関係者「人的ミス」 操縦士、消火せず脱出
エジプト南部ルクソールで熱気球が爆発・墜落し日本人4人を含む外国人観光客らが死亡した事故で、同国の民間航空省関係者は27日、エジプト人操縦士が最初にガスボンベ周辺から出火した際に、バルブを閉めるなどの処置をしなかった「人的ミス」が原因との見方を示した。複数の地元メディアが報じた。操縦士は消火活動にも当たらずに気球から飛び降りて脱出し重傷を負った。(共同通信2月28日)
当時、別の熱気球を操縦していたムハンマド・ユセフさんは事故が起きた熱気球の操縦士と親友だった。
乗客を置いたまま、先に飛び降りたことについて、ユセフさんは「自分でもそうしたと思う」とかばった。操縦士は意識不明の重体で、負傷者とともにカイロの病院に搬送されたという。(毎日新聞2月28日)
操縦士が乗客を捨てて逃げ出したという記事を読み、コンラッド『ロード・ジム』を思い出した。
ジム(24歳にもならない)はメッカ巡礼のムスリムを800人を乗せた船に一等航海士として乗務する。
その船は何かに衝突して穴が開き、船首艙に浸水した。
船が沈むと思った船長と機関長は、船と乗客を放置して、自分たちだけがボートに乗って逃げようとする。
ジムは逃げる気はなかったのだが、たまたま心臓発作で死んだ三等航海士を呼ぶ船長たちの声を聞いて、ボートに飛び降りてしまう。
「『僕は飛び降りた……』そこまで言って自分を抑え、目を逸らした……『らしいです』と付け足した」
船員が乗客を見捨てたことで、ジムは船員免許を剥奪される。
自分が生き延びるために他者を殺すことは許されるのか。
松本清張『カルネアデスの舟板』でカルネアデスの舟板という言葉を知った。
古代ギリシアの哲学者カルネアデスが出したといわれる問題であるカルネアデスの舟板について、ウィキペディアにはこのように説明されている。
「一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった」
こういうことはとっさの判断だから、人は思いもかけないよいことをするか、思いもかけないひどいことをするか、たまたまだと思う。
コルベ神父が有名だが、線路に落ちた女性を助けようとして死んだ二人(『横道世之介』のモデル)のような人は少なくない。
最近読んだデヴィッド・ダウ『死刑弁護人』にもこんなエピソードが載っている。
ハイチがハリケーンに襲われ、ある父親は屋根の上で双子の子供を抱きかかえていたのだが、一人が滑り落ち、激流に飲み込まれてしまう。
「男は我が子を追って飛び込もうと思っただろうか? とっさに、残った子どもの目をふさいだだろうか?」
生きるか死ぬかという選択の究極はウィリアム・スタイロン『ソフィーの選択』だと思う。
二人の子供とアウシュビッツに連行されたソフィーは軍医にこう告げられる。
軍医「子どものうち一人は残してよろしい」
ソフィー「えっ?」
軍医「子どものうち一人は残してよろしい。もう一人は行かなきゃならん。どちらを残す?」
ソフィー「選ぶんですか、あたしが?」
軍医「おまえはポラ公だ、ユダ公じゃない。だから特権を与えてやる。選択の特権をな」
ソフィー「選べません! あたし、選べません!」
軍医「黙れ! さあ、さっさと選べ。選択しろ、ちきしょうめ、しないんなら二人ともあっちへやるぞ。急ぐんだ!」
ソフィー「あたしに選ばせないで。あたしには選べません」
軍医「それじゃ、二人ともそっちへやれ。左のほうへ」
「エヴァ(ソフィーの娘)を投げ出し、ぶざまによろめくような動作でコンクリートから起き上がったとき、ソフィーはかぼそいが高くあがるエヴァの泣き声を聞いた。「この子をとって!」とソフィーは叫びをあげる。「あたしの女の子を連れて行って!」
すると部下の伍長は、ソフィーが忘れようにも忘れられない気を配った優しい態度でエヴァの手を引き、死を待つ人びとの集りのほうへ連れて行った」
井上ひさし『父と暮らせば』では、美津江は原爆で崩壊した家の下敷きになった父親を見捨てて逃げたという罪悪感を持って生きている。
災害に遭った際、ジム、ソフィー、美津江のような選択をせざるを得なかった人は少なくないだろうと思う。
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映画は、「ポセイドンアドベンチャー」。これは、見た方、多いと思います。
漢文は、『太平御覧』にあった「帝王世記」。
殷の湯王の時、干ばつが7年も続き、農作物が育たないず、食糧難に。その時、王が自ら犠牲(雨乞いのための、人身御供)になって、民の危機を救ったというお話。そのようなことが、この本には、書いてあったと思います。その真実は、ともかく、古代の王には、こういう精神が備わっていた、ということを記しておきたかった本なのかもしれません。
ジーン・ハックマンの役や、古代の王のお話を、現実放れしていて、馬鹿馬鹿しいと思う人や、わが身に置き換えて、しばしの間でも、考え込む人とか、いろんなタイプの人がいると思いますけど・・・
自分の命も他の方の命も、かけがえのないもの。
今の日本なら、自死や死刑を選ばなくても、なんとか生きていける環境を作り上げることも可能な社会と思うのですが・・・
毎日のように自死の報道を見たり聞いたり、ときに死刑の判決に遭遇すると、心が痛んでしまいます。でも、こういうことが、日常的にあると、人間って、そんなこと、どうでもよくなってしまうのかもしれません・・・
最近、とみに電車の人身事故が、多いです。車内でそのニュースを目にした乗客は、またか!とうんざりしている様子で、実に迷惑そうです。もう、こういうことに、慣れっこになってしまってきています。
一方では、自死に心が痛んでも、実は、私も、通勤中の人身事故にうんざりしてます。
そこまでいかなくても、ささやかな自己犠牲はあちこちで見られると思います。
私も東京に行ったとき、中央線で人身事故があり、正直むかつきました。
眼の前に見ていないと、人の痛みはわからないということです。
ところで、王が犠牲になって民の危機を救った説話を集めて書いたという、フレーザーの「金枝編」を、お読みになったこと、ございますか?部分的に拾い読みしましたけど、宗教のこと、もっと知らないと、深く味わうのは無理なのかなぁって感じました。
ささやかというと、たとえばバスを降りようとしてお金がないことに気づいた人にバス代をあげるとか。
『金枝篇』は読んだことがありません。
王が犠牲になって民の危機を救うということですが、宗教的権威を持つ王が弱体化すればそれを殺し新たな王を戴く「王殺し」のことではありませんか。
古代の王が、神といかに交渉力を持っていたかを、宗教面から考えた本なのかしらね?ノブレス・オブリージュとも、また違ったこと、書いてあったように思いましたけど。まともに読んでいない本について、あれこれ語っても何ですので、この本については、この辺りで。
たとえば、こういうのって自己犠牲かなぁって、自分で思うのですが、私、これから、あまり、皆さんが行きたがらない所に?出張で行ってまいりま~す。他に行く人いないもので。
また、戻りましたら、お会いできるといいですね・・・
これは再生と復活の儀式という意味合いだったと思います。
ネットで調べたのですが、どうも出てこないので、作り話かもしれませんが。