ドジをしたり、アホなことをしでかして死んだ人間を笑いものにしましょうというサイトがあり、サイトの管理者ウェンディー・ノースカットが本にまとめたのが『ダーウィン賞』。
なぜ「ダーウィン賞」という名前が付いているかというと、
突飛なことをしでかして、あの世に飛んでいった人たちは、見方を変えれば、自らすすんで自分という大ばか者の遺伝子を消し去り、人類の質を高めた功労者ともいえる。人類の進化という点からみれば、見事に貢献した立役者だ。その「究極の自己犠牲」をたたえてあたえたのが、ダーウィン賞なのである。
ということで、ブラック・ユーモアなのだが、優生学的な感じがする。
コメントもきつい。
ハリケーンが来るというのに浜辺で「ハリケーン歓迎パーティー」を開く人たち、10歳の息子と口げんかして、息子に包丁を手渡し、「そんなに俺が憎けりゃ、刺してみろ」とけしかけて殺された男、気持ちいいだろうとペニスに電流を流して感電死した男など、何を考えているのやらと思う。
しかし、他の井戸と地下水路でつながった井戸に落ちたニワトリを救おうとして、農夫が井戸に飛び込んで流され、農夫を助けようとして次々と5人が井戸に入って、全員溺れ死ぬという事件を笑うのはどうか。
あるいは、ガソリンが入っている缶をライターでのぞくようなうっかりミスをしそうな人は多いのではないだろうか。
人を笑いものにすること、特に人の死を冗談のタネにすることはあまり好きではない。
死者に敬意を表せと言いたくなる。
アメリカでは強くなくてはダメということなのか、人をからかって笑いをとる映画が多い。
時には、デブ、ハゲ、チビ、あるいは身障者といった弱者をしつこくからかう。
『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』では、大きなほくろをほんとしつこく笑いものにしていて、アメリカ人はこの場面に大笑いしたのだろうけど、不愉快になった。
それでも本を読んでいくうちに、そういうイヤな感じはだんだんとなくなり、笑いながら「こういうバカは死んで当然だ」と思ってしまう。
慣れというのは恐ろしい。
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