「他の命を奪わないと生きていけない。仕方ない」は弱肉強食だ、自分が食われる側に回っても「仕方ない」と言えるか、と話されています。
いい例が臓器売買です。
「生きるために殺さなくてはならないというのは大きな矛盾ですね。この矛盾を仏教では罪というのです」

コメント (9)
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