三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

スカートを直す人に私はなりたい

2008年03月01日 | 日記

伊坂幸太郎『魔王』は超能力を持った男とカリスマ性のある政治家のお話。
スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』を思いだすし、世の中の動きがファシズムになっていくのは半村良『軍靴の響き』があるが、『魔王』はそこまでの逼迫感はない。
そこらの話はおいといて、『魔王』には、ムッソリーニにまつわるこういうエピソードが書かれている。

ムッソリーニは恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、死体は広場に晒された。
「群衆がさ、その死体に唾を吐いたり、叩いたりして。で、そのうちに、死体が逆さに吊されたんだって。そうするとクラレッタのスカートがめくれてね。群衆はさ、大喜びだったんだってさ。いいぞ、下着が丸見えだ、とか興奮したんじゃないの」
その時、梯子に昇ってスカートを戻して、自分のベルトで縛って、めくれないようにしてあげた人がいた。

後半の主人公にこの話をした女性は、
「わたしはいつも、せめてそういう人間にはなりたいな、と思ってたんだ」
そして、
「他 の人たちが暴れたり、騒いだりするのは止められないでしょ。そうやって、大勢の人が動きだすと怖いし。ただ、せめてさ、スカートがめくれているのくらいは 直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことくらいはできる人間ではいたいなって、思うんだよね」
と言う。

私はスカートを直すことはもちろんできないだろうし、どっちかというと下着が見えたことを喜んで騒ぎそうな気がする。

関東大震災の時に朝鮮人が大勢虐殺された。
加賀乙彦『永遠の都』の中で、病院長が病院で働いていた朝鮮人をかくまいきれなかったエピソードがあった。
ルワンダの虐殺では、殺さなければツチ族の仲間と見なされて殺された。

その場に私がいたとしたら、どういう行動を取るだろうか。

前半の主人公の弟は、
「馬鹿でかい規模の洪水が起きた時、水に流されないで、立ち尽くす一本の木になりたい」
と言う。
私は簡単に流されるだろうが、せめて根っこだけでも残れたらと思う。

追記
chi-さんから「クラレッタのスカートを直したのは、地元の貴族出の人だったらしいです」というコメントをいただきました。
そこで考えたのですが、貴族ではなく一般民衆がスカートを直したのだったら、わいわい騒いでいた人は黙っていたでしょうか。
貴族という権威があるからこそできたことかもしれないと思いました。

『魔王』の主人公の弟は、「立ち尽くす一本の木」になるためには力がいるというので、ある手段でお金を貯めます。
個人が素手で頑張っても、力や権威がなければ流されてしまうのでしょうか。

コメント (60)
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