伊坂幸太郎『魔王』は超能力を持った男とカリスマ性のある政治家のお話。
スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』を思いだすし、世の中の動きがファシズムになっていくのは半村良『軍靴の響き』があるが、『魔王』はそこまでの逼迫感はない。
そこらの話はおいといて、『魔王』には、ムッソリーニにまつわるこういうエピソードが書かれている。
ムッソリーニは恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、死体は広場に晒された。
「群衆がさ、その死体に唾を吐いたり、叩いたりして。で、そのうちに、死体が逆さに吊されたんだって。そうするとクラレッタのスカートがめくれてね。群衆はさ、大喜びだったんだってさ。いいぞ、下着が丸見えだ、とか興奮したんじゃないの」
その時、梯子に昇ってスカートを戻して、自分のベルトで縛って、めくれないようにしてあげた人がいた。
後半の主人公にこの話をした女性は、
「わたしはいつも、せめてそういう人間にはなりたいな、と思ってたんだ」
そして、
「他 の人たちが暴れたり、騒いだりするのは止められないでしょ。そうやって、大勢の人が動きだすと怖いし。ただ、せめてさ、スカートがめくれているのくらいは 直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことくらいはできる人間ではいたいなって、思うんだよね」
と言う。
私はスカートを直すことはもちろんできないだろうし、どっちかというと下着が見えたことを喜んで騒ぎそうな気がする。
関東大震災の時に朝鮮人が大勢虐殺された。
加賀乙彦『永遠の都』の中で、病院長が病院で働いていた朝鮮人をかくまいきれなかったエピソードがあった。
ルワンダの虐殺では、殺さなければツチ族の仲間と見なされて殺された。
その場に私がいたとしたら、どういう行動を取るだろうか。
前半の主人公の弟は、
「馬鹿でかい規模の洪水が起きた時、水に流されないで、立ち尽くす一本の木になりたい」
と言う。
私は簡単に流されるだろうが、せめて根っこだけでも残れたらと思う。
追記
chi-さんから「クラレッタのスカートを直したのは、地元の貴族出の人だったらしいです」というコメントをいただきました。
そこで考えたのですが、貴族ではなく一般民衆がスカートを直したのだったら、わいわい騒いでいた人は黙っていたでしょうか。
貴族という権威があるからこそできたことかもしれないと思いました。
『魔王』の主人公の弟は、「立ち尽くす一本の木」になるためには力がいるというので、ある手段でお金を貯めます。
個人が素手で頑張っても、力や権威がなければ流されてしまうのでしょうか。
最新の画像[もっと見る]
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- ボー・バーナム『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』 5年前
- 森達也『i -新聞記者ドキュメント-』 5年前
- 日本の自殺 5年前
- 日本の自殺 5年前
- アメリカの多様性 5年前
- 入管法改正案とカファラ制度 6年前
- マイケル・モス『フードトラップ』 6年前
さすがchi-さんです。
スカートを直すことの意味は正直なところ男にはピンとこない気がします。
男にとってどうということのないことが、女性にとっては気になったり、いやだなと思ったり。
そういう感覚は大切ですね。
うーん。何を以て強くなったというか。靴下の強度はデータがとれるでしょうけど。しかし、セクハラ、アカハラ、パワハラとか、何とかハラってよく聞きますね。力(いろんな意味で)の差を利用して、いやがらせをすることですかね。
で、会社というか学校で、あの女はブスだのペチャパイだの話題ってよく交わしましたが。まあ、よくやるのが近頃の若いもんは~~という、若者叩きもありますし。
逆にオヤジ叩きというのもひとつの定型パターンがありますね。ここで、実質チカラを持たないオヤジさんもいて、言い返せないのに言われっぱなしという例もありますね。ただただOLさんからバカにされる人って。そりゃもう、イジメでしょってやつ。ああいうの見てると、デリカシーのないのは女性にもいるでしょって思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5
ふだんは柔和なハニワさん。それが、女の涙にはめっぽう弱く。(三作目は少年タチの涙でしたが)
おっさんが泣いて訴えても取り合ってくれないのか、大魔神!!と子ども心に理不尽さを感じました。
