敗戦後、マッカーサーとGHQにあてて、推定約50万通の投書が送られた。
当時の人口が8000万人だから、莫大な数である。
その手紙を紹介しながら、日本人について考えたのが、袖井林二郎『拝啓マッカーサー元帥様』である。
なぜそんなに多くの手紙が書かれたのか、柚井林二郎はこう言う。
もともと人間は権威によりかかりたがる動物だが、日本人にはその傾向が民族性といっていいほど強い。
これだけ多くの手紙が書かれたのは、よりかかる権威が天皇からマッカーサーに代わっただけでもない。
手紙を書きたくなる親しみがマッカーサーにあると、日本人が感じたからである。
絶対の権限をもったマッカーサーは、日本人の上に高くそびえ立つ存在でありながら、同時に、手紙を送ればそれを読んでくれるという期待を抱かせる親近感をもただよわせていた。
天皇が戦後しばらく地方巡幸したというのは、そうした親近感を天皇に持たせようという意図があったのだろう。
天皇に対しても手紙が書かれたどうか知りたいものである。
多くの手紙はマッカーサーに対する感謝の真情があふれている。
毎日元気で働けるのも全くあなた様の御親切のおかげと心から御礼申し上げます。
あるいは
閣下は実に生きたる救い主の神であると深く感謝致して居ります。
あるいは
昔は私たちは、朝な夕なに天皇陛下の御真影を神様のようにあがめ奉ったものですが、今はマッカーサー元帥のお姿に向かってそう致して居ります。
などなど。
現在の憲法をアメリカの押しつけだと言う人がいるが、しかし、当時の日本人は喜んで押しつけられたのである。
マッカーサーは「東洋人は勝者にへつらい、敗者をさげすむ習性がある」と常に語っていたそうだが、それだけではないと袖井林二郎は言う。
占領のもたらしたものに素直に感謝していた。それが国民感情の最大公約数であったことは確かである。
自由を与えてくれたことへの感謝の気持ちも大きいのではないか。
なにせ、絶対的権力者であるマッカーサーに自由に手紙が書けるのだから。
マッカーサーへの手紙はいろんなお願いをしたものが多い。
マッカーサーを自分の側にひきつける(あるいは自分が身を寄せる)ことができれば、権力と大義名分は相まって勝利は明らかであった。
この指摘は、まさに天皇論そのものである。
というものの、日本をアメリカの属国にしてくれという手紙もあって、これはいくら何でも沼正三『家畜人ヤプー』的じゃないかと思ってしまう。
そういえば、小林信彦の短編に、アメリカ軍の占領が現在まで続いているという設定のものがありました。
読みながら日本人論をあれこれと考えてしまう、そんな本でした。
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