三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』2

2012年03月13日 | 

レベッカ・ソルニットは『災害ユートピア』で、「災害時には二つの集団がある」と言う。
・利他主義と相互扶助の方向に向かう多数派
・冷酷さと私利優先がしばしば二次災害を引き起こす少数派
多数派は一般市民であり、少数派には権力者・エリート・メディアが含まれる。

「市民たちは自分たちで組織を作り、互いの面倒を見合った。災害が起きた直後には、政府はまるで打倒されたかのようにヘマをやり、市民は反乱を起こしたかのようにうまくやる」

権力者やエリートは、自分たちが管理しないと民衆は収拾がつかない状態に陥ると信じているので、災害が起きると、暴徒による暴動・略奪・放火・強姦・殺人が起こることを恐れる。
その恐怖感から弾圧的な手を打ち、それが二次的な災害を呼ぶケースもある。
「権力者たちのこの恐怖に駆られた過反応を〝エリートパニック〟と呼んでいる」
エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、噂をもとに起こすアクション」である。

たとえば2005年のハリケーン・カトリーナの場合。

「町(ニューオリンズ)は無法地帯と化し、集団レイプや大量殺人が横行しているとの噂が広まったが、のちにそれは事実ではなかったと判明した」

ニューオリンズでは被災者の間で助け合いが見られた。
軍のヘリが10~15mの高さから食料や水を落とすと、それを集めて、みんなで分け合っている。
多くの人が被災者に救いの手を差し伸べ、何千名もの住民の命が助かった。

しかし、その後、「警官や自警団員、政府高官、報道関係者を含む他の人々が、ニューオリンズの住民を危険な人たちであると決めつけ、水没し腐敗した町から避難させるどころか、病院から救出することすら危ないと判断したせいで、数百人もの人々が命を落とす羽目になった。町を脱出しようとした人々の中には、銃を突きつけられて押し戻され、銃殺された人もいた」
外部からニューオリンズに来たボランティアや支援物資は閉め出され、被災者は被災地から出ることが許されなかった。

ニューオリンズ市長と警察署長が「恐怖と不安の雰囲気をつくるのに一役買った」
市長は「スーパードームにはギャングのメンバーが数百人いて、レイプや殺人を犯している」と報告している。
略奪を阻止するために緊急要員(主に警官と州兵)を配備した州知事は「隊員たちは撃ち方も殺し方も知っていて、必要なら、そうすることも厭わないし、わたしもそうしてくれることを期待している」と、市民を殺す許可を暗に出した。

1906年のサンフランシスコ地震の際にも、行政は市民を暴徒と見なし、軍隊は略奪者を射殺するよう指示したそうだ。

ニューオリンズの白人自警団は「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」というので、多くの黒人を殺した。
こうした軍隊や警察、自警団の行動は南京虐殺や関東大震災での朝鮮人虐殺、そして大杉栄たちの暗殺を思わせる。

メディアは噂の裏付けをとらず、「ニューオリンズは完全な無法地帯に陥った」「暗い通りでは、凶暴なギャングどもが警察のいないことをいいことに、やりたい放題に振る舞っている。無謀にも家から外に出ようものなら、強盗に襲われるか、撃たれかねない」などと、虚偽の報道した。

「略奪」とは不正確な言葉だとレベッカ・ソルニットは言う。
「それは二つの異なる行為を含めもっている。一つは〝窃盗〟。もう一つは〝調達〟、すなわち、緊急時に必要な物資を確保することを意味する」
ニューオリンズでは調達だった。
「ほとんどの人が自身が生き延びることや、弱い人を助けることに精一杯で、物にまで考えが及んだ人は、割合からすればごく少数だった。(略)食料、水、おむつ、薬やその他の多くのものが不足し、店から補給されるようになった」

エリートやメディアがパニックになるほうが重大だと、レベッカ・ソルニットは指摘する。
「なぜなら、彼らには権力があり、より大きな影響を与えられる地位にあるからです。彼らは立場を使って情報資源を操れる」

マスコミとエリートが引き起こす二次災害の一例が、2001年の世界貿易センターである。
粉砕されたビルのかけらが混じった空気の有毒性に多くの人が気づいた。
「空気の質に関する環境保護庁の報告書は、科学的証拠に基づき、警告を発する内容だったのだが、ブッシュ政権はそれを安心させる内容に改ざんして報道したのだった。そして、ジュリアーニ(ニューヨーク市長)は検閲と広報活動でそれに同調した。(略)専門家は、グラウンド・ゼロにいる全員が汚染対策として防毒マスクなどの予防措置をとるべきだと明言したが、このガイドラインを守った者は少数で、市当局も強制もしなければ、他の安全基準を導入することもなかった」
これって福島原発事故の政府発表やその後の対応そのままじゃないですか。

そしてメディアの弊害。
「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする」
これまた日本でも、権力者とメディアの癒着によって、治安悪化→厳罰化、北朝鮮脅威論→軍備増強、という思考回路を植えつけている。

なぜ権力者やエリートは市民を信じないのか。
「競争を基盤にした社会では、最も利己的な人間が一番高い地位に登りつめる」
自分が残酷にも利己的にもなれるから、他の人も同じだと思い、市民を恐れるわけである。
そして、災害による変化が彼らの権力基盤を揺るがすと思い込む。

レベッカ・ソルニットは心理療法家にも厳しいことを言っている。

2001年のアメリカ同時多発テロの時、

「推定九千人の心理療法士がロウワー・マンハッタンに殺到し、手当たりしだい、見つけた人を治療した」そうだ。
「異常な状況の中で、普通と違った心理状態になることは正常なことであり、必ずしも専門家の介入は必要としない」
ある社会科学者は「トラウマ産業」という言葉を使っている。

「何を信じるかが重要だ」とレベッカ・ソルニットは言う。
権力者やメディアか、それとも普通の人々か。

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