三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

核兵器の怖さの認識を

2008年08月06日 | 日記

ある人から「広島 原爆と戦争展(2007年8月2日~7日)報告集」をもらう。
この中に、原爆と戦争展を見た外国人のアンケートが載っている。

「アメリカ人、19歳、女性、学生
目をさまされた思いがした。アメリカの学校では、こうした歴史が違ったように教えられている。(略)」
「アメリカ人、23歳、女性、教師
これまでの生涯を通じて、原爆は恐ろしいものだが、(広島、長崎への投下は)戦争を終わらせたので正しかったと教えられてきた。(略)」

アメリカでは学校教育で原爆投下を正当化しているわけだ。
これについてはそんなもんだろうなとは思ったが、次の答えには驚いた。
「オーストラリア人、31歳、男性、プログラマー
大変心に響いた。日本に焼夷弾が落とされたことは知っていたが、民間人が狙われたことは知らなかった。(略)」

プログラマーだから知識人なんだろうが、原爆と焼夷弾との違いを知らないのだろうか。
他の都市でも空襲によって大勢の民間人が殺されているのだが。

日本の主要都市が無差別爆撃されたことを知らないのは外国人だけではない。
「一番驚いたことは、日本全国に空襲があったということです。そんなことも知らず情けないと思いながらも、今日、みたことは、子どもたちに、必ず伝えたいと思っています。(略)
(京都市、28歳、小学校教員、女性)」

そりゃ京都は空襲を受けていないけれど。
これをどう考えたらいいのだろうか。
小中学校での平和教育をどうこうというレベルではないと思う。

田中優子氏がヘレン・カルディコット『狂気の核武装大国アメリカ』の書評にこういうことを書いている。
「北朝鮮脅威論のもとでアメリカが日本に核兵器生産の合法化を迫っていることや、ミサイル防衛システム共同開発のための覚え書きに調印済みであることを指摘している。この防衛システムの実態も恐ろしいものだ。「ミサイルを発射されても迎撃できるのだから大丈夫」などと思っているととんでもない。核兵器を積んだミサイルを発射直後あるいは大気圏再突入時に迎撃した場合は、約五〇キログラムのプルトニウムが人々の上に降り注ぐ。化学兵器が積まれていた場合は、それがばらまかれる。直下にいる人だけではない。風に乗って地球全体に拡がるのである。考えてみれば当たり前だが、現代の核戦争とは、いかに防衛手段があろうと一瞬で地球全体を巻き込むものなのである」

「今、もし世界のどこかに核爆弾が落とされたとしたらどうなるだろう。(略)生き残る人がいたとしても放射線に被曝し、疫病が蔓延し、太陽光線がおおはばに遮断されて低温に苦しみ、気温が回復してからはオゾン層の減少によって太陽光線が強烈になるのだ」

核兵器を使うことは自殺行為である。
原爆投下によって戦争の終結が早くなったとか、やられる前にやってしまえと言って核兵器の使用を肯定してたら、結局は自らも滅びるということをわかっていない人が多い。
原爆展などによって核兵器の怖さを肌で感じることが大切だと思う。
でないと、過ちは繰返すことになる。

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コメント (26)
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