三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える12 裁判官と市民

2008年11月28日 | 日記

伊藤和子弁護士は裁判員制度に賛成する理由をこう書いている。
「以前、私は、自分が取り組む冤罪事件で裁判官と面会し、そのあまりに心ない態度に接して「やはり刑事裁判にはどうしても市民参加が必要だ」と痛切に感じた。もちろん裁判官によって対応に違いはあるだろう。しかし、被告人との立場の互換性がほとんどないエリート裁判官だけによって被告人の一生を決める判断がされるべきではなく、被告人と同じコミュニティに住む「もしかしたらこの人と同じ立場に立たされたかもしれない」と意識しうる市民たちが、判断に参加することはとても重要だ、という気持ちはいまも変わらない」
(『誤判を生まない裁判員制度への課題』)

刑務所を視察した裁判官が「想像以上に多様な矯正教育を行っていることが実感できた」とか「受刑生活の厳しさに驚いた」という感想を述べたそうだ。(読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』)
裁判官は判決を下したらそれでおしまで、受刑者の矯正や社会復帰に関心がないらしい。
これじゃあねと思う。

でも、弁護士だってエリートである。
橋下府知事が私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会を行なった際、「金がないのなら公立高校へ行け」「日本は自己責任が原則」「誰も救ってくれない」「いやなら、政治家になるか、日本から出るかだ」などと言っている。
お金がなく、勉強ができない被告は自己責任だから自分で何とかしろと、弁護士である橋下府知事は考えているのだろうか。

新司法試験では法科大学院を修了することが受験資格となったことについて、安田好弘弁護士は次のような話をしている。
「ロースクールを卒業した人たちを中心に採用していくとなると、大学四年間に加えて、さらに大学院二年間の学資を用意できる人しか法曹になれないわけです。今まで行われてきた司法試験は、どの人でもかまわない。学校へ行っていない人でもとにかく司法試験を受けて合格すれば法曹になれたんです。広く候補者を集め、経験豊富な人たちが司法試験を受けて、そして法曹になってという発想があったわけですね。ところが、間口を一気に狭めて、しかも法曹になるためだけ勉強してきた人間を使うように変わります。そうなると、つまるところ法律の世界でしか物事を考えない人たちだけで法律が運用されていくようになるわけです」

一流校を出て、司法試験に合格し、大阪府知事になったエリートである橋下府知事のような考えを持つ法曹が新司法試験によって増えそうな気がする。

また、市民にしてもそうだ。
伊藤和子氏が言うように、市民が「もしかしたらこの人と同じ立場に立たされたかもしれない」という意識を持ち、「ひょっとして自分も」と思うかどうか疑問である。

シスター・プレジャンはこういう例を話す。
「これはルイジアナの男性の話なんだけど、彼はレストランに押し入って、6人を殺したの。いや、違う、6人をあちこちで殺し回ったの。ほかにも殺そうとしたんだけど、銃が壊れたか何かで。
それで、彼は死刑判決を受けた。で、それから、素晴らしい弁護士を得たの。弁護人というものは、私にとってのヒーロー。だって、〝人間のくず〟って呼ばれる人たちを弁護するんだもの。
弁護人たちは、もういっぺん審理を開かせて、刑の軽減事由を示したの。彼の人生に関してね。母親は13歳の時に彼を妊娠した。彼女は寄生虫がいるんだと思って、おなかをたたいた。それが、彼の人生で「たたかれる」ことの始まりだった。
で、その後、母親と付きあう男たちがたたくようになって。彼はそれから精神的におかしくなり始めた。おなかの中にいた時から、たたかれてたんだけどね。
陪審員たちは、彼の身に起きたこと、つまり、人生にまつわる刑の軽減事由を最後に聞いて、「彼が被害者を全員射殺したのは間違いないけど、死刑にすることはできない」って言ったの。
裁判の間もね、彼は感情が抑えられなかった。命は助かった被害者の1人が証言している時に、「ああ、お前も殺してやればよかった」って言ったんだから。
それでも陪審は、そんな彼の人生に酌量の余地を見つけて、「ここにいるのは、心的外傷を受けて、ある日ブチ切れて暴力に走った人なんだ」っていうことに気づくわけ」
(布施勇如『アメリカで、死刑をみた』)

裁判で「あいつも殺せばよかった」と言うなんて、まるで宅間守である。
だけども、アメリカの陪審員は事件の背景、被告の生育歴を考慮して、死刑にはしなかった。
こういう場合、裁判員が「ひょっとして自分だって」という気持ちが起きるかどうか。

自分は犯罪者の世界とは無関係だ、だから犯罪とは無縁だ、と思いたい気持ちが我々にはある。
そう思うことによって安心したいわけである。
出所者の自立支援施設建設を反対するのは、犯罪者との接点を少しでも持ちたくないという気持ちからだろうと思う。

死刑問題にしてもそうだ。
多くの人は死刑制度にどういう問題があるかを考えたりしない。
自分とは関係のないことだと思っている(思いたい)から。
シスター・プレジャンによると、「アメリカ国民の90%以上は、無実の人が過去に処刑されたと考えているのよ」ということだが、日本で「無実の人が処刑されたことがあると思いますか」と質問したら、どういう答えが得られるだろうか。
ほとんどの人が「わからない」と答えると思う。
「わからない」とは、「知らない」というよりも「関心がない」という意味である。
市民感覚にあまり期待しないほうがいいと思う。

コメント (6)
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