三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

浅見雅男『皇族と帝国陸海軍』

2015年01月20日 | 

浅見雅男『皇族と帝国陸海軍』は皇族と軍隊について書かれています。

明治になり、皇族の男子は軍人になることが通例とされた。
明治6年、「皇族今より陸海軍に従事すべく仰せ出だされ候」という通達が出された。
皇族が軍人になる義務が明文化されたのは明治43年。
明治から昭和の敗戦までに、朝鮮王公族3名を含め、48人の皇族が軍人になっている。
そのうち、陸軍が28名、海軍が20名だった。
適齢に達しながら軍人にならなかった皇族は5名で、いずれも心身が病弱だった。
厳しい訓練で軍学校在校中や卒業して間もなく死去してしまう皇族もいた。
皇族もなかなか大変だったわけです。


一方、華族は明治5年に徴兵制が施行されても軍人になるものがあまりにも少なく、勅諭が下されたほどである。
それでも、華族で軍人になった者はごくわずか。
日清戦争でも戦死した華族は1人もいなかった。
日露戦争では爵位を持たないものも含めれば6名の旧大名、公家の華族が戦死している。

明治以前の天皇は「武」と無縁の存在だった。
それが、明治になってからは、天皇は逆賊をたいらげ、大和に攻め入った神武天皇の再来でなければならないことになったため、皇族が軍人となることが義務とされた。

徳川幕府から政権を奪った西南雄藩の武士や討幕派の公家らが、自分たちの武力による倒幕という行為を正当化し、権威づけるために「玉」としての天皇を露骨に利用した結果であることは疑いない。


それともう一つ、他に皇族にふさわしい職業がなかったこともあった。

しかし、ここでも問題は残る。いかに完璧な階級社会とはいえ、軍はその本質からして、能力主義が貫徹しなければならない組織である。政治や実業などの世界と同じく、能力がない者は脱落せざるを得ない。華族の多くが軍人になるのを嫌ったのもそのためだった。そこで何がおこなわれたか。それは皇族を軍内で徹底的に優遇し、その権威を傷つけないように配慮することだった。


軍人となった皇族へは配慮がなされた。
危険な任務からはなるべく遠ざけられ、軍政関係の職には置かれなかった。
皇族を政治の場から切り離しておこうとするためである。
皇族の背後には天皇の権威があるから、皇族に批判が浴びせられることがあってはならない。

松下芳男『日本軍事史叢話』に、海軍の皇族軍人が陸軍の皇族軍人にこんなことを言ったと記されています。

君の陸軍の方では、ヘマな命令を出しても、部下が適当に判断して、なんとかうまくやるだろうが、ぼくの海軍の方では、相手が機械なので、皇族でも遠慮しないで、正直に動くので困るよ。

陸軍では皇族は昇進面では優遇されたが、海軍では非皇族とほぼ同じように進級した。

ちなみに、皇族の軍人というと、無能だったり、おかざりにすぎなかったりといったイメージがあるけれども、優秀な人もいたそうです。

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