三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』

2008年03月19日 | 

1998年、送られてきた青酸カリを飲んだ女性が死亡、その青酸カリを売った男性(草壁竜次27歳)は女性の自殺を知り、自らも青酸カリを服毒して自殺した。
草壁竜次は「ドクター・キリコの診察室」という掲示板で知り合った自殺志望者に3万円で青酸カリを売っていた。
草壁竜次自身も鬱病に苦しみ、自殺未遂を経験している。

矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』は、掲示板の管理人であり、草壁竜次から青酸カリを受け取った一人である木島彩子(29歳)たちを取材し、小説風に書かれた本である。

木島彩子
「青酸カリはお守り」と言っている。
「(草壁竜次が青酸カリを売ったのは)飲むためにではなく、あくまでも「これがあるから、いつでも死ねる。いまである必要はない。だから、もう少し頑張ってみよう」と、自分に自殺を思いとどまらせるためであったようです」
実際、木島彩子は青酸カリのカプセルを持って富士の樹海に行くが、カプセルを眺めているうちに死ねなくなってしまう。

青酸カリを持っていると、いつでも死ねる、だから今日一日は生きていよう、という気持ちになるそうだ。
著者はこう言う。
「私たちは、たとえ耐えがたい苦痛を味わっていても、それがある段階で終了する、という確実な見通しさえあれば、なんとか耐えられるものであるが、もし、そのような確実な終結が見込めなければ、苦痛は地獄的な様相を帯びるのである。
自殺願望の前提となっているのは、苦痛がいつ終わるのかわからない、という意識状態である。そのとき、人は「一刻もはやくこの苦しみを終わらせたい」というひじょうな焦燥感のなかにおちいっている。焦燥感は視野狭さくを招き、人は「死ぬしかない」と思いつめる。だか、青酸カリを所持することによって、自分が望むときにいつでも死ぬことが可能になり、苦痛はいつでも終わらせるものとなり、状況はまったく一変する。「はやく終わらせなければ」という焦燥感が解消し、状況を客観的に眺めるゆとりが生じる」

草壁竜次は「飲んでもらうためではなく、生きてもらうために送った」「死にたくなったときに、それを引きとどめるお守りとして働きつづけるはずだ」と言っているように、自殺を肯定しているわけではない。
死よりも生を選ぼうとしたからこそ、青酸カリを持っていたのだろう。
木島彩子も自殺念慮に苦しみながら、生きるために青酸カリを手元に置いている。

著者が取材した一人は、
「青酸カリを入手して「いつでも死ねるんだから、もう一日だけ頑張ってみよう」と自分にいい聞かせることによってしか生きていけない病人がいるのだ、ということを社会にわかってほしい」
というメールを著者に送っている。

自殺念慮に苦しむ人にとって、青酸カリを手にすることはいやなことではないし、青酸カリを与えることは人からしてもらいたいことだし、青酸カリをあげることはできるかぎり他人の不幸をすくなくすることのように思う。
青酸カリを売った行為は善なのか、それとも悪なのか、簡単に判断できない。
「「肝心なのは、「ぼくがなにをなすべきか」であって、「他人がなにをなすべきか」ではない」
とコント=スポンヴィルは言うが、結局のところ善悪とは自分自身の選びなのかもしれない。

コメント (30)
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