http://www.netpro.ne.jp/~fullcom/noz/noz43.htm
ただ思うのは、いろんなことについての感覚は男と女とはかなり違っていて、「黒の舟唄」じゃないけど、「男と女の 間には深くて暗い川がある」と、今さらながら思うようなことです。
>女の涙にはめっぽう弱く。
涙は力になればいいですが、流されることもありますし。
http://www.asahi-net.or.jp/~yu3m-mtmt/jidaigeki/jidaigeki39.html
>ただ思うのは、いろんなことについての感覚は男と女とはかなり違っていて
そうですかねえ。トランス・ジェンダーの人と話しが合ったりするので、そういうご発言は逆に解せません。
女ごころを歌う森進一さんとか。男心(?)を歌う美川憲一さんとか、、、私のカラオケ十八番は、都はるみ・岡千秋の『浪花恋しぐれ』。ひとり二役です。デュエットしかけたママさんが、呆れかえります(笑)。
http://jp.youtube.com/watch?v=UqX-o3sauVM&feature=related
「きっこの日記」というので、男がスイーツなんて口にしようものなら鳥肌実がたつ云々というのがあって。 これぞ、ジェンダー・バイアスの真骨頂!という感じがしましたけど。
あと。↓以前もふれましたが、有名なこの事件でも、E子、F子はレイプした側ではないのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
で、私思うに、「性差別」ということを考えるならば、女性差別だけを取り上げるのでなくて、性とは何か。性差とは何か。人が誰を同類、仲間とみなすか。誰を異類とみなすか。どんな集団にアイデンティファイするのか。そのメカニズムは、、、というようなことに踏み込まないと面白くないなあといっつも思います。
うーん、見事な名古屋弁。このパロディCMのもとになったカレー粉は、名古屋圏内だけで今も売ってるんですね。先日読んだ新聞に書いてありました。
しかし三浦さんのまわりも不可解なヤミが取り巻いている感じですが、林さんの周辺もどうも解せないことがおこりますね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413616584
これはマスコミが面白がってネタを提供しているのか。それとも実際にあった話しなんでしょうか、、、なぞ。
いくら主人公が危地を脱して助かっても、よかったとは言えないなと思いつつ、楽しんで見てます。
男女の感覚の違いですが、前にも書いた性に関することなどです。
一般論ですが、女性のほうが潔癖な気がします。
性犯罪やセクハラに対する考え方の違いもそこらに原因があるように思います。
少女苑で聞いた話ですが、強姦で入る女の子がいるんですね。
自分で強姦するのではなく、男に強姦させるわけです。
そうした女の子のほとんどが強姦された経験があるんだそうですね。
そういう悪循環があるわけです。
セクシャリティの問題はまずカタカナやローマ字が多くて、言葉自体がよくわかりません。
そもそもセクシャリティを日本語にすると何になるんでしょうか。
三浦氏の逮捕について鈴木宗男氏は、「三浦(和義)さんの問題にしても、日本の最高裁が無罪の決定をした。それなのにアメリカがまた逮捕という話をしてくるならば、日本の最高裁、司法がバカにされているんじゃないですか」と述べたそうです。
なるほどね、と思いました。
児童養護施設での虐待はいろいろと報告されており、あり得る話だとは思います。
>一般論ですが、女性のほうが潔癖な気がします。
グラビア・アイドルの話しを聞くと、たいてい胸が大きくなりだしたとき、悩みの種だったが、ある時から自信に変った云々というのがあります。自分のセクシャリティ(笑)を肯定していく過程があるわけですね。
私自身は10年前に通った介護学校で、19歳から39歳までの女性に囲まれてましたが。飲みに行ったり、カラオケに行ったり、ファミレスに行ったりしましたが。
いやはや、恋愛からセックス談義まで、こちらが赤面(顔から火が、、、)するぐらいあけっぴろげに語られ圧倒されました、、、あんたらは島田珠代か、とツッコミたくなりましたわ。(ギャグ。股間にチーン)
性欲で悩む小説家。野間宏。古いなあ、あいかわらず。で、親鸞さんに近づいたのか、、、
でも最近の文学って、『蛇とピアス』だの『乳と卵』だの女性が書く性を取り扱った主題って多いような気がするけど。女性は女性性(関係性)を強く意識するんでしょうが、野間さんのような古典的な男性は、おのれの「性欲」という極めて内面的なことに悩んでいるんではないか。
○女性が描く身体性を取り扱った主題