三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える6 裁判員は簡単か

2008年11月10日 | 日記

裁判員になりたくないという人が多い。
その理由は
・人を裁くなんてできない
・仕事、育児、介護などで時間がない
ということだと思う。

その対策として、
1,裁判員は簡単だという宣伝
2,時間がかからないよう早く裁判をすませる(迅速化)
それでもいやな人がいるから
3,強制(罰則あり)
ということだろうと思う。

では、裁判員は本当に簡単で、素人でも十分つとまるのだろうか。
裁判員はそんな難しくない、簡単ですよ、という宣伝の一つが最高裁判所が出している『よくわかる!裁判員制度Q&A』(無料)というマンガである。
裁判員になっても心配はいりません、気楽にどうぞ、という内容である。

「特に法律知識は必要ありません。なお、有罪か無罪かの判断の前提として法律知識が必要な場合は、裁判官から分かりやすく説明されますので、心配ありません」

Q 法律の専門家でない国民が加わると,裁判の質が落ちたり,信頼が損なわれたりしないでしょうか。
A そのようなことはありません。法律的な判断はこれまでどおり裁判官が行いますし,必要な場合には裁判員のみなさんにもご説明します。裁判員のみなさんには,「事実認定」と「量刑」について判断していただきます。これについては,法律的な知識は必要ありません。

法務省HPの裁判員コーナーの「よくある質問」も同じ。
Q 法律の知識がなくても大丈夫?
A 大丈夫です。裁判員は、事実があったかなかったか、どのような刑にすべきかを判断します。このような判断に法律の知識はいりませんし、必要なことは裁判官が説明します。


ええっ、と思った。
裁判というのは法律の知識のない素人でもできるようなものだったのか。
だったら裁判官は誰でもできることを高給をもらってやっていたわけか、ということになるのだが。

『よくわかる!裁判員制度Q&A』の最後は、裁判が終わったあと、裁判員たちが「でもいい勉強になったな」「めったにできる経験じゃないですしねぇ」と話しながら帰る。
裁判員は簡単だった、私にもできた、いい経験だった、というわけである。
裁判というのは被告の人生を左右するのだから、責任重大なはずだ。
それとも、裁判員とは単なる社会勉強にすぎないのだろうか。

『よくわかる!裁判員制度Q&A』の登場人物が人の生き死にがかかっているのにこんなのんきな感想をもらすということは、最高裁の人たちが裁判をこの程度に軽く考えているということなのかもしれない。
「自分にはできそうもないという人の辞退を認めず、とにかく何でもよいからやれと言っているのです。裁判員法が重大刑事事件の裁判というものをいかに安易に考えているかということが明らかです」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

裁判員はそんな簡単なものではないと思う。
では、どういう点が難しいか。
1,重罪を裁くから負担が大きい
2,事実認定や量刑判断は素人には無理
3,無罪推定の原則は常識とは違う

まずは「重罪を裁くから負担が大きい」ということ。
裁判員裁判の対象事件は「一定の重大な犯罪であり,例えば,殺人罪,強盗致死傷罪,現住建造物等放火罪,身代金目的誘拐罪,危険運転致死罪など」だから、裁判員は死刑判決を出すこともある。
一般国民が死刑判決を下すのは世界で日本だけだそうだ。
ヨーロッパは死刑が廃止されているし、アメリカでは裁判官が量刑を下す。

裁判員制度は多数決による評決だから、被告は無罪を主張し、検察は死刑を求刑している裁判に参加し、自分は無罪だと思ったのに多数決で死刑判決が出ることだってある。
それでも、社会勉強だ、いい経験だったと言えるだろうか。
無実の人間を殺す手伝いをしたというのに平気でおれるとは思えない。

袴田事件の一審で裁判官だった
熊本典道氏は、無罪判決が出ると思っていたら、他の二人の裁判官が死刑判決を出した、それで退官後、袴田氏の無罪を訴えている。
もっとも裁判員は「1.評議の秘密と2.評議以外の裁判員としての職務を行うに際して知った秘密」を漏らしたらういうことをしたら罰則がある。
逆に、有罪だと思っていたのに無罪判決になったら、許せないという気持ちになるだろうか。

裁判員制度では多数決で有罪か無罪か、量刑は何かを決める。
これが裁判員制度の一番の問題かもしれない。
アメリカの陪審員制度では評決は全員一致である。
シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』のように、1人でも無罪の評決を出す人がいたら有罪判決は出せない。

しかし、裁判員制度は陪審員制度とは違って多数決であり、おまけに量刑まで多数決で決めてしまう。
というか、今までも三人の裁判官による多数決だということがそもそも問題だと思う。
「一抹の不安があれば無罪」なのに、多数決で決めていいのものだろうか。

多数決となると、どうなるか。
安田好弘弁護士はこう言っている。
「社会の中での「殺せ、殺せ」という声が、そのまま裁判員の気持ちとして裁判に登場するようになるわけです。しかも多数決ですから、世の中の多数の刑罰観がそのまま判決に影響してくることになります。法廷はリンチの場になってくるでしょう。重罰化が進むだろうし、冤罪は増えるだろうと予想されます」

どうして裁判員はわざわざ重罪を裁かないといけないのかと思う。
船山泰範・平野節子『図解雑学 裁判員法』はこういう意見である。
「どのような事件を対象とするかについては、いろいろな選択肢があったはずです。たとえば、(ア)国民にとって身近な交通事故や万引き事件などの軽微な事件、(イ)国民の多くが嘆いている少年の刑事事件(あるいは、現状では非公開の少年審判)なども対象となり得ると思います」

「私はむしろ、法律家ではない国民の良識を活かすことのできる分野はどこにあるか、という視点が必要かと思います。その意味では多少事件数が増えても、上述の(ア)(イ)を提案したいと思います」


なるほど、「司法に対する国民のみなさんの信頼の向上」のためにはこちらのほうがいいと思うけれども、万引きなどの軽い事件を裁判員が裁くとなると、裁判員が関わる裁判がやたらめったら多くなるので無理ではないかと思う。
どちらにしても裁判員になるということはかなりの負担があることだけはたしかである。

コメント (21)
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