三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

原理主義というフィクション

2008年08月30日 | 日記

アフガン邦人殺害:タリバン報道官、NGO復興事業否定 「支援中止求め拉致」
アフガニスタン東部で非政府組織「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也さん(31)が拉致され、遺体で見つかった事件で、反政府武装勢力「タリバン」のザビウッラー報道官は28日、毎日新聞に対し、「拉致グループはタリバンの命令で拉致を実行した。当初は日本人だとは知らなかった」と語った。
 日本人と判明した後は「日本政府にアフガン復興支援すべてを中止させるつもりだった」とした上で、「殺害までは命じていない」と弁明した。同報道官は各地にいる広報担当者の一人で、東部地域で米軍との戦闘があった場合などに、メディアからの問い合わせに応じている。26日には毎日新聞や地元メディアに、「日本人を殺した」と語っていた。
 報道官は、拉致を命じた理由として、「ダム建設を中止させ、外国政府にアフガン政府と米国支援をやめるよう求めるつもりだった」とした。ペシャワール会については「知っている」としながらも、「我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」とし、ペシャワール会の復興支援事業そのものを否定した。
毎日新聞8月29日

タリバン報道官の「我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」という発言を読み、原理主義とはこういうことなのかとわかった気がした。

原理主義とは何か。四衢亮氏は
「今のイスラム原理主義は教えが純粋であるためには少々人が犠牲になってもかまわないということです。本来宗教というのは、人間をして人間を回復していくものですが、人間よりも教えが純粋であることのほうが大事になってくるんです。イスラム原理主義というのはマホメッドが生まれた時代の通りにすることなんですね。マホメッドが生きていた7世紀の通りにすることが大事だということです」
と言っている。

井上順孝『若者と現代宗教』に書かれている、ファンダメンタリズム(根本主義、原理主義)の特徴である「三つの「げんてん」主義」とは、
・原点主義とは、その宗教の創始された時点、あるいはその宗教の出発点と考えられる時点の精神なり状態なりに帰れということ。
・原典主義とは、その宗教の聖典に忠実であれという立場。しかしその解釈が歴史的に適切であり正統的であるかどうかはまったく別問題。
・減点主義というのは、現在の状況を負の状態、かつてあった信仰形態からすれば堕落した状態として捉えること。

それに加えて、原理主義は恣意的である。
何をその宗教が創始された時点(イスラム教ならマホメッドが生きていた時代)の通りにするのか、どういう新しいことは受け入れるのか、自分たちの都合のいいように決めている。
本当に7世紀の状態に帰ろうとするなら、少なくとも7世紀には携帯や地雷や機関銃や車などはなかったのだから使わなければいいし、「道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」のなら畑や家を作ることもだめだということになるはずだ。

伊藤さんを拉致して殺した実行犯は、ダムを造ることがアフガニスタンの地形や文化を変えることになるから許されないと本気で思ったかもしれない。
しかし、指導者たちは「アフガンでの復興支援事業を妨害する狙いだった」のだろう。
テロリストや職業ゲリラは社会が安定したら自分たちが食っていけない。
だから、テロを起こして常に混乱状態のままにしておこうとする。
アフガニスタンの文化とはまったく無関係な話である。

原理主義というのは「その宗教の創始された時点、あるいはその宗教の出発点と考えられる時点の精神なり状態」というフィクションを事実だと主張し、そのフィクションを現実化しようとする。
そして、権力を手にしようとする者は原理主義を政治的に利用する。
原理主義に反対することはその宗教を非難することになってしまうから、信者たちは何も言えなくなるのである。
この意味で、明治維新から敗戦までの日本も神道原理主義だったと思う。

天皇ファン(アンチも含む)にとって気がかりの一つが、天皇家は万世一系かどうかということである。
万世一系とは神武天皇から現在まで一貫して血統によって世襲されてきた天皇家によって日本は統治されてきたという考えである。
万世一系を否定する論として江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説水野祐氏の王朝交替説などがある。


それらの説を遠山美都男『天皇誕生』ではこのように否定している。
「六世紀以前の王位継承の在りかたについていえば、それはいわゆる万世一系でもなく、また、さりとて王朝のドラスティックな交代があったともいえない、と考えられる。なぜならば、『宋書』倭国伝からは五世紀段階の倭国王位の継承のようすが窺われるが、それによるならば、王位がまだ特定の一族に固定しておらず、王を出すことができる一族はなお複数存在していたようだからである」
「要するに六世紀以前は、王位が血統によって継承されておらず、王にふさわしい人格・資質の持ち主をもとめ、王位が複数の血統集団のあいだを移動していた段階なのである」


遠山美都男氏の考えはこうである。
「そもそも『日本書紀』は、本当に万世一系の天皇の歴史なるものを描き出そうと企てていたのであろうか。われわれは、それを問題にせざるをえない。『日本書紀』の記述をそのまま素直に読めば、そこに万世一系の皇位継承の歴史が描かれていると考えられるかといえば、かならずしもそうとはいえないと思われる。
なぜならば、『日本書紀』の叙述、とくに六世紀初頭の継体天皇以前の部分を子細に読むならば、そこに天皇を中軸としながらも、それぞれに主題を異にする二つの物語、或いは二つの世界が存在することに気づくからである」

とはいえ、5世紀初の継体天皇からは一系なんだから大したもんだと思うが、古ければいいというわけではない。
万世一系とは天孫降臨とセットなのである。
ただ単に血統によって相続されただけでなく、神の子孫が日本を統治しているからこそ神国なわけである。
地方の豪族が天皇になったというのではだめなのである。

幕末における勤王倒幕の目指すところは「橿原の御代に復る」、すなわち神武天皇の時代に戻ろうということだった。
佐久良東雄「死に変り 生き変りつつ もろともに 橿原の御代にかへさざらめや」
まさに原理主義である。
しかし、神道の学者や国学者たちは明治維新に失望した
矢野玄道「橿原の 御代に復ると思ひしは あらぬ夢にて 有りけるものを」
天皇を玉として利用した岩倉具視や伊藤博文といった元勲たちは、神武天皇の時代に復古しようとはしなかったからである。
そして、軍部にとって天皇は玉でしかなかったが、天皇原理主義をふりかざしたわけである。
なんだか似ていると思う。

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