三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』1

2012年03月10日 | 

東日本大震災の際、海外のメディアは、被災者が混乱せずに冷静に対応していることに感銘を受け、日本人を讃えた。
大きな災害が起こると、日本以外の国では暴動、掠奪、支援物資の奪い合いなどが起こるものだと私も思っていた。

ところが、レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』によると、「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や身も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い」
どうやら災害が起きても秩序が保たれ、人々が冷静に行動するのは日本だけではないらしい。

災害が起こると人々はどういう行動を取るか、普通は次のように考える。
「集団パニックが起き、人々は我先にと出口へ殺到する。誰もが他の人を踏みつけてでも逃げようとし、まわりに対する思いやりは完全に失ってしまう。パニックが少し収まると多くの人々がヒステリーを起こすか、またはあまりのショックに無力な状態に陥る。火事場泥棒や略奪、もしくは他の形態の利己的で搾取的な行為に走る者もいる。そのあとは、不道徳と、社会の混乱、精神錯乱が蔓延する」
ハリウッドのパニック映画でおなじみのイメージである。
恐怖で判断力を失い、野獣のような本能に回帰した人々は利己的な行動をとるので、軍隊によって制圧し、国民をコントロールしなければならないというような。

しかし、エンリコ・クアランテリは700例以上の災害を研究した結果、「残忍な争いが起きることはなく、社会秩序も崩壊しない。利己的な行動より、協力的なそれのほうが圧倒的に多い」と言っている。
たとえば空襲。
社会学者や精神分析医は、ドイツが空襲すればイギリスの民衆はヒステリーを起こし、混乱、パニック、そして社会秩序が崩壊する、と警告したが、空襲下のロンドンではそんなことにはならなかった。

災害時には人々の行動はおおむね理性的で、普段見せない底力を発揮し、連帯感と共感を持って助け合い、協力し合う。

避難しながらお互いが譲り合う、障害者が避難する手助けをする、命令されなくても食料・おむつなどを分け合う・無料でふるまう、自らの危険を顧みずに逃げ遅れた人の救出・保護をする、被災者を救出するために自動車や船を提供する、自宅へ被災者の受け入れをする、町の復興と再建へ協力するなど、無数の利他的な行為が見られる。
しかし火事場泥棒はめったに起きない。

「生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる」
日常生活では疎外感と孤立感を感じているが、災害時には帰属感と一体感を覚える。
「どの災害においても、苦しみがあり、危機が去ったあとにこそ最も強く感じられる精神的な傷があり、死と喪失がある。しかし、満足感や、生まれたばかりの社会的絆や、解放感もまた深いものだ」

2005年、ニューオリンズをハリケーン・カトリーナが襲った際、カリフォルニアから来たボランティアのブライアンは「最初は理想主義的な理由でボランティアをやっていると信じていたけど、注ぎ込むより、得るもののほうが大きかった。うんと大きい」と話している。

そういえば野口善國弁護士の話によると、阪神大震災の時には非行少年がボランティアに励んだそうだ。
「阪神大震災の時、数人の子を面倒を見ておりましたが、お母さんたちが来て言うには、「うちの子があんなに立派だとは思わんかった」と言うんです。「なんでですか」と聞いたら、朝から晩まで人を助けて歩くんです。埋まった人があすこにいるというと、みんなもう必死で助けるわけです。帰ったらヘトヘトになって口もきけんぐらい疲れているんだけれど、連日、助けて歩いてる。そういう立派なことをしているんだと言って、お母さんが大喜びしてるんです。
ダメだと言われる非行少年でも、そういう能力が必要な場が与えられ、環境と活動の場が整えられると、必ず能力を発揮する。そういうことがあるんです」
なるほど。

デボラ・ストーン「他人を助けると、自分は必要とされている価値のある人間で、この世での時間を有効に使っていると感じさせる。他人を助けることは、生きる目的を与えてくれる」
ボランティアとは人のためではなく、自分のためなんですね。
レベッカ・ソルニット「災害が起きると、人々は集まる。この集まりを暴徒と見なして恐れる人もいるが、多くの人はパラダイスに近い市民社会の体験としていとおしく思う」

コメント
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